NPO

心・体・頭のバランスをとる素敵な方法とは、自然体で生きることですね。自分の心に嘘をつかないことね。あなたとあなたの心の間で、緊張やよそよそしさはいりませんね。仲良くして、素直にね。

◇NPO法人 心ざわざわ Top<皆様の言葉
皆様のコツコツの歩み〜自分で歩く〜
「自分で歩け〜自分で考えろ〜いつでも旅立て〜」ざわざわは、そう、違うのです。私もさんざん色々な方法を指導して頂き、従って来ましたが、今までと違い、自分で変化、回復を体感できる。自分が行動して、手に入れたという実感がある。一人一人、環境も考え方も違うのに、マニュアル通りにした所で上手く行かなくてもそれは、当然の事。自分に合う様にアレンジする気があれば、別ですが・・・。自分で考え、行動し、発見して行く内に私達には、それが大切だったのだと気が付きました。先生がおっしゃった事だから。本にそう書いてあるから。結局、誰かに言われたからその通りする、という考えは自己責任の回避なのですね。言われた通りしたのに、駄目だったじゃない!人のせいに出来る。悪循環ですよね。「進歩がない日、変化がない日は休憩。リセットではなく休憩。休憩も進歩」そうなんです。今は休息期間。でも、おかげさまで基盤が出来ているので、「今日はピカリン!という物がない。もう駄目だ」という不安がありません。出来ないと駄目、終わった。ではなく、今はゆったりと過ごす時。内なる自分の世界に身を委ねる時。それも心地よく感じています。充電・・・。以前までの事を考えたら、そんな自分は素晴らしい!私もそう思います!!変化も心地良い。ひらめきがないのも心地良い。どっちにしても心地良い日々。

摂食障害の治療で、さんざん言われて来た事。「過食欲求を回避する認知行動をして下さい」「過食はしても嘔吐はしないで下さい」「禁止食品をなくして下さい」皆、頑張っています。それでも出来ないからもがいているのです。そして、更に「出来ない自分」に嫌悪します。拍車がかかります。「過食の回数は減らして下さい。でも、出来た自分に目を向けて下さい」必ず「症状改善」が第一でした。益々、自己評価も下がりますよね(笑)。理香さんの方針は、その逆。「過食?して下さい」そのお言葉にどれだけ救われた事か・・・。「症状に囚われた自分ではなく、素の自分を出して行きましょう。心が軽くなりますよ。視野を広げましょうよ。楽しい事を心で感じて見ませんか?」過食という症状への拘りが薄れ、自然と症状が減って行くのですね。そして、行き当たるであろう壁への事前のサポート。押し付けではなく、共に考えて下さる姿勢に心の防御が溶けていく・・・。素直な自分を知る事が出来ました。

「これこそ、やってみないと、自分が動いてみないと分からない」本当にそう思います。行動したからこそ、掴めたもの。素晴らしい出逢いや経験ができて今の自分がある。相性、大きいですね。自分を信じる実感がなく、相手を心から信じるという事が苦手なのですね。(でした。ですね!)こうして、一日の自分を振り返って、客観的に観る時間の大切さを感じます。そして今日も素敵なお言葉が心を優雅にしてくれました。これはそれ程、重要ではないな。これは有ってもいいな。そういう風にして、すこしずつ、コツコツと鎧を脱ぎ落として行くと、背負っている重荷が何なのか?その真実が、何となくですが見えてくる。感じる事が出来てきました。カン、ですかね。これも素質と思って良いのかな、と思いました。でも、今は保留。今、これがなくてはどうしょうもなく不安!そんな事ばかりだった頃に比べると、この様子を見ると言う事。ああ〜、出来るようになったんだな、と嬉しく思います。(M子)

人と違っていても、人に嫌われても、取って喰われるようなことはないので大丈夫(笑)!人は人。私は私。違いを認めて、安心して、自分を表現していきます。行動していくと、自分の色んな感情に出逢いますが、感情に振り回されないように、一呼吸〜深呼吸して〜スゥ〜〜〜ハ〜〜〜。 とりあえず放置して、行動していると、冷静になったときや、忘れた頃に、その時の感情は、後で大切な気づきとなって自分の元へ帰ってくるみたいです。「動く」ことが、自信につながる。休むのも大事♪動くのも大事♪休んだり。また動いたり。休みがあるからこそ、気づき、また動ける。色んなことを経験、体得しながら、コツコツ、自信を、積み重ねていきます。人と人との繋がり。人は色んな風を運んできてくれますね。 同じところにいて、自分だけの風をぐるぐるまわすよりも、人と繋がって、色んな風を送り込んでもらいながら、自分を換気しながら、頭スッキリ。循環です♪

そのままで。ありのままで。何も恐れる必要はないんですね。はじめの一歩は勇気がいりますが、そこを一歩踏み出すと、ガラッと何かが動きはじめて、自分にとって、必ず、この先を進んでいける為に必要な、大切な「何か」を与えてくるような気がします。 レイキ、レベル1を受講し、修了証を頂いてきました。レイキの回路を通すアチューメントというのを、4回受けてきたのですが、1回目、2回目は自然と涙が出たり、なんともいえない心地よさを感じたり、色んな景色が見えてきたりと、とても貴重な体験をしてきました。 毎日自己ヒーリングをしながら、自分の飲む水に気を送ってみたり、部屋や食べ物に送ったりしています。嘘みたいな話ですが、味がまろやか〜に変わるんです!って気のせいでしょうか(笑)それこそ気”のせいですね。そんな感じで、何とも怪しげな、浄化的楽しい生活をしています。何より、ゆったりと、落ち着いた、穏やかな気持ちでいられています。自分の為に、楽しむ。自分の為に、美味しいものを取り入れる生活が、何より心地良く、そうして自分に笑顔を向けていると、他者をも、穏やかな気持ちにさせてあげることができる。またそれによって私も笑顔になれる。幸せが連鎖していくみたいです。 2週間ほど前は、焦ってしまっていました。体重が減ってきていたので、もぅちょっと増やしたいと思い、外でしっかり、定食のようなものを、ガッツリ食べると増えるかもと妙な考えをおこしてしまった自分がいました。サバ定食はおいしく食べたのですが、その日以降も、「増やしたい」→「増やさないと」とガツガツしてきていました。野菜料理や豆料理が好きで、それが自分に合っていて体調も良いのなら、その中で、何度かに分けたり、色々工夫して食べたらよかったんですよね。体重を増やしたいと思ったのなら、それもまた「ゆっくり」、増やせばいい。「ガツガツ」より「ゆっくり」それが確実。本当に心から実感です。そうしないと!そうしなければ!いけない。より、そぅしたいな♪そぅなりたいな♪いいな。頭からのお説教より、心からの思いを大事に。なりたい自分に。自分が好きでいられる自分になります。 『私は幼い頃のトラウマを、もぅ手放します』「喜んで手放します♪」喜んで。をつけると、何だかパッと明るい気持ちになれますね!「私は自分の持っている執着を、自分の中から、喜んで手放します」 言葉の力はすごいですね。言葉は魔法です。自分がこういう状態になっている時は、この言葉を〜呪文のような感じで、色んな言葉を考えて、自分の中に持っていると、何かお守り代わりになっていいかもしれないな♪と思いました。(T.T)

三位一体生活でニコニコさんな私です。頭と心と体が言ってくることに耳を傾けてあげていると、なんだか嬉しいことがたくさん私に返ってきています。不思議なことのようで不思議なことではないんです。自分を大切にかわいがってあげると、やっぱり「私」が喜んで嬉しいよ◎ありがとう。って返事をくれる。いっぱい安心したんだね。良かったね。 素直に聞いてあげると、私の3か所から「ありがとう」の反応が返ってくる。休みを満喫中です♪ゆっくりした生き方、いいですよね。さっきまとまった言葉が頭に流れてきました→どんな状況の私でもできることはあって、それは動くということ。一時の感情で、「今の私はなんもできひん!」って思うこともありますが、やっぱり「できること」はあるんですよね。洗面台を掃除しただけで気分スッキリで満足できたり。やっぱりあるんですよ。どんな時もできることが。(N.U)

摂食の人に必要なのは自立と自律なんじゃないってすごく思うんです。理香さんのおっしゃる母子分離、自我の目覚め、社会復帰。色んな視野から物事を見る力。今までは、同じ枠の中でぐるぐる回っていたような気がします。理香さんはこれからのこと、今からできることなどを一緒に考えてくれる。比べてはいけないですし、天秤にかけるようなものではないのですが、私は理香さんのやり方の方が自分に合ってるんじゃないかって思います。 現に目に見えて症状が改善されているし。考え方も変わった。理香さんとこうして毎日通信を取ることで強くもなり甘い部分も少しずつ切り落としていける。安心感も確かに必要です。でもそれは人から与えられた安心感より自分で勝ち取った安心感の方がいいと思います。人から与えられたものはいつかなくなりそうだけど自分で得たものはずっと自分に味方してくれそうだから。(K子)

執着を捨てていく作業を続けて、残ったもの、自分という形。最近やっと、その形に触れることができだしました。私の意見、私の感覚。今までは私の感覚でないと気付いていながら、どうしていいかわからなかった。今日感じたこと。母親に認められることを十分認知せず育つと私のような症状がでる。母親に悪気はない事も理解している。私の背景。父親や祖母や、周囲からの愛情や環境の支えがあった。中学生までかなり田舎で暮らしていた。山の中で育った。水道はなく井戸水をひいていた。川の側で育った。動物が周りにたくさんいた。藁葺き屋根のトイレが外の古い日本家屋で4世代で育った。テレビゲームはほとんどしてない。みんな遊び相手は大自然と動物。暗くなったら帰る。自然と共に生きていた。もし都会で核家族で育ったら。母親愛が少し上手くなかった事で私達兄弟は同じような症状がでた。他にも要因はあるだろうけど。今、摂食障害やパーソナリティ障害などの増加の現状、納得… 本人が悪いんじゃない、体得するための体験がない。症状がでるための要因は遮断された箱の中で密に受けている。これは自然の流れかな。みんな環境の子。罪はない。気付くための材料も症状がでてからさがしていく。本人も周りも大変な苦労だ。ならば、予防できないか。悩んでも世界を動かすことは出来ない。ならば自分からそれを実行していけばいいね。自分が動くこと。コツコツ。今は私は私自身をゆっくり愛情こめて育てている途中。それがいづれアメーバみたいに広がっていくだろうと、期待しながら。自分をいい波長の環境においてあげるのもいいことかな。逃げじゃなく。いい波長の波にいると少し気を使いながら仕事するより気持ちに余裕ができる。その余裕の隙間に二歩引いて自分と、自分の環境を見つめられる気がする。むりに留まろうとするのが執着かな。むりに環境に変化を起こす必要はない。ゆっくりコツコツ考えながら感性に従い、日々生活してたら、自然に自分の行動につながる。今は焦らずゆっくりゆっくり自分を見守る。私はどんなことをこれから感じ、どんな答えを導くのだろう。そんな期待を楽しみにしながら。最近毎日涙がでる。溢れた感情は単純にこぼれる涙止めずに泣いてかれるまで。そんな歌詞があったな。そうかも。ずっと泣いてる訳じゃない。溢れたぶんが涙がになってでたら、自然にとまってるもんね。ありがとうだ。

やりすぎたらいけんし、やらなすぎたら気になるしね。今やり方、加減、の勉強中かな。だるい、今が過ごせればいいや、ってやって、それなりに意識せずに行動すれば、やっぱり結果はそれなりの結果。どうせやるなら結果がわかるほうがいいなあ。意識生活。見直さなきゃ。意識生活が薄らぐとどうも、あの人のご機嫌とか、損得勘定が働いたり、本来がみえにくい。そんな事を考える自分をいやになりかける。頭で考えることは、その人のその時の容量というものがあるから、そこには自分で考えを選択していれてあげたらえんかな。意識しないから目先の不安がひょいひょい入り込んで大きくなっちゃうから。いま自分は色んなことを吸収し、いらなければ捨てるという訓練の途中なんだな。拾ってみるから要らないとわかる。要らないとわかると拾わなくなる。初めから拾わないなんてのは真ん中の過程がないってことだよね。 だからいいんだ、今の段階の今の自分の、自分なりの頑張りで十分。さあ、時間を有効に使うようにしよ〜。ありがとう。

りかさんにお会いしてほぼ毎日続けてること!掃除。整理整頓無理で苦痛でどう片づけていいかわからなかって、その事に悩んでいた私が、毎日掃除できるようになり、片付け、整理整頓が楽しくなってきた。これはほんまに一大事なんです。掃除はいらない物や、執着をすてる練習になるよ。部屋の状態はそのままあなたの心を表していると色んな本によく書いてあるけど ほんとだー。掃除片付けをとりあえず下手でもやってみる、コツコツつづける、きれいになる 。コツコツの大切さがわかる…。そうすればそれが心の整理整頓もできだす。何でも逃げずにまずはやってみる。片付けのやり方、初めはうまくない。片付け たはいいけど使い勝手が良くなかったら、これはだめだったんだとわかる。100の失敗をしたんじゃない、100通りのうまくいかない方法を発見したんだっていう言葉がすき。まさにその通り。掃除にかぎらずね。少しずつでも動いていること。 大切でそれが安心なんだと思ったなあ。(S.Y)
皆様のコツコツ〜おかげさまで、ありがとう〜
「看護師S.Yの見解(かなりアバウト)」
◇題目:メール、宿泊療法で効果が現れるエビデンス(証憑)
◇はじめに:なぜ会ってもいない時期から、自然にコツコツメールが継続でき、効果が現れたのか。なかなか治らないともいわれている中、他の方法より効果の現れが早いのはなぜか不思議だった。
◇方法: 症例研究。拒食過食嘔吐の症状があり、メール、宿泊療法を利用し、症状が治まりつつある経過を研究した。
◇結果・考察: 近年の携帯、パソコンの普及により、いつでもできお互い迅速に伝える手段であるメール。ゆえに衝動的な行動を起こす前や直後に対応できた。またその安心感から次回の行動を抑制できた。また面談や宿泊はその「会ったこともない」を解決してくれる。困ったり助けをもとめたいときメールするのは、自然にできる。分りかけた時も、コツコツが苦手な特徴があるのになぜ続くか。メー ルをやめてしまい、コツコツが止まると、成長しきってないままになりがちであるとも考えられる。そんな時は、見返りを無意識に期待するという心理が逆に有効。穏やかな見返りを期待、見返りは言い換えると反応。これがざわざわでメールの言葉をアップしてもらえるブログ。それを続けていく過程で、見返りを必要以上に期待しなくなった時、求めるものが、見返りではなく完全に反応のみになった時こそ、本当に摂食障害離脱の時期。
一般の社会生活の方の場合(りかさんだけは特許モノの新しい分野だから例外。私は、クライアントな私と、看護師として患者心理を理解してみようという私が混在)で、続けていくうちに自分の必要な視点に、自然に自分の目や気持ちが向き、ざわざわで養った能力が徐々に転化し、開花する。そのあとは一般のコミュニケーションの手段であるメールとして、りかさんと交流ありだよ、体得したことはブログに載るよ、と言ってくれるのも嬉しく安心。その中で、いろいろな人との出逢いに感謝できる。そうやって成長の過程を止めることなく過ごせる。私もコツコツ。これからもコツコツ。りかさんはやっぱりすごい。改めて、ありがとうございます。ゆえに「心ざわざわ」は効果を現すのである。
◇結論:ありがとう!と、全過程でりかさんの努力、思い、愛、ありがとう、感謝の気持ちがあるからこそだと思いました。

昨日、ちょっと誰もが合うとは言えない、ちょっとかちんときちゃうおばちゃんと話した。以前そうだったけど今は、【この人(自体)苦手】、ではなく、【@この人のここは私と違う見解ができるんだ。Aこういう所は同じ意見だ、気が合う、好き。Bこんなふうなのもいいなあ、これは見習いたい】と、感情の部分を3つに分類する事で、苦手意識は消えたよ。気持ちの整理。気持ちの棚。気持ちの仕切り。それらがあると少々の嫌みは気持ちをしまう場所に困らなくなったなあ。コタエルのはやっぱり真髄をつかれたとき。そっか。見事に私の問題点を射ぬいてくれているんだなあ。同時に射ぬいた本人も。気付く気付かないはその人次第かぁ…。つながっているけど境界線はくっきりかなあ。ふぅーん。そおかー。『ちょっと話してもいい?こっちの部署に帰ってきて、S.Yさん、まるくなったなあって思ったよ。私はすぐ気分を悪くして、いけんかなと思うけどつい出るんよ。この間も嫌みを言われて。言い方があると思うのに』と。私は今の気持ちが素直に言葉になってでてくれた。感謝のこと。『そうじゃなあ…そうやって教えてくれていると思えばええんじゃなあ、そんな若い頃私は考えれんかったのに。そうやって考えながらやってたら成長するわ…』という話してくれた。私は「私は今、勉強の最中なんですょ」と答えたよ。少しずつ。まだ成長途中。ゆっくり伸ばしたいです。

実は『ざわざわ』の意味がよくわからなかったんよー、なんでざわざわなんじゃろなあ?ざわざわしたら落ち着いてないみたい、どんな意味がこめられとんだろう、りかさんにきいてみようか、ちょっと自分で考えてからにしようかな…ってず〜と思っとって。昨日、急に、あ、そういうことかも…。ってやっと納得したよ。りかさんがこめた思いと違うかもしれんけど、受け止め方もそれぞれなら、どれも正解なんかなあ〜うれしかった!ありがとー(S.Y)

初めて理香さんにお会いした時、その時、私が求めていた物―誰かに私が生を紡いでいる事を認めて欲しい。頑張っているね。えらいね。と言ってくれる誰か・・・。そう、安心感。くらげのようにフワフワしている自分を守ってくれる、海のような存在。「存在はここにあるよ。大丈夫、本当にあるんだよ」と教えてくれたのが理香さん。その「誰か」は自分だと、今では知る事が出来ました。「まんまでいいの。その笑顔。今いい笑顔していますよ」今まで、自分の笑顔、大きい瞳、好きではありませんでした。もっと自然な笑顔なら良いのに。褒める所が他にないから瞳なんでしょ。そう思っていました。今は素直に「ありがとう」と言えます。ちょうど先日、瞳を褒められておかげさまで、ありがとうございます。と思っている自分に気が付いたのです。私も自分自身を信じているから待てる。自分を愛しているんですね。

ここ一週間程、理香さんが予言?した通り、食事だか過食だか分からない状態が続いています。特に夕飯。いくら食べても満腹感が無いので、まだ食べられる。あれ?体(と脳?)は過食モードになっているけれど、気持ちは過食では無い。そんな時です。過食欲求がにょきにょきと顔を出します。日中は全くと言って良い程、平穏です。昨日、考えていたのですが過食がしたいのか嘔吐がしたいのか、どっち?心の波から表れる癖なら、いつもしている様に感情を放置しておけば良い・・・何で対過食となると、いつまでも消えてくれないの?趣味ならば、夕食後にする趣味ではないんじゃないかな?結局、自分が「食べる事」に対して「これで良い」という決め手がない。 誰がなんと言おうと、私はこれで良いのだと思える「食する事」へのハッキリとした決断。そうなんです。おかげさまで、なのです。手を伸ばせば、欲しい要素に触れているのです。後は掴むかどうかです。過食とさよならするのは今かもしれない。今がその時なのかもしれない。もう、それだけに充分な根は、張られているのかもしれない。自分が思っている以上に、心、頭、体・・・「私」は回復しているのではないか。そう感じるのです。あと少し。もう、自分が納得いくかどうかまで来ている気がします。「食べる事」に対し、どこから手を付けよう。どのあたり工夫してみようか。納得できるのはどんな方法だろう?対象がはっきりしていると、かなり絞れて来ますね。意識するって事なのですね。こういう風に自分の感覚を信じられるのは、自分を良く知っているからなのですね。そして失敗しても怖くない。視野は広がっているのです。角度を変えて再検討できる自信があるから。理香さんにお会いする前、ほんの20日程前には無かった事。何と表現すれば良いのか、自分が自分にぴったりとあてはまっている、私はここにいるという実感。本当、理香さんのタイミングにはいつも驚かされます。グルグルしていないで、ハッキリさせちゃいなさいよ。今が色んな意味で旬なんだから。そんなメッセージを頂いたような気がしました。今の私が今の自分サイズです。

昨日、はっと気が付いた事があります。拘るのは楽しい。執着は苦しい。めっちゃええこと、気つきはりましたやん!これこれ!と言いながら万歳。個性・・・拘りがあるから個性が光る。そろそろ、拘りを持ってみようかと思ったのです。丁度、「食」の問題がある。じゃあ、「食」への「私の拘り」を見つけてみようかと。堂々と「これは私の拘りなの」と、人が居ようが何を言われようが 鼻歌まじりに、そのままに行動できる。自分にとって楽しい事でもあるし、自分らしさでもあるから。そして、拘るには何かしらの意味があるから。周りに理解されなかったとしても気にならない。>「普通」に拘るより、自己流に拘って生きること>「普通」を知った上で、自己流を拘る。言葉にして頂いて、すっきりしました!そういう事なんですね。>私の自己流の「普通」なんです>私はこうやって生きています。やはり!昨日、メールを書きながら理香さんについて考えていました。思っていた通りの方です。もう、これは摂食障害という病を持った私たちに限らず、みんなに感じて欲しくなっちゃいますね。そうすればストレス社会なんて言われないのに・・・。なんて事を徒然、考えていました。>ここで登場「大阪のおばちゃん精神」。私の素質です(笑)。はっきりしました。受け入れます(笑)。こんなに強い自分がいたのです。きっと本来もっている素質なのです。どんどん外へ出して、堂々と「私らしく」を行動しながら、そんな愛おしい「自分」をしっかりと体得して行きたいと思います。出会い。めぐり合い。普段、何気なく使っていますが、とても深い言葉だと思いました。大切にしていきたい。理香さんとの出会いに感謝。めぐり合いに感謝。触れ合った人達に感謝。そして、色々な事を気づかせてくれた今日一日に感謝。今を生きる私に感謝。

歩みが西の理香さんへ向かったように、ぴかりん!と来るものがあってふと、禅語、お経を検索してみました。それらしき書籍の中から、これはと思うものを注文し紐解くと、その美しい音色に心と体が震えるのを感じました。最近、言葉がけ。自分で発しているのこの言葉。むっつり作業より、鼻歌交じりに思う事を口ずさみながら、自分を褒めながら (/ω゜\) な顔や(ノд-。) な顔をしてそんな自分を愉快に思いながら・・・行動していると、言葉がけ一つで、さっと空気が変わる不思議と言葉の力、魅力を感じ、「言葉、ありがとう。おかげさまで。感謝、禅語、お経」となりました。読んでいて、理香さんがおっしゃっている事。ざわざわで掲げている事に何となく通ずる物がある事に気が付きました。ざわざわ宗理香さん経・・・ですかね?!この世に生きる全てのものには、本来仏性が具わっている。涅槃経からなのですが、宗派関係なく、美しいお経は美しく、心地良い音色は心地良く穏やかにしてくれます。う〜ん、不思議です。内容を理解すればそれもまた良し。思うのですが、心にこういった、言葉なり人なり行動なり儀式なり、何にせよ損得なしに純粋に信じられる物がある人は強いのではないのかなぁと。理香さんは、私達に健全な形の愛情をそそいでくれていて「私がその絶対的な人になるよ。どんなあなたも信じているよ。ここで愛しているよ」と、その事を体得、体と心で理解出来るように、色々な角度からアクセスしてくれているのかも。と思いました。今日は色んな事を考えつつ、そんな素敵な一日でした。感謝、感謝です!

見返りを求めません。相手を思ってのこと。そのまま言葉にしました。でも、相手は必要なかった様です。以前でしたら、間違いなく「何よ。あなたが困っているって言うから、気を回したんじゃない!」と、ムッとしていました。相手を思う気持ちを、素直に言葉に出来た事。感情が揺れなかった事。>思春期のアイディンティティの確立・・・もの凄く、実感しました!いかに心地良い自分でいられるか、心の持ち様なのかなと思います。私らしさ・・・ですね。>もう少しこのまま、でも時期が来れば旅立ちます。そうなんです!過食に振り回されない自分をはっきりと、感じるようになりました。週末・・・。特に過食しやすい時。家事を一気にこなす、忙しい休日でもあります。過食がでるのではないか?週一日休みの今の状態で、過食嘔吐が止まらなかったら、家事ができない・・・。今のうちに思う存分、過食しておこうか?いやいや、今のうちに、出来る事を終わらせておこうか、でも二度手間は嫌だし等など。「過食がコントロールできない」為に生じる不安。今日は、週末をいかにのんびりと過ごすか?という事に、思いが向いています。過食を抑える為に、何かしら予定をいれていた、大切なお休み。忙しくしていれば、過食が遠のいてくれるかもという淡い期待。あえて何も予定せずにいてみよう。自分の好きに時間を使って時計を気にせず過ごせる一日にしたい。一日過食嘔吐で終わるかなという不安は、不思議とありません。家事もします。心と体が「時を気にしないで、眠りたいだけ眠って、のんびりとやる事はやる」そんなお休みを望んでいるのです。これも工夫ですね。>工夫は悩むからこそ思いつく>悩む、困った、という感情を真っ直ぐに受け入れたからこそ工夫が生まれる・・・本当、その通りなのですね。三位に問いかけなければ、何が問題でどうしたいのか、分かりませんものね。工夫・・・大好きです(笑)!失敗しても、ただでは起きない!次の工夫への糧となる!う〜ん、「大阪のおばちゃん」の素質がむくむく(笑)そして、根っこ。自分。本質。それら体得への工夫、努力はおしみません!楽しいし、心地よさを感じられる自分がいるから。外は雨ですが、心はお日様な一日でいられる今日の自分に感謝、実感を注いでくれる理香さんに感謝、気付きをくれる皆の個性に感謝!今日も一日、おおきに。ありがとうさんですぅ。

仕事中は笑顔です。当たり前のようですが、接客業にかかせない笑顔、こちらの状態などお客様には関係ないですものね。色々あり、いろんな感情が行きかう中で、それでも仕事は仕事。基本の笑顔。出てきますね、自然に。そんな自分を感じて、褒めてあげたくなりました。>子供になってください。昔できなかった心の開放を楽しむ。自分にはこんなに子供の所があったのかと思う事が最近多く「子供の頃、押さえ付けて来て出来なかった事」だったと実感ています。まるで子供だな・・・、と思いながらもそれを楽しむ時があります。>これができるって、願望でした。私も、そうなのです。何で、こう色々考えてしまうのか、自然に身を任せて何も考ないでいられる様になれないものかと、思っていました。自然と頭の中が「空」になれる事、とても嬉しく思います。私が抱いていた不安。理香さんの仰る通りです。>摂食障害の私だから、お付き合いしてくれていた人々と、一人の人間として付き合ってくれていた人々。摂食障害だという負い目ではなく、それも自分だと受け入れた今。素直に「私の人格、私という、摂食障害というひっかかりのないそのままの一人の人間」であるという体得を持った日々の生活。本当に心地良い物なのですね。 >回復のゴールは自分で決めていただくのが原則>看板に恥ずかしくないように行動をしてしまう自分を知っています。過食に従わされている自分から、自分の一部としての過食となっている事を体得した今、全く、日々の生活での気分違います。今を楽しめます。過食に負い目がなく、怯えなくなってから、社会生活、人との関わりが自然に今の私らしくで過ごせるという幸せを、嬉しく思います。>ストレスはあって当然、葛藤も襲ってきます。そこに「摂食障害というわだかまり」があるかどうかで感じ方が全然違う事を知りました。そう、穏やかなのですね。「自分」という落ち着きに、たどり着いたという感じがします。行動、体得。ゆったりと、そして自然に味わう事が出来る。これもとても心地良く感じています。>鎧を脱いでいくと、本当の悩みが見えてきます>それに触れたくないので、どうにかしたくなる。今、丁度その時を感じています。すぐに結論、ではなく「向かう」事。こうして行きたいという物が自分の中にあります。テンションを下げて、ゆとりを持ちながら向かっていけると思えるのも、体得してきたからなのですね。おおきに、ありがとうさんです。これからも皆さんの歩み、私の人生。一緒に感じて行けたら嬉しいです。よろしくお願いします! (M子)
皆様のコツコツ〜動くと知る〜
行動すること。動かす。自分を揺さぶってみると、ザルで揺さぶるように、いらないものが落ちて、見えてくるものがありますね。それも今の自分にできる行動から。 岡本さんにメールを出してみようかな・・って思ったら、 出すまではまだいかなくても、書いてみるだけでもいいんですね。「書いてみる」という行動を起こしてみると、今度何日後かには「出せる」という行動に繋がっていく。書いたことに◎。出したことに◎。◎が増えていって、どんどん行動範囲が広がっていくと同時に◎◎◎・・と自信もついてくる。私も初めは、ここから始まりました。理香さん、コツコツの素晴らしさをありがとうです。(T.T)

岡本さんにお会いしてから、私は、私自身のペースで「コツコツ」歩んでいました。いろんなことが2か月間の中で起こりました。辛いことも、楽しいことも、腹立つことも、嬉しいことも。つまづいたり、ころんだりして泣きながらも、自分に罵倒を浴びせながらも、体についた脂肪をつねったりしながらも、自分の頭で考えて、いろんな状況に出くわすたびに、選択して、行動して、結果をだしてきました。逆らわずにそのまんま受け入れて、流すことや捨てることの大切さ、休むことが前進することなんだということも確信しました。自分が思っているより、物事は自然に流れいていくことも。人と関わっていくことのわずらわしさも、人と関わっているからこそ得る幸せも体感しました。運動にしたって、食事にしたって、「三位一体」をモットーに耳を傾けながらすっころんでも、いろんな方法を試してきました。その時その時の自分に一番合う方法を試行錯誤しながら、行動してきました。自分のあるがままの美しさを素直に認めて、自分を大切に思う気持ちも大きく、大きくなりました。そして、ついに9か月ぶりに、健康な女性の証ともいえる生理が、私の元へ訪れました。こんなにも生理がきたことが嬉しいのは23年間生きてきて初めてです。思えば、無月経になってからも、私は自分自身を自分によってがんじがらめに束縛し続けていました。苦しかったはずのに。辛かったはずなのに。休みたかったはずなのに。「心ざわざわ」で岡本さんに出会えたこと、みんなに出会えたこと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。私が、私を大切に、私をまるごと愛して手をかけてきたからこそ、自然な流れで生理がきたんですね。ありがとう、私。感謝しています。女性の健康にとって、とっても大切な生理。とっても、とっても素晴らしい体のリズムが私に戻ってきました。「生理がきちんとくるって、ほんとうにほんとうに素晴らしいことなんですよ。決して、自分自身を追い込んで痛めつけて、健康を失わないように心がけてください」。2か月間「コツコツ」歩んできた私への一番最高のプレゼント。また泣けてきました。私を信じていてくださってありがとう。ホルモン治療が始まるタイムリミット日に、生理がきたこと。この事実は、奇跡でもなんでもなく、運命とかそんなもんではなく、私がコツコツしっかり自分の足で歩んできたからおとずれたんです。その自信が私にはあります。これが、ドラマでも作り話でもなんでもなく、自分を否定しまくって自分の体をつねったり、食べまくって食べまくって過激な運動によって痛めつけてきたN.Uという23歳の女子におこった、真実の話なんですよ。100%ノンフィクションなんですよ。確かに歩んできた、私の事実なんですよ。みんな、信じてほしい。カッコイイことを言おうとしてるわけじゃないけど、でも聞いてほしい。怖いけど、はずかしかったり、不安にもなるけど、でもそのまんまの自分を見つめてほしい。声を聞いてほしい。それをそのまんま大切にしてほしい。自分をいじめないでほしい。もっともっと、自分に楽しみを喜びを与えてあげてほしい。不安でも何か一つでも、今日という日に行動にしてほしい。それによって何か一つでも、気づいてほしい。感謝してほしい。喜んでほしい。自分が美しいことに少しでも早く気づいてほしい。行動すれば、絶対結果がでるから。私が、体験したんだから。それは約束できるよ。なんでもいいから。今日から、何か一つ、動いてみてね。

私にとっては「コツコツ」することは、無月経を治すことにポイントをおくというのではなく、「あるがままの自分を受け入れてもっと自分自身を愛してあげたいという強い思い」から歩み始めてきました。2か月経ち、その間毎日メールしてたわけじゃないし、過激な運動もたまにしてたし、過食もしたし、チューイングもしたし「優等生なコツコツさん」じゃぁなかったでしょうね。幸い!?岡本さんに叱られることは一切ありませんでしたけど(笑)でもね、「優等生」じゃなくても別に良かったんですよ♪その時その時で、私が考えて動いてきたから、三位一体がホッとしたから「生理」という健康的な正常のリズムを起こすことのできる力が私に戻ってきたんだと思うし。今日、私がいくら顔が見えなくても公言するなんてはずかしい!!と思う「無月経」について悩んでいるみんなに伝えたいこと。「動く」ということです。そうです。単純に「動く」ということです。「あるがままの自分」で「動く」ということ。今からでもスグにでも!誰かに支えてもらいながら、助言を受けながら、歩むことは、とてもありがたいことですよね。でもね、絶対に「自分が」動かないと、なにも起こらないんですよ。「気づき」を確かなものにするのも、動いてなんぼなんです。動けばわかる。ほんとにこれですよ。動けば、一つ一つ自分の中の不思議や謎がゆっくりと解けていきます。今、まったく動いてない方や、ある意味運動不足型な方は、私が今言っていることが意味不明で、この若造何言ってんの!?!?って思われるかもしれませんが、でも、私体験したんですもん。これが、真実です。差別なく誰にも起こる真実なんです。「コツコツ」の歩みは、100人いたら100パターンありますよね。それぞれが違う歩幅で、いろんな世界を歩むことになる。でも、同じなのは、みんな同じ「シアワセ」の方向を向いてるってことですよね。それから、「コツコツ」の歩みで、100人みんなが最初にすることは、「動く」ことですよね。はじめの1歩がドキドキしたり、10歩目くらいで、怖くなって逃げたくなったり、体をつねりたくなったり、体重計に頻繁にのりたくなったり。でも、大丈夫なんですよね。あなたも、アタシも、もう「1歩」動きはじめることができてるんですから。あとは、ゆっくりゆ〜〜っくりでいいんですよ。誰も時間制限なんて言いません。大丈夫なんです。「コツコツ優等生」なんかじゃなくっていいよ!!!泣いても、体をつねっても、ゆっくりでいいんです。自分だけの、オリジナルリズムを作ることにルールは存在しません。「自分の感覚」で生きていくことは私も今も不安に思うこともありますが、けっこうな割合でそれに従うことは気楽で、翌朝ルンルン♪なことが多いですよ(笑)私と一緒に「女性の健康美」を楽しんでくれる方が1人でも多く増えてくれるといいなぁ〜と思います。この文章を読んだ方、読んですぐなにか動いてみてください。玄関の靴は必ずそろえる。とか、冷蔵庫の中を掃除する。とか、自分に合ったサイズの洋服でオシャレしてみる。とか、誰かに「ありがとう」とか言っていみる。とか、借りっぱなしだった図書館の本を返しに「今すぐ」行ってみる。とか。私は、なんでもいいと思いますよ〜。魔法はね、自分が動いたから起こっているのかもしれないんです。(N.U)
皆様のコツコツ〜感謝できることに感謝〜
メール日記を始めてから、感謝が増えました。「いいところ探し」の継続の成果はすごいですよ。「自分では、マイナスと思っていたことも、視点を変えればプラスになる」過食は、好き・・・とは違いますね。やっぱり失ったものが多いですし、こうやって、今、現在、体もガタガタですし(笑)。ただ、それがあったからこそ、こうやって、理香さんにも出会えたわけですし、自分の人生を見つめることが出来ているのですから、その点では、感謝かもしれません。もし過食症になっていなかったら、ホントに傲慢で鼻持ちならない人間のまま、ここまできていたでしょう。そして間違っても、ナースの道は歩まなかったでしょう。今は、いろんなことを体験して、感じていく時期なのだと思います。これまでは「泳ぎ方の本」っていうのを読んでいるばかりだったけど、今やっと海に飛び込むことができたって感じかな?当然、頭での理解と、体での理解は別物ですから、おぼれそうになったり、水をいっぱい飲んでしまったり・・・そんなことの繰り返しです。でも、飛び込まない限り、泳げるようにはならないですもんね。そう悟って、毎日、生きている感じです。

1か月半継続しての感想「私ってけっこういいところあるんだな〜」と思えたことが、大きな収穫ですね。今まで、ダメなところ、できないところ、そういう面しか見ることが出来なかったので、自己肯定感が、前より持てるようになったと感じます。正直、続けることに何の苦痛もありませんでした。今まで、日記も家計簿も、いつも三日坊主でしたが、理香さんから、毎日、温かいメッセージをいただけていたからだと思います。長所を見つけるのが大変になりつつありますが、もう少し続けさせていただきます。自分のために、同じ悩みを抱えているたくさんの方のために。

メール日記を4ヶ月間継続している!飽きっぽい私にしては、すごいことです。 本日は夜勤です。学校が休みなので、のんびり過ごしました。久しぶりに台所に立ち、「野菜たっぷりおじや」を作りました。おいしかったです! こんな風に、のんびり、ダラダラ過ごすことに慣れていない自分がいます。どうしても、責めてしまいそうになるんです。「こういう時に、普段できないことをするんだよ!」と、お尻をたたきそうになる自分がいます。 でも、出来ないんです。今は・・・。もう昔のようにがむしゃらになれないんです。自分を大切にしたいです。 とろくても、へなちょこでも、前を向いて歩いている自分・・・。大切に大切に育てていきたいんです。確かに行動は必要です。考えているだけでは、何も変わりません。でも、内側の自分の声をちゃんと聞きながら、行動していきたいです。その声を無視して、がんばろうとしたから、どうにもならなくなってしまったんですものね。ここらへん、微妙です。正当化して、現実逃避をしている状態と紙一重なので。でも、結果はちゃんと表れます。 単に現実逃避をしている時は、心は楽になっていません。言い訳ばかりですし。自分を責めちゃっているし。 背伸びをしないで、ダメなままでも歩いていく・・・それが出来ている時は、心が軽いです。自分の心はごまかせないですね。

今日、アジの干物をきれいにいただいた後、褒められました!そういえば、いつも褒められます。単に、食い意地がはっているだけと自分では思っていましたけれど(笑)。確かに、「食い散らかしている」って感じではなく、美しいです!今日は仕事がお休みでした。平日の休みは、学校があるので、遠出はできませんが、午前と夜の仕事がないので、のんびりできます。今日は午前中は人と会っていました。午後は学校でした。授業が、どんどん専門的、実践的な内容になってきて、今までの付け焼刃が全く通用しなくなってきました。その場しのぎで、どうにかテストを乗り切っていただけで、全く身についていませんでした。ま、それを責めても仕方がありません。ここまで、投げ出さずに続けてきたことは素晴らしいのですから。私自身の成長ということだけでいえば、よくぞ、ここまでやってきたね!と褒められますが、客観的に、正看護師を志す者としては、あまりにも、甘すぎました。とにかく、そのことは、きちんと認めて、受け止めます。でも、だからといって、自分を蔑むことはしません。人との競争ではなく、どんなにスローペースでもいいから、最後まで、やり遂げたいです。ただ、しかめ面をして、苦しみながらやるのはイヤなので、明るく、笑いながら、やっていきたいです。プライドの高さが、自分の成長を妨げていました。こんなかっこ悪い自分を見るのもイヤだし、ましてや人に見られるのもイヤ・・・といって、やめてしまうのが、今までの生き方でした。その真逆を、やっていきます。力を抜いて、楽しみながら。 夕方から、久しぶりにおじさん夫婦宅へ行きました。おばさんの愛情こもった、ちらしずし、おいしかったです。お土産に持っていったロールケーキも、3人で、一本をたいらげました(笑)。おしゃべりしながら、ゆっくり味わって、食べることができました。昔は、帰る途中に、「ペースが乱れちゃったから、もうどうでもいいや!」と自暴自棄になり、コンビニ過食をしたことも多かったです。でも、今夜はそういう気持ちがわきませんでした。ただ、おじさん、おばさんに感謝でした。引きこもり生活を抜け出してから、世界が広がり、対人関係もグンと増えました。毎日のニュースも増えました。この1日1日の体験を積み重ねることが自信へとつながっていくのでしょうね。今日も全てに感謝です。

今日も1日、仕事でした。いろいろありますが、こうやって、毎日元気に働けることに感謝です。このメール日記を始めてから、感謝が増えましたね。「いいところ探し」の継続の成果はすごいですよ。だって、今までは、自分の嫌いなところ、ダメなところ・・・そういった方向だけに意識が向いていて、そのことを嘆いたり、悲しんだりしていたんですよね。180度の転換です。正直、長所のネタを探すの、けっこう大変なんです(笑)。で、1日かけて、見つけ出すわけですが、それって、自分の良いところ、好きなところに意識を向けているんですよね。ずーっと。そうすると、魂が喜ぶんでしょうね。きっと。いろんなことに感謝できるようになりました。「感謝できることに感謝」です。

童心に帰ることができる。今日は、遠足があり、遊園地に行ってきました!思い切り遊んできましたよ〜。この年齢で遠足?って感じで、本当は休みたかったです。しかし、休んだところで、待っているのは、膨大なレポート提出。それならば、参加しちゃった方がいいよなと、渋々行ってきました。ところが、アトラクション乗り放題のチケットを渡された途端、すっかり童心に帰り、思い切り楽しんじゃいました(笑)。久しぶりに「ループ・スクリューコースター」に乗りました!絶叫しましたよ〜。で、すっきり爽快です。ランチもレストランで、おしゃべりしながら、おいしくいただくことができました。とにかく、昔できなかったことを、今、1つ1つ、体験できていることに感謝です。ホントに青春真っ只中ですね!

毎日、休まずに学校にいくことができる。当たり前といえば、当たり前ですが、高校時代、不登校をしていた私が、この年齢になってよくやっていると思います。腰椎捻挫で2週間休んだ時を除けば、無欠席です。休み明けというのは、いつになっても憂鬱です。これから学校へ行き、そのまま夜勤に入ります。平日の夜勤はその前後に学校が入るので、ホントにしんどいです。正直、今、行きたくない気持ちでいっぱいです。でも、そんな気持ちはそのままに、体を動かしていこうと思います。それが、今の私のやるべきことですね。気持ちにひきずられないこと。でも、その気持ちを否定しないこと。では、いってきます。理香さんからのメールを読むことが今の私の支えになっています。ありがとうございます。

トイレをきれいにしている。これも理香さんのところへ行って、すばらしいなーと思い始めたことです。たいしたことではありませんが、部屋のトイレ掃除は毎日します。それと、外出先とか学校でトイレを使用した時、簡単ですが、汚れていたらちょっと拭いておくとか、ゾウリをそろえておくとか、そんなことをしています。今回の夜勤は、忙しかったですが、あとの2人が先輩ナースで、いろいろ学べました。学校でも、睡魔と戦いながら、授業を受け、無事に帰ってきました。ホントにお疲れ様でしたって感じです。今日は早めに寝ることにします。おやすみなさい。

音感が良い。子供の頃、ピアノをやっていたことがあるせいか、耳が良いのか、音感が良いようです。今日は休み!午前中はママさんコーラスの練習に参加しました。楽しいです。先生が歌うようにしゃべる人で、いろいろ学べます。午後は知人のお見舞いに行き、夜はおじさん宅で夕食をごちそうになりました。おじさん宅ではもりもり食べてしまうので、帰る時は苦しいくらいです。食後のお菓子も山のように食べてしまいました。どうしても腹八分にできません。でも、それで投げやりになる、コンビニであれこれ買う・・・という今までのパターンは卒業したいです。今日も真っ直ぐ帰りました。過去の習慣って怖いです。染み付いてます。明日はテスト・・・全然、頭に入りません。また逃げたい病が出ています。

休まずに仕事に行っている。学校と同様、とにかく昔のことを考えたらすごいことです。ホント。今日は本当に朝起きるのがつらかったです。できることなら休みたかった。でも、やすんだところで、楽になるわけではないのはわかっていましたし、重い心と体で仕事に行きました。今日はバタバタと忙しかったですが、患者さんの笑顔に救われています。こんな私を受け入れてくれている全てに感謝なのです。学校へ行くのは、もっともっとイヤでした。興味が持てないと、全く頭に入りません。あまりにも、ムラがあります。できる科目とできない科目の。それから仕事に戻り、夜帰ってきました。過食したくて、したくてたまりませんでした。でも、帰ってきました。なんだか、疲れました。長い1日でした。ただ、思うことは、逃げないでよかったということです。それだけです。でも、さえない自分とつきあうのは、イヤになりますね。

人に恵まれている。何というのでしょうか、自分から人を避け、悲劇のヒロインになっていた時期が長くありましたが、振り返ってみれば、人に恵まれています。いつでも、どこでもいい人がいました。理香さんにめぐり合えたこともその一つですね。過食をしないといいことがたくさんあります。まず、朝の目覚めがいい!体が軽い!よく動ける!頭が働く!ゆうべはモンモンとしていたところもありましたが、お風呂に入って、すぐに眠れてよかったです。コンビニに走らなくて良かった。今日はめずらしく早起きして、ゴミ出し、洗濯、部屋そうじしました。気持ちがいいです。

何があってもくじけない。よく落ち込むし、凹みます。でも、やっぱり最後は立ち上がります。夜勤前に美術館に行って、絵画鑑賞してきました。こういう時間を意識してとるようにしたいと思ってます。仕事はしんどいですが、ウジウジと家にいるよりはいいですね。

小さなことに感謝できる。これはメール日記のお陰ですね。今日は一日仕事でした。帰りに、ちょっと気まづくなっていた同僚とご飯を食べました。すごく自然に、笑いあえました。嬉しかったです。でも、ちょっと疲れてます。休みたいですね。どこかで無理してるのかな?過食したくなってます。

いばらないところ。元々は自己中心的で、高慢ちきでしたが、社会にもまれて、変わってきました。夜勤を終え、ヘロヘロでしたが、学校へ行きました。帰りに1人でファミレスに入り、豆腐ハンバーグ定食を食べました。もっと、ヘルシーなレストランが増えて欲しいですね。今日、職場の人事異動の発表がありました。同僚から電話が入り、自分の異動を知りました。覚悟はしていましたが、ちょっぴり不安です。入職して、1年・・・やっと慣れてきたかなって頃に、また新しい環境へ移り、一からのスタートです。でも、住めば都ともいいますし、受け入れてやっていくのみです。

現実から逃げないところ。昨日は本当に凹んでいましたが、今日は逃げずに再試を受けてきました。昨夜の過食欲求は半端では、ありませんでした。でも乗り越えました。理香さんのお陰です。そして、大切な友人の存在のお陰です。とはいっても、あまり勉強はできていなくて、仕事へ行くのも、足取りが重かったです。でも仕事して、憂鬱でしたが、学校へ行き、再試を受けました。逃げないで、良かったです。先生と話すことができました。もう少し、やり続けてみようって思えました。

今日は久しぶりに、フルでお休み!朝から、ちょっと友人の所へ行ってきました。新しい環境で、それこそ頑張っている彼女なので、別に行ったところで何もできないけれど、ただ、彼女の顔が見たくて。今の私にとっては、本当に大切な友人です。頑張りすぎちゃって、疲れちゃう人だから、「もっといいかげんでいいよ。十分頑張ってきたんだからね」って、伝えたかったです。そして、本当に、一緒に幸せになっていきたいっ思っています。それから、新宿へ行き、知人が出品している美術展を観て、さらに上野まで足をのばし、「レオナルド・ダ・ビィンチ展」を観てきました。 今日は芸術三昧でしたね。でも、人が多くて疲れました。地元に帰り、一緒に行った方と回転寿司のお店に入りました。相手があまり食べない人だったので、私も控えめに5皿止まりでした。ホントは思い切り、30皿くらい食べたかったです。別れた後、過食したくてたまりませんでした。でも、昨日、理香さんにアドバイスいただいたことで、疲れた時は過食するっていう勘違いのパターンが出来上がっていることに気がつけたので、それを言い聞かせながら帰宅しました。 「今日はランチだって、しっかり食べたよね?今は、ホントは過食したいんじゃないよね。疲れて、イライラしているんだよね。だからといって、過食しなくちゃいけない!っていうのはちょっと違うのかもね。今必要なのは、ゆっくりお風呂に入って、寝ることじゃない?疲れているんだよ。休んだほうがいいよ」って感じで、自分自身とずっと会話していました。とにかく無事に帰宅することができました。今、この瞬間も食べたいです。でも、寝ることにします。ホントに毎日、こんな葛藤の繰り返しです。でも、最近、女性の友人が増えてきたことが嬉しいです。慣れていないことをするのだから、疲れて当然ですよね。ゆっくり、ゆっくりやっていきたいです。(Y子)
◇NPO法人 心ざわざわ Top<皆様の言葉

神戸市北区東有野台4丁目15  NPO法人 心ざわざわ 理事長 岡本理香
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