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摂食障害の私ではなく、私は私なんだ。このままでいいんだ
2008年10月面談後にメール療法を始めたH子さん(25歳)の卒業の言葉

◇NPO法人 心ざわざわ Top

諦めではなく、待つことの選択肢が生まれた
私の中で何が変わったのかと考えてみた。理香さんの「旬なのよ」という言葉がそのまま当てはまるかもしれない。
最初は、治してくれるもの だと信じ込んでいたので、自分で治すものだと突き放された気持ちだった。正直、症状が苦しいというよりも、人間関係がうまくいかないこととお金が苦しいことが悩みだった。何もしてくれない人にいつも怒っている自分がいるのを気づかされて、結局何かのせいにしないとやってられない自分が、現実から逃げていることも分かって、見たくない自分から逃げているんだと思った。こんなはずじゃなかった自分が、理想の自分を追い続けていることに目を向けていくと、辛かったし、しんどくてたまらなかった。今思うと、よくあんなに怒り散らしていたよなって、あきれる。
メール療法もはじめの1ヶ月目は面倒で仕方なく、とりあえず理香さんが気に入るように書いておこうくらいでやっていたと思う。足元の豆を見たか?自分で動いている感覚を掴んだか?と冷たいなって思う返信ばかりで、嘘を見抜かれているんだと、余計に苦しくなってしまっていた。「コメントは控えますよ」と言われたときに、どうして?と思った。何日も冷静に考えたら、私が理香さんの返信に沿ったいい子のメールを指摘されたんだとわかった。その頃に、やっと外にばかり何かを求めていたことにも気づき、自分の中を見るようになった。寂しいのは、何かが足りないから、もっと構ってほしいのに、だれも構ってくれないし、ガツガツしていたように思う。
メール療法をコツコツと続けることで、言葉では表現しにくいけれど、丁寧に意識して動くことが、今の私にどれだけ必要だったのかとか、土台がない、誤魔化しの自信で取り繕って生きてきたことも知った。イヤだった。知るのがイヤだった。でも知った。 自分の中に出来上がっていた理想の教科書を基準に、こう思わないといけない、こうしないとだめだ、それ以外は許せなかったんだな。グレー?わからなかった。モヤモヤは1秒でも早くすっきりさせたいし、モヤモヤは他人のせいで片付けていたんだな。理想の自分と現実の自分がまぜこぜになっていたのでは、フワフワしていてもおかしくなかった。理香さんのいう満足ラインを知らないから、もっともっとになるのもわかった。ただ、どうしたらいいのかがわからなかった。
メール療法を半年続けて、現実の自分を知って、それでも認めてもらいたいから、理想の自分で一生懸命に取り繕っているところもあるけれど、理香さんに、それでいいよって言われて、自分が納得してたらいいよって言われて、ハッとしたし、どんな自分でも自分だから、こうであらなければならないって、また頑なに決め込んでいた自分がいることも知って、でもその時は余裕があったのか大笑いできた自分もいた。 現実の自分は、認めてもらえないものだと決め付けていたし、それを見られたくないので、粋がっていた自分。自分を守ろうと必死だったけど、守りすぎて、身動きがとれなくなっていたんだ。
理香さんの言葉は、キツイと怖かったんだけれども、今思うと、新鮮だったんだ。経験がなかっただけで。人のせいにしない、きちんと頭を下げて謝ること、これをキツイと思っていたんだ。よく考えると、これって常識なのじゃないか、私を見捨てることなく、付き合ってくれている、いや常識を教えてくれているんだって、だんだんわかってきたし、私がこだわってきた、親の存在の代わりをしてくれているんだと気づいた。寂しいという気持ちが、なくならないことに、イライラして、どうしようもなかったけれど、理香さんの「渦中よりも、治った方が、苦悩でモヤモヤの日々よ、しんどいし、孤独よ」を聞いて驚いたし、すっきりしないのに生きているのかと不思議に思った。それも、だんだん理解できてきた自分がいる。大人ってこれかってイヤにもなった。
変わったこと、特に何もなくて、一皮脱いだという感じはする。守りすぎて固かった皮が少しやわらかくなると、外の景色が見えたような、だ からこそ、自分の足元も見えたような、自分で見ようとしたようだ。今だから、こうやって言葉にできるんだな。 メール療法もそろそろ卒業かなって言われたときに、本当は気づいていたけれど、理香さんが一人でやってごらんって背中を押してくれている こと。まだ怖かったから、しがみついた。冷たい人だとか、見捨てられるだとか、そういう気持ちにもなったけれど、自分の足元の豆をしっか り拾ったから、大丈夫やっていける。 これを書いてて思ったのが、本当に強い人が、本当に優しい人なんだということと、自分で自分をやっていくんだということは、現実の自分を知って、グレーの感覚で、理想もあり、夢もあり、ダメな自分もあり、いろいろ変わっても、変わらなくてもいいんだということだ。こういう考えもあるんだという、これも余裕なのかな。たぶん、理香さんからもらった一番大きな気づきは、待つという姿勢だったと思う。
できないことがある。これを認めるのは難しいけれど、知るだけでいいと教えてもらったことは、すごく大きい。知るだけをすると、何だか落ち着くというか、自分の中で辻褄が合うからだ。この方法は、これからも忘れずにいたいと思う。
この半年間、よく動いた自分を褒めてあげたい。動くといっても、たいしたことはしていない、普段の生活をきちんとしただけかもしれない。でも私にはそれが必要だったんだ。自信は動くとついてくるという理香さんの言葉が、ようやくわかった。これも動いたからだと思う。まだ不安はあるし、どうなるかわからないけれど、メール療法を卒業して、自分でやってみようと思う。とどまることを望んでいた私の背中を押してくれた理香さんに感謝。ざわざわは、長くいるところじゃないよって、踏み台にして、旅立っていきなさい、振り返らずにって、この言葉の意味がよくわかってきた。旬にざわざわと出逢えた。だから、私、旬を逃さずに卒業します。


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