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2008年1月に面談。その後メール療法を開始して、ほぼ毎日継続。症状も社会生活も安定してきた12月に、1年を振り返っていただきました。I子さん、25歳。

◇NPO法人 心ざわざわ Top<コツコツを振り返って
I子さんのコツコツを振り返って
◇何度もやめようと思った。このままで、もう一生いくんだと、諦めようと思った。投げやりの時もあったし、嘘も書いた。理香さんは全部見抜いていたんだと怖くなったし、逃げたくなった。でも逃げなかった。今の状況から抜け出したいと、本当にそう思い始めた。たぶん、理香さんに会うまでは、どこかで治りたくないって思っていたんだと思う。変わるのが怖かったんだと思う。

◇コツコツって、これなんだと、今は思う。わからないままに始めたメールが、ここまで続くとは思わなかった。自分がすごい。自分を誉めてあげたい。この病気は、癖のような気もしてたし、環境を変えると治る、誰かが治してくれると思っていたので、最初、理香さんと会ったときは、コツコツして3年はかかりますと言われて、驚くことばかりだった。うそじゃん。理香さんの言葉もふわふわ上の空だった。結果がすぐでないと我慢できない性格だと知ったのも、この時だった。コツコツなんか、できるわけないじゃん、面倒くさいじゃん、どうやったら治るかを、教えてくれてもいいのに、すっきりしたいのに、答えをくれないなんて、どうしてなんだと腹が立った。

◇朝起きた、トイレに行った、意識してスリッパを脱いだ、鏡をきちんと見た、使ったコップを元に戻した、階段を一段ずつ上がった・・・はっきり言ってメール療法はキツイと思った。というか面倒くさいって言うのが本音だった。理香さんの返信を見るのが恐ろしく感じた時期もあったし、理香さんの言葉は、まったくというほど、何を指しているのかわからないし、自分のことを責められているような気がして、ダメだしばっかりで、私を嫌っているだと思っていた。本当にやめようと何度も何度も思っていた。何を知るんだ?何を動くんだ?イライラが、ムカムカになったり、私は何をやってもきっとダメなんだって諦めようと思ってたんだ。

◇毎日、時間が足りないのに、何が何だかわからないのに、これを言い訳にして、努力していない自分がいることに気づいたのは、2ヶ月くらいかかったな。冊子も資料も読んでいなかったし、読まずに横にあるだけで、読んだつもりになっていて、メールもやればいいんでしょという感じだった。けど自分が自分の何かに向き合うのを避けているのかもしれないって、薄々感じ始めていたんだと思う。その腫れ物に、私を腫れ物扱いをしてくれない理香さんが、ずばずば刺さるから、怖かったんだな。3ヶ月くらいのとき、よく考えたら、メールに必ず返信をくれているし、叱られているって勝手に思い込んでいたのは自分だし、関わってくれているんだと、よく考えたら、当たり前のことを忘れていた私に、それを教えてくれているんだ、理香さんはと思ったんだ。

◇向き合うのが怖くてしかたなかったけれど、知ることを始めようと思った。知るだけでいいや。気に入られたくて、嘘を書くと、しんどくなるのを知ったのが良かった。意識しながら、ちょっとしたことを意識して動いたら、自分がいつも何も意識せずに過ごしていたのが痛いほどわかった。何だか全然違う感じがして、これが丁寧に動くかって、理香さんの体で掴むという言葉が何となくだけれども分かってきた。そういえば、いつも人の顔色ばっかり伺って、自分の行動は見たことがなかったし、意思とかではなく、相手に合わせて動いていたんだな。他人の気持ちは分からないし、相手の管轄は相手に任せてあげないと失礼ですよって、あ〜これかっ。

◇少しずつ進んでいますよって言葉をもらった時に、ちゃんと見てくれている、私の成長に合わせて待っていてくれているんだとうれしかったし、私が必ず良くなるって信じてくれているんだと安心感がだんだん大きくなってきた。その頃にわかったのが、自分が思ったことは言葉で伝えないと相手には通じていないってことだった。私のことを分かってほしいと泣き叫んでばかりで、分かってくれないことを恨んでいたのもあったし、いつも孤独だった。言葉で伝えるということが分からなくて、自分が何を伝えたいのかも分からなかったんだ。面倒くさいけれど、小学生の毎日のドリルみたいなメール療法で、言葉の勉強をした感覚がある。

◇お母さんへの手紙の課題を、時々書いていきながら、小さい頃の嫌なこともたくさん思い出したけれど、やっぱりお母さんが好きなんだよな、かまってほしいんだよな、妹に取られるとか私のことを嫌っているとか、誰かと比べられてばっかりとか、どうして?どうして?小さい頃に戻りたいとか、寂しかったんだとか、今の自分になったのは、お母さんのせいだとか。食べ過ぎだと怒られて、我慢しなさいって言われて、妹はきちんとしているとか、お父さんに似ているから性格が暗いのとか、病気のことを分かってくれないのも、ずーっと不満で、どんどんお母さんのせいだ、お母さんが治してくれないんだって思ってたんだ。この嫌な気持ちを押し殺していたんだと知ったんだ。自分ってこんなに嫌な子だったのかってびっくりしたけれど。

◇早とちりで後で恥ずかしい思いをするのが減ったなと思うし、聞いて聞いてと思いながら、どうせ分かってくれないから、もういいわって投げやりになることが少なくなった。余裕ができたんだと思う。一生懸命、自分を守るために、早口になったり、嘘をいったり、知るって難しいと最初は思ったけれど、理香さんが言ってた後で知るがどんどん分かってきた。

◇すごくしんどかった。自分を知るって並大抵じゃないって思う。まだまだ知らないことが多いけれど、お母さんに腹立つこともあるけれど、言葉で言えるようになったのがよかったんだ。お母さんを恨んでいたけれど、そうじゃなく、お母さんはお母さんのやり方で私を娘として愛してくれていたし、心配をしてくれていたんだ。私のことを全部わかってほしいって思っても、母は母。私は私。私は私のやり方でやっていけばいい。私と母は同じでなくていいんだ。

◇失敗をどんどんしなさいって言われた時、一番嫌なことを言う人だなと理香さんにカチンときたけれど、今は納得できる。私が一番嫌なことだけれど、私に一番必要なことだったんだ。隠そう隠そうとすると、身動きができなくて、自分でもわからないくらい怒りまくったりした。分からないことは分からないんだから、正直に言葉に出すという理香さんの言葉が頭の中で音楽のように鳴っていたし、行動にできるまで時間もかかったけれど、やってみると、どうってことなく楽になるんだと知ってきた。あれだけ、意地でも言えなかった、ありがとうとごめんなさいが、お母さんにも言えるようになった。そうしたら、お母さんからも同じ言葉が返ってくるのも知った。

◇お母さんへ「いつもありがとう。まだまだ子供の私ですが、コツコツ歩いているから、見守ってください」メールをしたら、すっきりした自分がいた。自分は絶対大丈夫だなって、今は思うようになった。自信が生まれたのかな?信じるってこれかな?信じるのが愛って、この感じなんだろうな。私の足で歩けばいいんだ。自分が納得したら、それでいい。また気持ちが変わることもあるだろうけれど、今はこれでいいや。こうじゃないといけないって、答えを焦って出さなくても、今はこれでいいと思う。あれだけ怖かったメール療法も、今は習慣になったし、自分を知ることを続けていきたいと思う。摂食障害が問題じゃなかったんだ。摂食障害が、私に自分を知っていくことをしなさいって教えてくれたんだ。
◇NPO法人 心ざわざわ Top<コツコツを振り返って

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