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◇NPO法人 心ざわざわ Top>回復への道

メール療法に取り組んでらっしゃる皆様、メルマガを毎日読んでくださる皆様、面談や講習会などにご参加くださっている皆様

いつもありがとう。それぞれのペースで、コツコツ歩んでこられました。素晴らしい方々ばかりです。
確実に成長をなさっています。メールを送って下さるという意識が、何よりも素晴らしい経過であり、継続であり、結果であり、成長の過程なんですよ。
皆様のコツコツを評価しています。取り組む真剣な気持ちは何よりの宝物ですよ。コツコツ瞬間を丁寧重ねてまいりましょう。今日もメールをお待ちしていますね。

体。食事を制限すれば、必ず過食が訪れますよ。嘔吐をすれば、必ず過食が訪れますよ。
心。嫌なことから無意識に逃げていると、過食で誤魔化しに入りますね。
頭。〜しなければならない固定観念は、食に拘り習慣化してしまいますね。
お気づきでしょうが、過食は、トップバッターではありませんよ。何かがあるので、アンカーに過食が待っているのですね。

「無事是貴人」この言葉を読むと、何事も起こらず良かったねと感じてしまいますね。無事とは、何もしないことを指すのですよ。自分の中にいろいろな点の自分が存在しています。あれも、これも、それも、全部あるんですよね。外に求めなくても、自分の中にすべてが備わっているんですよ。まず自分を知ること。ここを意味しますね。どんな点があるかな?そして素直な純な点の自分がいることを知るのですね。これを知った方を貴人というのですよ。コツコツ知る。メール療法を頑張ってくださっている方々は貴人を目指して、コツコツ成長なさっています。
まず「知ること」ですね。自分の動きを知る。自分の感情を知る。自分の考えを知る。 それらは「今」の自分を知るのですよ。
無意識の部分の「今の自分」のそれらを知る。ただ知るだけなのですよ。

メール療法は、自分を知る作業ですね。自分と向き合う自分のための時間ですよ。そして、講習会や交流会は、人生の勉強とも言えますね。
自分が自分の足で自分のために歩くための人生の勉強なのです。誰も何ともしてくれませんね。自分の足で歩くのですものね。
これらは、すべてコツコツの積み重ねなんですね。

下記言葉を読んで、自分を知ってみよう。
「日常の生活って、小さなことを淡々とこなすだけなんですよね。幸せって、足元の豆なんですよね」
「即決、結果が好きな方ばかりですね。大事なことは、焦らない、慌てない、諦めない」
「身支度ができないのに、試験で満点をとっても、意味がないですよね」
「体調管理は、社会人として、自分いう一人の人間としての最低限の責任ですね」

症状が現れた時点が、回復のスタートラインです。
そして、克服とは、大人になることであり、生活の質が自分で納得した位置に落ち着いたということです。
今、どこに向かって歩いているかを自分で知っているかどうか?これが大事なんですね。
親のせいではありません。何かに執着し、それが恨みと怒りに留まることを強いている自分の心が、回復の道のりを歩こうとしないのですね。

ありのままを直視できるようになるまで、意識して丁寧に知っていくのですね。
今は、頭で生きているのです。体で生きるようになると、知っていくことがどんどん増えていきます。

回復とは、大人になることなのです。大人とは、諦めではなく、納得が増えることであり、好い加減を知ることなのですね。
そう固定観念の枠が柔らかいってことですね。焦らず、諦めず。コツコツと。まず自分で知ること、気づくこと、それを行動すること。
大事なことは、転ぶことなんですよね。たくさんたくさん転び、痛くて辛くて泣く。
そして、いろいろなことを体得し、体で掴んでいくのですね。曇りの日が多く、雨の有難さも感じながら、時折現れてくれる晴れ間に感謝できる、穏やかな自分が誕生です。

自分が分からない、モヤモヤして、不安で、寂しくて、どうしたらいいの?何とも言えない痛み。これは、誰にでもあるのですよ。思春期と言われる時期ですね。 皆さんのご両親も、かかわりのある先生も、世界中の人、皆が経験して、それぞれが乗り越えて、大人になっていく時期なのですよ。これがない人はいないのですよ。 異なるのは、乗り越えた人と逃げた人という表現ができるかな?大人になった人と大人になることを躊躇した人かな。今、皆さんは、大人になる道を自分で選び、それを乗り越えようと歩き出しました。素晴らしいことです。辛くて、しんどいのですよ。揺れて、悲しいし、寂しいし、苦しいのです。とっても痛くてね。それでも大人になる道を選んだ自分を大事にして、信じることよ。 周囲の方々が、もちろんざわざわも、あなたを温かく見守っていますよ。いろいろな自分の癖があることを知ってきたんですものね。自分と向き合ってきたんですものね。 ゆっくりと階段を上ることよ。ちゃんと見守っていますよ。ゆっくりとね。

摂食障害の症状を口に出す人は、まだ赤ん坊で、一番楽な時期。症状を抱えながらも、それに隠れた本当の逃げを知った時期が次にしんどい、そして症状を手放し現実逃避をしなくなった時期が苦悩する。そして、お尻に火を付けた状態は、責任を自分で背負い、自分で歩く、頭を下げることを知る時期、苦しみもがく。一番しんどいのは、完治宣言した位置にいる人。摂食障害に逃げて、他人のせいにして、人生甘く考えていたころは楽だった。それを、皆さんも、知ってきたね。治るとは、一歩引く、待つ、見て見ぬふりする、頭を下げる、自分のお尻は自分で拭く、自分として、自分の靴を履いて、転びながら怪我をしながら、歩くってこと。そう大人になることね。 人との境界線を知っている人や、苦しくない人や、嫌いな人がいない人や、悪口を言わない人などなど、そんな完璧な大人に逢ったことがない。この世にいないと思う。そんな人、人じゃない。ロボットだな。

皆、苦悩してモヤモヤして、誰かのせいにして、八方美人で、何かに依存して、ぐちゃぐちゃ言いながら、生きている。だから人なんだよね。ただ違うのは、いつも悲劇のヒロインになって、私だけ不幸だと言って、誰かに何とかしてもらおうと甘えている人と、人生そんなもんだよ、しゃーないわって、モヤモヤを抱えて歩いて、やるべきことだけは、何とかこなしている人の違い。前者は、自分で責任を背負って歩くのが嫌な人。後者は、自分という責任を背負って歩いている人。渦中より完治したら、 しんどい。治りたくないよな、大人はいやだよな。責任を背負って歩くんだから。

気づきは、すべて後からやってきました。主治医は、私が感情を知って、甘えたい時に、傍にいてくれて、どっぷりと甘えさせてくれた存在でした。8年ほどの付き合いでした。そして主治医の元を旅立って、もがき続けた5年間。一人の友人にのみ告知していましたが、今思うと、主治医は、いつも心にいてくれた存在でした。執着ではなく、お守りのような存在でした。一昨年の冬。14年ぶりに、主治医に逢いに出掛けました。現役でご活躍のお姿を拝見し、色々なことを知りました。すべて後から知るのですね。懐かしい気持ちが交差する中で、私は「先生、私、這い上がってきたよ」と伝えました。目を瞑って、大きく頷いてくれた横顔を見て、親の愛って、これなんだなって、改めて感じました。答えは、自分 の心の中にありました。

「人って、いろいろな感情があって、いろいろな自分がいて、それらを大きくひっくるめて私。これも私、あれも私、大きく捉えて一人の人間、いろいろある自分が、それぞれ点。
点が繋がると線になり、線が合わさって、面になっていくという感覚ですね。私は、渦中の時は、それぞれが孤立した点だったんですね。
一点一点が、バラバラの点で、どれもこれも、私ではなかったんですね。何もかもがいつも他人事だったんですよ。褒められても、自分が褒められていない、点が褒められているんですよね。自分のものにならない。特に失敗したことや叱られている時は、絶対に私ではないんですよ。その点が叱られている、その点が失敗したんだと思っているんですね。
言い訳とか誰かがこうしたからだとか、 後悔の嵐なんですね。反省すれども後悔はせずといいますが、堂々巡りなんですよね。
次に繋がらないんですね。そういう嫌な感覚は、リセットボタンひとつで消したいと思っていますので、夢の中へひたすら逃げ込んでいましたね。
私は、専門の病院で、摂食障害の看護をしている自分と、摂食障害の患者である自分、同じ自分ではなかったんですよね。点がまったく繋がっていない状態だったんだと思います。私はだれ?という感覚ですね」
自分を知ろうとせずに、誤魔化して日々を過ごしていると、旬に出逢うチャンスを逃してしまいますよ。素直な純な点の自分が、「ここにいるよ。見つけてよ」と叫んでいますね。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」 道元

思い出してくださいね。「知足」とは?足りていることに気づくのは、自分の行動で得る視野の広がりと心の柔軟さでしたね。
それらをそっと教えてくれるお話がありました。「オズの魔法使い」。それぞれに欠けているものを、自分の力で手に入れていく。本当は、自分の中にあったものなんですよね。主人公が、繋がりを知り、本当に大切なことが、こんなに身近にあったんだと体得していく行動の物語ですね。頭を真っ白にして、小説を読んだり、映画を観て、現実と妄想のメリハリを知るにも、「オズの魔法使い」は、あなたにヒントを贈ってくれそうですよ。

点がたくさん。それぞれ異なる思考感情行動を持つ点。その点が線になって面になって、私になる。諸々に拘る点。寂しがり屋の点。思いやりの深い思考の点。楽しいと思う感情の点。きりがない。これらは、全部自分です。だから、答えは、一つじゃないから、答えがないと同じようなもんです。 探すのが経過。経過だけでもいいと、私は思っていますよ。
悩むとか探すとか、これ大事よね。私は、答えが出ないことを知っているけれど、悩んだり探すのが好きなだけ。答えが出たら、もったいない。皆さん、答えを出すのに、全力投球するので、視野が狭くなるのね。グレーグレー。ぐちゃぐちゃ言いながら、モヤモヤしながら、ぐるぐるしながら、死ぬまで生きるのが人間らしさですね。

皆さんの特徴は?@答えを出さないといけないと思い込んでいるので、必死で答えを出す。A答えが出ないとモヤモヤするので、気持ちが悪くて、現実逃避で無意識の世界へ逃げる。B答えが出ないのは他人のせいだと思い込み、自分を正当化する。 大人になると、渦中よりも、モヤモヤして、答えも出ない。嫌なことだらけ、悩みも莫大、やってられないって不満だらけ。渦中の時は、楽なのよ。病気に逃げていればいいんだもの。@悩む⇒逃げる。これも即決、経過がないよね。A悩む⇒抱える。これがグレーよね。悩むのが大事なのよ。その悩む経過を抱えるのが大事なのよ。

岡本は、プライドの高さが回復の邪魔になりました。言い換えれば、向きが間違っていたので、回復の邪魔になりました。プライドを捨てるのではなく、方向を換えるんですよ。他者へのプライドは不必要。自分のプライドは、自分に向けること。 点だけで生きていませんか?瞬間瞬間前後の繋がりを感じているかな?今を生きると、その場しのぎで無意識に動く、これの違いを知ってほしいですよ。

感情放置の前にしてほしいこと。感情を知る。どっぷり感じて、どっぷり浸かる。これを忘れないでね。

あなたは?「行動が先の生き方」それとも「思考が先の生き方」それとも「感情に振り回される生き方」。
テーマを贈ります。皆様も取り組んでくださいね。「一日5分間だけ、頭の中を真っ白にする」。かなり、皆様、苦戦されていますよ。

自分で「何だろう?」「どうしよう?」と悩む。そのモヤモヤした悩みを「抱えて」「放置して」「向き合って」。これの繰り返しが生きるってことですね。 学びたい、知りたいという素直な気持ちに反応する自分がいます。じんわりと反応する自分がいます。一番弱いところを知っている方は、そこを避けるよりも、ぐぐっと向き合い浸り、納得という言葉を得ます。「なるほど、そうか」。体得するんですね。体が知るんですね。
体得する時に、邪魔になるのが、超忙しい妄想型の思考なんですね。そして、それを忙しくさせているのが、カチカチに固まった防御型感情なんですね。「なるほど」これらは、すべて自分の中にあるものです。「いろいろと持っているんだな、自分って」と知る。


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