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◇NPO法人 心ざわざわ Top

神戸の六甲山、標高330メートル、有馬温泉駅から徒歩20分ほどの所の自宅を拠点にざわざわの活動をさせていただいております。
かかわりのある方、それぞれの回復過程を歩まれており、皆様、それぞれの歩みは異なりますが、共通する部分もあります。
回復過程の道筋は異なりますが、どの方にも共通するだろうと私が考えていることは、皆様、本人様も親御様も関係者の方々も、それぞれが一人の人間であるということです。
それぞれが一人の人間として、自分という責任を背負って、自分の人生を「いわゆる大人に成長する」ことが、この摂食障害の回復克服とも言えると思っております。
今日は私のことを少しお話させていただきますが、これはあくまでも私の体験で、私の回復過程も私の方法ですので、参考書にはなりますが、教科書にはなりませんことを御承知ください。
そして回復の道は、大人への成長の過程と同じ意味を持ちますので、人それぞれのペースがあります。スピードはそれぞれ異なりますので、比較しない視線をお持ちください。

私は、「なぜ摂食障害が長引いたか」を考えます。知ることから逃げていた自分がいました。
知ることをしなかった間、摂食障害を抱えていました。知ることをしたその日に症状を手放しました。現実を知ったということです。
頭ではわかっているんです。というのは、ぜんぜんわかっていないということです。
そして、摂食障害が、自分を守ってくれた転ばぬ先の杖だったことと、自分は井の中の蛙大海知らずだったことを、克服して痛感しました。
摂食障害を抱えているから、何もできないというのは、言い訳です。逆なんですよね。何かあるから、摂食障害で自分を守っているんだということを知ってください。

まず、最初に、お伝えしたいことが3点あります。
私は、23歳に拒食という症状から摂食障害が表面化しました。摂食障害の立場を、克服ラインだと自分で思う36歳まで、摂食障害のクライアントとして体験を重ねました。
そして、摂食障害の20代の時に、精神科の思春期女子病棟で、専門的に摂食障害やボーダーラインのクライアントに対して看護師としてかかわりを4年間重ねました。専門的に勉強をしました。
そして、克服して、今、11年の歩みの中で、摂食障害の専門サポートをさせていただいております。
この三つの立場を経験しており、その体験を踏まえて、自分の中で確信したことや学んだことを踏まえて、標語とお約束毎と方針を掲げています。回復過程の歩みの中では、気づかないけれども、後で、なる ほどと気付かれるものばかりだと思います。
1番目。ざわざわの標語。五つの「A」。焦らない、慌てない、諦めない、アイメッセージで、ありがとう。(寄り道しながら、時間と仲良く、足元を知りながら、自分と仲良く)。三つの「K」。
コツコツ・経過・継続。(小さな一つのことの始まり〜経過〜終わりを自分の体で知る)
2番目。お約束毎。症状、拒食とか過食などの話、体重の話、食べ物の話をしないこと。
3番目。ざわざわの方針。「ヘルプはしません」。そして「サポートは喜んで贈ります」ということです。
この3点を基準にして、ざわざわの活動をさせていただいております。

私の回復過程の歩みの中で、非常に邪魔になったものがあります。これも私の体験ですので、皆様が同じとは限りませんので、参考になさってください。
先ほど申しましたが、比較しない視点をお持ちくださいということと関連します。比較という感情には、「思い込みの思考」と、プライドと負けん気が絡みます。
そこに、失敗したらどうしようという怖がりの性格が絡みます。それらがもつれてしまいます。私が10数年ここから抜けることができなかったので、摂食障害を抱えておりましたが、この部分を手放したその日に、症状がすべて消えました。
今、サポート側になり、ここでもこの比較という「感情」があると、非常にややこしいことになるなと思うことが多々あります。
比較って感情になるんですよね 。冷静な判断という客観視ができると、成長の度合いを知ることができますが、感情になると、サポート側も非常に邪魔になる感情です。
この比較ですが、皆様、大好きな感情だと思います。本人さんは、兄弟と比較、友人と比較、いとこと比較をしたり、親御さんは、世間体に捉われて比較しがちです。
もうひとつ、過去との比較もあります。この癖とも言えます比較という感情に自分たちが振り回されていることは、どうぞ今、知ってください。ここが非常に大事になってきます。
比較という視線は、基準が定まっていない状態では、邪魔になります。
自分という基準が、現実を踏まえて、そこから視野を広げる場合は、プラスになりますが、自分が自分であるという感覚がない場合には、焦りを呼ぶものであり、無理をしてしまうという妄想も呼びます。
比較に関連して、もうひとつ。私が抱えて手放さなかった感覚が、老い、加齢という現実に対する恐怖心からの逃避です。
変化が怖いというよりも、一番いい状態で留まっていたいので、自分は歳を取らない、そして、親はずーっと生きているという気持ちがありました。
現実を受け入れることがまったくできなく、変化を恐れる「あかんたれの怖がり」の子供のまんまで成長を止めていたのですね。これも比較しているということです。
老いを見ないふりして、今を見ないで、今の自分の出来ないことを見ないで、何も知らない状態に自分を追い込んでいましたので、そこから抜けるのに非常に時間がかかりました。
もうひとつ、今思うと、はっきり申しまして、邪魔になったという表現は大変失礼なのですが、「周囲のヘルプ」です。
特に「母親からの経済支援」は成長を遅らせて、今を見ない娘に、輪をかけて、今を見ないように支援していたと思います。
もちろん母親の愛情には心から感謝し、今も母のことを尊敬しております。
その愛にしがみついて、変わることをしなかったのは、自分自身の怖がりの性格でしたし、その時の「今」を見ずに、誰かが何とかしてくれるという現実逃避をしておりました。
いわゆる「ぬるま湯」だったと思いま す。微妙な駆け引きだったとも思いますし、まさしく、これが母親の愛なんだとも痛感しております。
この部分は、今のざわざわの親御様の気持ちがだぶります。
ただ、私の場合は、20歳代に8年近くかかわってくれた父親代わりの主治医がおりました。
当初は、気づかなかったことばかりですが、今、本当に今になってじわじわと私の土台を築く時期だったんだなと思います。気づきは、すべて後からやってきました。
主治医は、私が感情を知って、甘えたい時に、傍にいてくれて、どっぷりと甘えさせてくれた存在でした。8年ほどの付き合いでした。
そして、主治医の元を旅立って、もがき続けた5年間。親には告知せずに、一人の友人にのみ告知していましたが、今思うと、主治医は、いつも心にいてくれた存在でした。
執着ではなく、お守りのような存在でした。
一昨年の冬。14年ぶりに、主治医に逢いに出掛けました。現役でご活躍のお姿を拝見し、色々なことを知りまし た。
すべて後から知るのですね。懐かしい気持ちが交差する中で、私は「先生、私、這い上がってきたよ」と伝えました。目を瞑って、大きく頷いてくれた横顔を見て、親の愛って、これなんだなって、改めて感じました。答えは、自分の心の中にありました。
時間がかかることが証明されていますが、この主治医とのかかわりが根底にあったからこそ、ある日突然抜けだしたんだとも気づきました。主治医のかかわりは、これが実はサポートだったんですね。

もうひとつ。成長の過程の歩みの中で、時期というものがあります。この摂食障害という症状が出た時点が、回復の一歩目ですので、その初期の方、中期の方、回復が進んできた方そして、その時期を迎える、ご本人さんのその時点での年齢も大事です。
この年齢は、周囲の方の対応の方法がまったく異なりますので、今、自分はどの時期にいるのかな?今娘、息子は、どの位置にいるのかな?と常に意識していただきたいと思います。
初期の方、10歳前後学童思春期に発症した方は、ざわざわでも、親御さんだけの集会などは、別枠で設けておりますし、ほとんどが個人の面談にしております。

話を整理しますね。これだけは知っておいていただきたいこと。まず1番目。特に本人さんに伝えたいことです。回復とは、答えは大人になること。これです。
自分の足で歩くことです。次に2番目。特に親御さんに知っていただきたいこと。心ざわざわでは、「ヘルプはしません」ということです。そして「サポートは喜んで贈ります」ということです。
3番目に、ざわざわのお約束ごとは、症状、拒食とか過食などの話、体重の話、食べ物の話をしないということです。ただし、生理学的に栄養学的に、知識の提供はいたしております。

この3点を根底に、皆様にお伝えしたいことは、「知る」ということをしてくださいということです。
意外に知るというのは難しいのですが、回復を歩んだ私の経験上、この知るということが非常に大事になると感じております。知るとは、単に知るだけなのです。
感情は入りません。感情を放置して、目の前のことを体で知るだけなんです。
ここで誤解されやすいのが、感情を放置するのは、感情を抑えるのではなく、どんな感情を抱いてもいいので、例えば、嫌な感情も腹が立つ感情も自分の感情ですので、たっぷり抱いて、どっぷり浸って、それを横に置き、今するべきことを体で動くということです。
摂食障害は、感情のコントロールが未熟で感情に振り回されて頭で妄想を描く、行動の病、すなわち、5歳児 の子供のまんまの大人だと思います。
私も今考えると恥ずかしいくらい子供だったなって思います。そこで大事なのは、周囲の方が、いかに大人の対応ができるかなんですね。
親御さんは、皆様、素晴らしい方々ばかりで、子供さんの病気を心配して、一緒に取り組もうとしてくださる愛情の深い方だと感じております。
ざわざわでもたくさんのお母様方と交流させていただいておりますが、いつもいつも頭が下がる思いでいっぱいです。
それぞれの子供さんも、素直じゃないので、表現が下手くそですが、親御さんには心から感謝しているはずです。
そこで、もうひと山越えるためにも、大人の気持ちでがんばっていただきたいと思います。
親御さんには、「今までこうだったから」を「今はこう」。「私が何とか しなければ」を「信じて待つ」へと気持ちを広げていただき、肝心なことは、「自分を知る」ことから始めようと視点を換えていただきたいと思います。

前置きが長くなりましたが、ヘルプしないがサポートはするということで、サポートは、自分ができることだけ、相手の時期に必要なことだけという意味も捉えていただきたいと思います。
例えば、風邪をひいたとします。細菌が体の中で体の細胞と戦いを始めます。血液が総動員して白血球が増え、熱が出ます。この時に、体の抵抗力がどの程度あるのかで、回復の速度が異なってきます。
人間の体は自然治癒力が必ずあります。抵抗力が強い方は、細菌が体に入ると、発症する前に処理しますね。発症しても、抵抗力があれば、自分の力で治ります。
この時に、ヘルプとは、その体の持ち主に代わって、体の中に入り、細菌と戦ってあげることですね。その前の段階のヘルプとは、風邪の菌がない空間を作って、 その中だけで生活をするように促すことですね。
おわかりでしょうが、これはおかしな話です。サポートとは、風邪をひいた時に、熱をさげるために、首や脇やそけい部に氷を置き、血管を冷やしてあげる氷自体のこと、もしくは氷を提供してあげる行為です。菌の活動を弱めるために薬を服用することの、この薬自体もしくは薬を処方することですね。水分補給をすることや安静にすることなどもサポートです。
また発症する前では、健康管理に気をつけること、うがいをするなどを言います。
疲れたら休むなどもそれです。ここで注目していただきたいのは、ヘルプは体の持ち主が何も知らないってことです。
現実を知ろうとしていない、知ることから逃げることができる状況を作っているということです。
サポ ートの場合は、風邪をひいたと知っているので、自分で対処しますし、また対処をしてほしいと自ら申し出るという行動をするということです。
サポートの場合ですと、風邪をひくとしんどいし大変だと知るので、次は引かないように気をつけようという気持ちが生まれて、それを抵抗力とも言いますが、知識が知恵になっていくのです。
これは何度も経験を重ねて自分で体得することなのです。サポートは自分自身でもできるということなんですね。
これを成長過程と置き換えて考えてくだされば、私が言わんとしていることが、皆様に伝わっていると思います。
サポートをするという知識を贈りますので、それを知恵にするのは、自分自身の行動なのですね。

それが今回のテーマ「高嶺の花を羨む(うらやむ)よりも足元の豆を拾え」に結びつくのです。

回復過程では、私自身と、私の傲慢なプライドと強固な負けん気との戦いから始まったとも言えます。頭の中の妄想と現実の自分をそれぞれ知るということを一つ一つこなしていきました。
回復過程を歩む中で、症状はひどくなっていきました。しんどさも増していきました。

さて、私は、23歳のとき、精神科の思春期女子病棟に看護師として、勤務しました。その時に拒食が始まりました。初めは食べないだけだったんですね。意味も分からず食べないだけだったんですね。
自分が摂食障害だとは、思っていなかったんですよね。当然、その時は、分からないですが、回復して分かったこと、拒食症状を出した時点が、私の回復の一歩目だったと思います。症状が出始めた時が、すでに、回復への第一歩目なんです よ。 今思うのですが、その時は、まだ5歳児の感覚ですから、ふわふわしていた自分が、社会という現実に絡まるようにして、崩れてきたんですね。
私は、それまでは、教科書どおりで、よく言われるいい子で成績優秀ですね。ただ、何となく周囲に溶け込めない自分を感じていました。いつまでも学生でいたいなと、それも思っていたようでした。
そう、怖がりだったんですよね。大人になりたくないって思っていました。これは、いろいろな経験が少なかったこともありますし、兎に角、失敗をしたことがなかったんですね。
体で覚えて、いろいろなことを知っていくことを、まったくしていなかったようなんで、それで、自分の土台がなかったんですね。いつもいつも不安のままで、フラフラしていたんですね。
土台がないのに、ビルを建てるのに、屋上から作っていた感じですね。基本という土台。ビルを建てるのも、まず基礎工事からですよね。基礎をしっかり作って、そこへコツコツ積み上げていくからこそ、素晴らしい建物が出来上がるんですよね。基礎がしっかりできていると、アレンジもできますし、堂々としていますよね。基礎がきちっとしているからこそ、自分の世界が築けるんですよね。
基礎がないと、自分というものがなくて、いつも不安定で怖い。誰かの基準に、その時その時にしがみつくんですよね人って、いろいろな感情があって、いろいろな自分がいて、それらを大きくひっくるめて私。これも私、あれも私、大きく捉えて一人の人間、いろいろある自分が、それぞれ点。点が繋がると線になり、 線が合わさって、面になっていくという感覚ですね。私は、渦中の時は、それぞれが孤立した点だったんですね。一点一点が、バラバラの点で、どれもこれも、私ではなかったんですね。何もかもがいつも他人事だったんですよ。褒められても、自分が褒められていない、点が褒められているんですよね。
自分のものにならない。特に失敗したことや叱られている時は、絶対に私ではないんですよ。その点が叱られている、その点が失敗したんだと思っているんですね。言い訳とか誰かがこうしたからだとか、後悔の嵐なんですね。反省すれども後悔はせずといいますが、堂々巡りなんですよね。次に繋がらないんですね。

嫌な感覚は、リセットボタンひとつで消したいと思っていますので、夢の中へひたすら逃げ込 んでいましたね。
点がまったく繋がっていない状態だったんだと思います。私はだれ?という感覚ですね。
これがちょうど、誰もが迎える思春期のもやもやした時期です。アイデンティティを確立する時期の気持ちなんですね。
このモヤモヤを抱えきれない土台のない私は、何かに逃げ込み始めたんですね。基礎がない子供のまんまの大人ですので、重たい荷物を抱えることができないのです。とにかく逃げました。逃げて逃げて逃げまくりました。精神的に。なぜ逃げるかというと、自分自身が持っている妙なプライドと、ものすごく強い負けん気が、その逃げの道へと引っ張り込んだんですね。
私は摂食障害という逃げ道を選択したのですから、ここは自分で選択した唯一のものだったのかもしれません。
よく皆さん、症状があるから〜ができないと言いますが、逆なんですよね。何かあるから、症状が出て、それを緩和してくれて、摂食障害が自分を守ってくれているんですよね。
ここを勘違いしている方が非常に多いんですね。そこでざわざわのお約束ごとが効いてきます。 講習会や面談で、まず初期の方や始めてお逢いした方に訊ねます。「症状や食の話、体重の話をしないで、今、一番何が悩みですか?」と。すると皆さん「???」言葉が出ないんですね。「なぜ講習会に参加したの?」と訊きますと、「症状があるので、治してほしいし、悪いことだから、これがあるので、何もできないし、苦しいから・・・」と返ってきます。

回復したからこそ知ったことばかりです。頭で分かっているという言葉は、何もわかっていないということだとも、克服してから知りました。
頭の中は理想であり、体が知ることが現実なんですよね。 回復ラインの目安に「私は私やし、まあええか。しゃーないな」という言葉が自然に出てきます。
今日はここまででええわって。今することは、今するけれども、明日でいいことは、今しないという思いですね。結果にとらわれないで経過を楽しめる余裕ですね。
今すぐ答えを出さなくていいものもあるのですね。延々と答えの出ないものもありますし、人って、生まれたから、死ぬまで、ずーっと元気な人はいませんしね。少しずつ、本当に少しずつ、グレーの感覚を知るんですよ
。 ずーっと抱えてきた妙に高いプライドやカチカチに固い負けん気は、社会生活をする中で、嫌でも体で知ってきました。最初に申しましたが、風邪の菌に対する抵抗力がついてきたのですね。
同時に知ること、感情放置することを知ってきましたので、摂食障害に助けてもらうことも必要がなくなりました。
しかし、現実が目の前にどーんときましたし、自分で自分という責任を背負って歩かなければなりませんし、まだまだプライドや負けん気が渦巻きますので、頭を下げることや一歩引くことはしんどくて仕方ありません。

克服ラインの1999年から、心ざわざわのタイトルで、シリーズものとして、年に1冊ずつ出版しており、シリーズは9番目まで、そして回復過程をつづった「死んだら、アカン」今年は11冊目の「摂食障害」私の中の一部分までコツコツの歩みがあります。今読み返して、1年ごとに、少しずつ大人に成長しているんだなと、自分でもわかります。「心・ざわざわ」歩き続けては、2001年発行ざわざわシリーズ第3番目です。私が克服して3年目に執筆した出版本です。症状に逃げることを止めて3年目で、現実が、どんどん見えて、プライドも負けん気もボロボロになりながら、本当の自分を知り、自分の足で歩き続けていくことを実践していたころです。しんどくても苦しくても、自分が生きているんだという充実感を掴んだ 日々。これが現実なんだ、これが自分なんだ。その自分で歩き続けるんだとあふれ出る言葉をポエム風に書きあげました。ちょうどその時期に、森田療法とリフレーミングを体得し、責任の大切さと重さをどっぷり背負って、赤い鞄の中身を捨てていきました。すると、大切なものが、くっきりと見えてきました。自分の体の責任者は自分であると知りました。幸せの秘訣は「健康と健忘」という意味がわかった頃でした。心にも、体にも、余裕が必要なんですね。何かを誰かを「愛する」というのも、余裕が必要なんですよね。余分を流すと余裕が生まれました。

渦中の時と何が違うかといいますと、言い訳をしなくなった、何でもかんでも人のせいにしなくなりました。
自分という点が線に繋がり、自分が自分ですという感覚をつかんだころです。
離婚して、裸で何もかも捨てて大阪から神戸に逃げてきた頃に「覚悟を決めた」という表現をしますと、この時期は「肝が据わった」と言えるかもしれません。

心にサポートというじわじわの愛がありましたので、自分でやっていくしかないと思えたのだと思います。
現在の主人との出会いもあり、人とのかかわりが、アイメッセージで進んでいくのだと分かったころです。

「高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾え」〜回復から克服へ、それは大人への道のり〜
【動くことで知る】頭を下げることを知る。自分の位置を知る。 永遠はないことを知る。グレーを知る。捨てることを知る。自分で知る。
〜焦らない、慌てない、諦めない、アイメッセージ、ありがとう〜 コツコツと日常の生活を丁寧に過ごすこと。これがすべての答えでした。

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