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2005年に心ざわざわを見付けてくださいました。サイト、冊子とメルマガでマイペースのコツコツを続けて、勇気を出して、2008年7月からメール療法に取り組まれ、2009年1月に、今の気持ちを書いてくださいました。S子さん38歳。

◇NPO法人 心ざわざわ Top<回復へのマイペースのコツコツ
S子さんのマイペースのコツコツ
◇この病気とは、もう長い付き合いなので、苦しくて辛いままを生きていかないとならないと半分諦めていたときに、心ざわざわのホームページで理香さんの「そのままでいい」という言葉を見付けました。メールする勇気もないままに、3年近く過ぎて、それでも気になって、このままよりも少しでも進んでみようと勇気を出してみました。親にも分かってもらえず、友人にも話すことができずに、一人で抱え込んでいた私が本当に探していたもの、自分のことを、嫌なところもすべて分かってくれる存在が、私がほしかったものだったんだと気づきました。理香さんは、私が触れてほしくないと自分では気づいていなかったけれど、自分で一生懸命に頑なに守っていたところを遠慮なく突付いてくるので、自分と向き合っていないことを指摘されたような気がして、自分で治すものだときっぱり言われ、言い訳や逃げてばかりの自分を見ぬフリをしてきた私は、最初怖くて怖くてどうしようもありませんでした。他人のせいだと逃げていた自分が、いまさら現実と向き合うなんてできるのかどうかなと不安もありましたが、私にとっては、理香さんの存在は3年くらい前から知っていたし、今まで会ったことがないタイプ、私を特別扱いをしないで、普通に接してくれる人だからこそ、何かが変わるという気持ちも大きかったと思います。こうやって振り返ってみると、そのときは、ここまで気づいていなかったようにも思います。今だからこそ、気づいた、後で分かるというのは、こういうことを言うのでしょう。寂しい気持ちを癒して包み込んでくれる人を探していた私は、母親にしがみついて、いつまでも大人になりたくない気持ちを隠しながら、自分は不幸なのだと思い込んでいたのだと思います。プライドが高い、負けん気が強い、本当にそうだなとあらためて思いました。いつも焦って、人から賞賛をもらうことをしようとして、それが何かわからないし、見つからないし、すごいね、さすがね、と言われる自分ばかりを想像していました。他の人がうらやましくて仕方なかったのです。こんなはずじゃなかったのにと思ったり、嫉妬している自分を、人には見せたくなかったのです。小さな努力を汗を流してするなんて想像ができずに、いつもさらりとしたヒロインでいたかったのです。

◇メール療法は、どうしたらいいのかわからないまま、がむしゃらに理香さんにしがみついていた自分がもどかしく感じていましたが、それでもコツコツしていくことで、何かが変わってくるのだとも思っていました。厳しい人だなというよりも、見捨てられ不安があったのだと思います。それでも3ヶ月も過ぎると、日課になり、見捨てられると思い込みをしていた自分が恥ずかしくなってきました。人を信じることをしなかったのは私で、出来のいい生徒を演じないといけないと思い込んでいたのも私だけで、理香さんには、そのままの私を見せてもいいのだと思えるようになってきたころから、自分で治していくものだとわかってきました。こうやって、こうして、こうよって、言ってもらえるのを待っていたのでは、何も変わらない。動けば自信がついてくるのよと言われていた言葉も、どこか置き去りでしたが、毎日の生活を丁寧に意識してきたので、自分が動いているのだという感覚は、何となくでもわかってきたようにも思っていました。

◇理香さんの講演会の回復過程を読んで、私と同じなのだ、特別に強い人だから回復されたんではないんだと思えたことで、私も大丈夫かもしれないと確信のようなものが生まれてきました。というか、その日に突然確信したのではなくて、コツコツしてきたものが私の土台を作っていたのだ、春になって芽が出たみたいな感じだと思います。あれだけ苦しかった症状がなくなって、別の悩みが出てきたけれど、これが元々の悩みなのだと知って、理香さんが症状と食や体型の話はなしと言い続けていた意味も納得できました。摂食障害が苦しいのではなく、本当の悩みを知るのが怖くて、摂食障害に逃げていたのだとわかったときに、不思議なくらいホッとした自分がいました。
一つ一つ丁寧。これなのだな。理香さんは、私に謎々を出してくれて、それを自分で解きなさいって、気長に待ってくれていたのだと、だんだんそれがわかってきました。知ることをしなければと焦っていたころは、知らないことって何だろうと悩みましたが、今、振り返ってみると、知らないことばかりだったのも気づきました。理香さんの言いたいことは、すでに知っているはずのことを、きちんと見なさいだったのもわかってきました。母が私をわかってくれないと寂しくてしかたなかった私は、私も母のことは何も知らなかった、知ろうとしなかったことに気づき、きちんと言葉で気持ちを伝える努力を始めました。理香さんに、思い込みが強いと言われたときは、何を意味するのかもわからずでしたが、言葉で伝えるようになってから、母からも言葉が返ってくるようになり、私が考えていたこととは、まるで違うことを思っているのも知りました。いい会社に就職して、仕事をバリバリこなして、幸せな結婚をしてと思い続けていたのは、私が母がそう願っていると勝手に思い込んでいただけで、そうしないと母に申し訳ないような気がしていたのです。反面、育った環境のせいで、母の愚痴聞き役で、いつも監視されて、甘えてはいけない、私がしっかりしないといけないと、頑張ってきたので、しんどかったと母を恨んだり、私の人生を返せと叫んだり、矛盾した行動もしていました。自分の行動を知ることができたのは、矛盾があってもいい、どんな自分も全部自分なのだからという言葉に安心を得たことが大きかったと思います。最初は、それを知るだけをしていくのは、難しくて戸惑いましたが、知るだけ知るだけと呪文のように繰り返しながら続けました。

◇抱え込んでいた荷物をおろしたような軽さが、私の行動の背中を押してくれました。行動すると、想像以上の収穫があるのだと、私は知っていきました。母と喧嘩することも増えました。でも引きずることが減ってきたなと思います。思ったことを言葉にして伝えるので、まだ全部ではありませんが、今のことを見ている私がいます。寂しいし、しんどいし、すっきりしない毎日ですが、何かに集中しているときは、そういう気持ちは出てこなくなっています。回復は大人になることよという理香さんの言葉が、以前は頭の中でわかっていましたが、今では、まだまだですが、何となく体得していると自信がでてきました。行動すると、視野も少し広がって、苦手な人間関係にも、チャレンジよと思う私がいます。これからもコツコツと大人への階段を上っていこうと思います。私のペースで上ればいいのだから。私の人生だから。摂食障害が私にいろいろなことを教えてくれたのだから。
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