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回復とは大人になることであり、大人は知ることを体で重ねていくことであり、その回復のラインは自分で決めることなんですね。
今を知ることが、答えに繋がっていきます。あなたの答えは、あなたが出すものなんです。

◇NPO法人 心ざわざわ Top<私は、私という感覚

回復して分かったこと、症状を出した時点が、私の回復の一歩目だった
自分を観ること。自分を知るということは、自分を学ぶということですね。答えは自分の中にある。一生懸命に答えを見つけようとがんばるあなた。ちょっと今日は休憩しましょう。鏡をみてくださいね。何かを探しているとき、どうしても外側ばかりに目が向いています。視野の方向が、少しズレているのですよ。引き出しの中は、引き出しを開けなければ見えませんね。箱の中身は、開けなければ見えませんね。ほら、青い鳥が、ここにいました。素晴らしく美しいあなたの心に。
「この症状って、いつまで続くのだろう」と、ふと考えてしまうことがありますね。その時は、意識が丁寧に動いているんですね。丁寧に意識をして知ることをしようかな?と思った瞬間なんですね。それが知る段階。とっても大事な時期です。そして、摂食障害の原因が、親にあると思い込んでいる段階では、自分が自分を症状に引き止めているんですね。次の一歩は、知ることです。知るって、感情が入らないんですよね。原因に執着しているのは、知るではなくて、感情で思っているんですよね。他人の言葉に同調しているんですね。前情報の存在は、知るを妨げることがありますね。実は、治りたくないのが本音です。治ると辛くて苦しいんですね。次の一歩を選択するのは、自分自身なんですよね。経済が安定していて、体調がまずまずキープされている状態では、症状を手放そうとしないんですね。
今日は「想像しない」一日にしてみませんか?変化を楽しむ余裕が、今の自分にあるかな?まだまだ怖がりな自分がいることを知る機会にもつながりますよ。まず、知ることから、始めましょう。
自分が治さないと、誰も治してくれないんですよ。回復とは、大人になることであり、大人は知ることを体で重ねていくことであり、その回復のラインは、自分で決めることなんですね。今を知ることが、答えに繋がっていきます。あなたの答えは、あなたが出すものなんですね。
「そのまんまのあなたでいいのよ」私は、私という感覚。講演会より抜粋。
連載 NO,1 私は、今、神戸の六甲山、標高330メートル、有馬温泉駅から徒歩20分ほどの所に住んでいます。現在、月に2回ほど、下山して、大阪茨木にありますカウンセリングサークルワイズさんで、摂食障害の講習会をさせていただいております。その時に使っている資料をコンパクトにまとめて、講演会で、皆様へ、何かひとつでも、心に残ります言葉があれば嬉しく思い「今日のお土産として」お渡しいたしました。 言葉は、読んで知って、今度は話して知って、始めて身についていくものですね。 「そのまんまのあなたでいいのよ」私は、私という感覚。 そのまんまでいいんですよ。あるがまま、今の自分のあるべきよう。摂食障害の回復過程を歩んでらっしゃる方、そのご家族の方に、私が一番伝えたい言葉です。私は摂食障害渦中の時は、この言葉の意味がまったく分かりませんでした。この言葉は、回復して初めて分かりました。渦中の時は、頭で分かろう分かろうとするんですよね。分かるのは、体で経験して、それを重ねて積み上げていくことなんですよね。回復して、私は、この言葉を、頭ではなく、体で理解することができました。「そのまんまの自分でいいんです」。誰にも遠慮しなくていいんです。私は私でいいんです。回復のラインの一つに、この頭ではなく、体で分かるというものがかなり大きく存在すると思います。コツコツと、体で知ることを重ねて、目で見えないものを信じることができるようになったということが、私は回復に繋がりました。このそのまんま、あるがまま、これに繋がるキーワードが、素直になることなんですね。素のままです。

連載 NO,2 私は、23歳のとき、精神科の思春期女子病棟に看護師として、勤務しました。その時に拒食が始まりました。目の前に摂食障害の患者様たちがいらっしゃって、年齢もほとんど変わらない方々ばかりでした。同時に専門的に勉強も始めましたので、すぐ感化されてしまいました。初めは食べないだけだったんですね。意味も分からず食べないだけだったんですね。1年も経たないうちに、情報がたくさんありましたから、過食嘔吐へと移行しました。自分が何故、過食嘔吐するのだろうなんて、考えたこともなかったんですよね。自分が摂食障害だとは、思っていなかったんですよね。当然、その時は、分からないですが、回復して分かったこと、拒食症状を出した時点が、私の回復の一歩目だったと思います。症状が出始めた時が、すでに、回復への第一歩目なんですよ。今思うのですが、その時は、まだ5歳児の感覚ですから、ふわふわしていた自分が、社会という現実に絡まるようにして、崩れてきたんですね。私は、それまでは、教科書どおりで、よく言われるいい子で成績優秀ですね。ただ、何となく周囲に溶け込めない自分を感じていました。いつまでも学生でいたいなと、それも思っていたようでした。そう、怖がりだったんですよね。大人になりたくないって思っていました。これは、いろいろな経験が少なかったこともありますし、兎に角、失敗をしたことがなかったんですね。体で覚えて、いろいろなことを知っていくことを、まったくしていなかったようなんで、それで、自分の土台がなかったんですね。いつもいつも不安のままで、フラフラしていたんですね。土台がないのに、ビルを建てるのに、屋上から作っていた感じですね。

連載 NO,3 私は、工藝高校の美術科を卒業したんですが、子供の頃から絵を描くことが大好きでした。皆様は、ご存知でしょうか?画家のパブロ・ピカソさん。1881年にスペインで生まれた、名前が長いということでも有名なんですが、私の好きなこの方の言葉に「誰でも子供のときは、芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」ってあるんですよね。ピカソさんの描く絵は、独特の作風で、平面に立体を素直に表現されているんだと私は感じています。画家さん、たくさん有名な方が多いですが、今まで知る限りの画家さんの中で、絵画の基本中の基本のデッサン。基本の基本が最高に素晴らしい方なんですよね。だからこそ、基本がしっかりしているので、あの作風が生まれたんだと思います。基本という土台。ビルを建てるのも、まず基礎工事からですよね。基礎をしっかり作って、そこへコツコツ積み上げていくからこそ、素晴らしい建物が出来上がるんですよね。基礎がしっかりできていると、アレンジもできますし、堂々としていますよね。基礎がきちっとしているからこそ、自分の世界が築けるんですよね。基礎がないと、自分というものがなくて、いつも不安定で怖い。誰かの基準に、その時その時にしがみつくんですよね。

連載 NO,4 人って、いろいろな感情があって、いろいろな自分がいて、それらを大きくひっくるめて私。これも私、あれも私、大きく捉えて一人の人間、いろいろある自分が、それぞれ点。点が繋がると線になり、線が合わさって、面になっていくという感覚ですね。私は、渦中の時は、それぞれが孤立した点だったんですね。一点一点が、バラバラの点で、どれもこれも、私ではなかったんですね。 何もかもがいつも他人事だったんですよ。褒められても、自分が褒められていない、点が褒められているんですよね。自分のものにならない。特に失敗したことや叱られている時は、絶対に私ではないんですよ。その点が叱られている、その点が失敗したんだと思っているんですね。言い訳とか誰かがこうしたからだとか、後悔の嵐なんですね。反省すれども後悔はせずといいますが、堂々巡りなんですよね。次に繋がらないんですね。 そういう嫌な感覚は、リセットボタンひとつで消したいと思っていますので、夢の中へひたすら逃げ込んでいましたね。私は、専門の病院で、摂食障害の看護をしている自分と、摂食障害の患者である自分、同じ自分ではなかったんですよね。点がまったく繋がっていない状態だったんだと思います。私はだれ?という感覚ですね。

連載 NO,5 皆さん、リセットボタンがお好きではありませんか?保留ではなく、リセットなんですよね。ざわざわのクライアントさん数名が、可能ならば、今まで生きてきた○年間をリセットボタンで消したいと言われたことがあります。よく聴く言葉に、お母さんの子宮の中に戻りたいとも。私の場合も、例えば、スケジュール帳ですが、1月から使うと、夏ごろには、平気で4冊目を購入しているんですよね。白か黒かとか、結果だけを求める性格だったな。修正という言葉は、持ち合わせていませんでしたよ。回復ラインの目安に「私は私やし、まあええか。しゃーないな」という言葉が自然に出てきます。今日はここまででええわって。今することは、今するけれども、明日でいいことは、今しないという思いですね。結果にとらわれないで経過を楽しめる余裕ですね。今すぐ答えを出さなくていいものもあるのですね。延々と答えの出ないものもありますし、人って、生まれたから、死ぬまで、ずーっと元気な人はいませんしね。少しずつ、本当に少しずつ、グレーの感覚を知るんですよ。

連載 NO,6 さて、私の24歳前後の時に話を戻しますが、勤務先が専門の病棟だということもあって、私が摂食障害であることが見た目にも明らかなんですよね。一度、看護部のトップに「ここの病棟には、看護師か患者かわらんもんがおるな」と言われたことがあります。今思うのですが、私は、本当に恵まれていまして、その病院、その病棟に勤めることができたのも、これも、きっと私の回復への一歩目で、大人へ成長するんだよって、チャンスを与えてもらったんだなって、今は思いますし、感謝しています。摂食障害になってよかったと心から素直に思います。その状況で、私が母親のように慕って信頼をよせていたある看護師さんに、受診をすすめられたんですよね。あの頃は、自分の母親が怖かったので、自分の今の状態を、母親に話すなんてとんでもなくて、母と二人で暮らしていましたが、自宅でも、摂食障害の話題もしませんでした。皆さんは、自分がこういう状況なんだよって、最初にどなたに告知なさいましたか?親御様も最初に、娘様から打ち明けられたとき、どういう気持ちでしたか?今自分がこういう状態なんだよって、それって信頼できる人にしか、言いませんよね。本当に心から信頼して、助けてほしい。分かってほしい。そういう相手にしか告知しませんよね。素直に話ができた瞬間ですよね。何ごとも「知る」ことから始まります。とっても大事なんですよね。「知る」。何故、こういう症状が出るのか、こういう行動をするのかや感情を抱くのかなどは、回復して後で分ります。先ずは「知る」ことです。症状を知る。行動を知る。感情を知る。これからなんですよね。

連載 NO,7 私のところへ相談にお越しくださる方や講習会にご参加くださる方、冊子や著書を購入くださる方々は、親御様がとっても多いのですよね。7割くらいで親御様なんですよね。それだけ、状況も切羽詰まっているのでしょうが、やはり、親御様の愛ですよね。何とか娘のために、少しでも役立つことがないだろうか、どうしたらいいのだろうかと、分からないままで、真剣に考えてくださっているんですものね。本当に、分らないままだと思います。人間って分らないのが一番辛いですね。 いつも親御様には、頭が下がります。娘さんたちも、本当はありがとうって素直に言いたいんですよね。真剣に回復へ向けて、取り組んでくれて、考えてくれて、お母さん、お父さん、ありがとうって伝えたいんですよね。ただ、素直じゃないんですね。素直になりたくても、素直になることを、体が知らないんです。本当の気持ちを出すこと伝えることが苦手なんですよね。ありがとうって言いたいのに、甘えたいのに、攻撃したり、すねたりする。本当は、ありがとうって大きな声で、親御様に伝えたいんですよ。親御様、どうか、娘さんの回復を信じてくださいね。必ず回復すると信じてくださいね。大人になります。回復します。私は信じています。自分が回復したから、自信を持って、皆さんの歩みを信じています。 余談ですが、この素という文字。糸を染めるとき、糸の束の元を結んだままで染めるので、その元のところだけは素のままの白色ですよね。元の部分、元の色なんですよね。元々は、誰もが持っているんですよね。素の部分をね。皆さん、素直なんですよ。

連載 NO,8 私は、主治医の診察に通い始めて、数回目の時に、生まれて始めてかもしれない言葉をフッと言ったんです。「先生、私、寂しい」って。私って、寂しかったんだって、初めて知ったんです。その時に。同時に、寂しいって認めたんですよね。私が、初めて、自分にも、他人にも素直になった瞬間だったと思います。 寂しいという言葉なんですが、皆さん、よく使われるので、時々、別の言葉に変換して教えてっていうのですが、「つまらない」という言葉がぴったりするという意見が多いんですよ。あと「注目されていない」とか「ほしいものがわからない」とか。あるはずのものが欠けている。心細い。目に見えるもの、手に触れるもの、形が目の前にないと、寂しいんですよね。感情を感覚で掴んでいなくて、感情を頭で考えるタイプですので、目に見えて、手で触れて、確実にここにありますよっていうものしか、信じることができないんですよね。それらがないと不安でたまらないんですよね。 NO,1より引用。回復のラインの一つに、この頭ではなく、体で分かるというものがかなり大きく存在すると思います。コツコツと、体で知ることを重ねて、目で見えないものを信じることができるようになったということが、私は回復に繋がりました。このそのまんま、あるがまま、これに繋がるキーワードが、素直になることなんですね。素のままです。

連載 NO,9 その寂しいって、初めて私が言葉にした時、今も鮮明に覚えているんですが、主治医が「そうか、そうか、寂しいんやね」って、「よしよし」って感じの小さな子供をあやす言葉がとっても安心感をくれたのを思い出します。素直に5歳児に戻った感覚でしたね。素直に甘えていいんだよって、教えてもらった第一歩目だったんですね。私はまだ、心は5歳児ですって看板をあげて、外見もできるだけ5歳児になりたいという気持ちが強くもなりましたね。できるだけ小さくなりたいって思って、体重を落とすことにも、力が入りましたよ。その時はまったく気づきませんでしたが、自分の心がまだまだ子供だと、無意識には知っていたんですね。見た目は大人でも、本当は違うんだって主張したかったんでしょうね。見た目で判断しないで、私はまだ何も出来ない泣き虫の弱虫の子供なんだよって、大きな声で言っていたんだと思います。主治医は、それを受け止めてくれたんですね。診察日は、いつも5歳児になって、どっぷりと甘えていましたね。懐かしい時間と空間です。

連載 NO,10 20年も前の話ですが、主治医は、どんな私を持っていっても、とにかく、いつも変わらぬ態度で、どーんと構えて迎えてくれるし、どんな言葉を出しても、それをそのまんま「ふんふん」と聴いてくれるんですよね。いつも同じ態度なんですよね。いつもまっすぐ、私に体を向けてくれて、じーと見てくれているんですよね。摂食障害の私ではなく、岡本理香という人間と関わってくれているんだなと、何となく分かってきたんですよね。食べ物の話や症状の話は、まったくしなかったと思います。 本当に子供の成長をじーっと待ってくれた存在だったんだと思います。母親に告知することを、頑なに拒んだ私の気持ちも汲み取ってくれていましたね。可愛いぬいぐるみを抱いて行ったこともありました。美味しそうなパンと珈琲を持って行ったこともありましたね。私の安心する場所だったんですね。 ただ、いつも大きな鞄をさげていました。常用薬、本、レターセットや着替えなどを入れた大きな鞄でした。痩せ細った小さな体よりも、大きな鞄だったと思います。命を絶つ場所を探して彷徨いながらも、主治医に逢うことを楽しみにしていたんだと思います。看護師の仕事は続けていましたが、綱渡りの日々だったんですね。 まだまだ小さな子供で、怖がりですから、変化が怖くて仕方がなかったんですよね。いつも同じ状態を保たないといけない。それも一番いい自分を見せないといけないと思っていたんですが、少しずつ、それらが、いい意味で崩れ始めたのもこの頃でした。 どんな私でもいいんだ。感情を抱いてもいいんだ。失敗してもいいんだ。自分が思うように行動してもいいんだ。

連載 NO,11 渦中のときは、比較という言葉に非常に敏感ですね。私は、皆さんによく比較するから焦るのよと伝えますが、よーく考えると、比較が嫌いなわけでなく、むしろ比較が好きなんだと思います。自分が優位な比較は好きなんですよね。それも、二進法の世界で生きていますので、0か1です。人間は十進法で、コンピューターは二進法と言われますね。0か1しかないんですよね。好きと嫌いを同じ土俵の上に載せるんですね。好きの反対は無関心ですよね。嫌いの反対は無関心ですよね。自分の中でも比較することが多くて、自分が最高にいい状態と、それ以外という感覚ですね。100の下は0しかないんですね。99も60も持っていないんですよね。持っているものが少ないんですよ。引き出しが少ないとも言えるかな。心の引き出しが少ないのですね。引き出しは、経験、体験を積むことで増えていくんですよ。いろいろな経験をすることで、自分らしい引き出しが少しずつ増えていくんですよね。自分の引き出し、自分のものですので、自分で整理整頓がし易くなり、何が入っているかも知っていますね。整理整頓って、持っているものを知っているかどうかで、上手か否かに繋がっていきます。やはり知るということが、大事なんですよ。自分の引き出しの数と大きさ、そして、引き出しの中に入っているものを知っている人は、整理整頓も上手なんですね。私がよく言います、自分のレベルを知ることって、このことなんですよね。

連載 NO,12 私はよく、摂食障害はドタキャンの女王ですよって言いますが、渦中の時の自分もまさしくその通りで、人には、最高の自分を見せなければならないので、それ以外の時は、誰にも逢いたくないんですよね。プライドの高さと負けん気の強さは、密かに凄いものがありましたので、自分という感覚を持っていないことと相まって、自分は本当は素晴らしい存在で、全世界の中心にいるはずの人間なんだという気持ちがあったと思います。今の状況は現実ではなく、誰かが何とかしてくれないので、羽ばたくことが出来ないんだと、どこかで思っていたようです。今の、現実を見ないで、いや見たくなくて、摂食障害という逃げ道を選んでいた私なので、違和感を感じながら日々を過ごしていたんだと思います。ドタキャンのお話ですが、面談のお約束の日に連絡なく、お越しにならない方もいらっしゃいます。朝に連絡を下さる方もいらっしゃいますが、私は、キャンセルOKにしています。あえて、何も言いません。ドタキャンは、本人が一番気にして辛くてどうしようもなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいなんですよね。人って自分が一番気にしていることを、言われると「今やろうと思ったのに」と、腹が立つんですよね。分かっているのに、何でそんなこというのよって、ご機嫌が斜めになるんですよね。ついつい一言、多く言ってしまったということがありませんか?別に深い意味はなく、ポッと口から出た言葉なんですが、相手はムカッとするんですよね。その人が常に気にしていることだからなんですよね。相手の気になるところ、イライラするところは、自分の中の腫れ物と無意識にダブらせているんですよね。母娘、お互いが似ているところが多いもので、気になって仕方がなく、依存=攻撃も手伝って、衝突することもあるでしょう。思春期の葛藤、モヤモヤの時期は、それでいいんですよ。それらを乗り越えて大人になっていくんですものね。

連載 NO,13 私の経験を1つ。思い出すと、今でもとっても恥ずかしお話で、もう時効かな?ある夜勤、ご家族の電話対応をした時に、お父様だったんですが、かなり酔ってらっしゃったのもあって、話にならないというか、まぁいつものことで、そのお父様が「お前みたいな小娘じゃあ話にならんわ。ガキに何がわかるんや」この一言で、舞い上がった私。一緒に夜勤をしていたのが、ちょうど40歳代のお父さんみたいに、私が慕っていた主任だったんですが、パニック状態。ナースステーションの中で、椅子を投げて、泣き叫んで「何で私がそんなことを言われなあかんねん」。子供だったんですよね。それを、自分が一番気にしていたんですよね。琴線ではなく、癪に障ったんですね。ただ、その主任以外の方との夜勤だったら、きっと暴れていませんよ。甘え方を知らない5歳児の大人は、ちゃんと相手を操作しながら、行動しているようですよ。後日、その主任に言われた言葉。「理香ちゃん、大人になったら、分かるんやで」。正直、そのときは、分かりませんでした。まったく分かりませんでした。今は、よくわかります。ありがたい言葉でした。お陰様で、「子供だった理香ちゃんも、大人になりました」。日ごろよく、皆様に、回復とは、大人になることよって話をするんですが、まさしく、これだったんですよね。自分がまだまだ弱虫怖がりアカンたれの子供だったんですよね。それを無意識の部分に押し込めて誤魔化していたんですよね。出来ない自分を「無い者」にしていたんですよ。NHKラジオ放送で話をしましたが、理想が自分で、現実は見ない、無意識にその差のストレスと闘っていたんでしょう。今、メール日記心理療法などで、岡本さんの言葉に、ムカッとする方は、この話を思い出してみてくださいね。「兎に角、厳しいしキツイ。私のことを、腫れ物にしてくれない岡本さん。気にしているところを、真っ直ぐに突いてくるし、人をバカにして、腹が立ってムッとする」。私の今でも心に残る人は、「苦言を直接言ってくれる人」なんですよ。皆の前で叱ってくれる存在ですね。

連載 NO,14 赤ちゃんをあやす時に、「いない、いない、ば〜」って、ご存知ですよね。あの感覚なんですが、いない、いないってしたときに、あれ?って不安になる。きょとんとして、ば〜で、一瞬びっくりして、でも自分の知った人だったら、喜ぶ。それも何度も何度もせがんできますね。怖いもの見たさの感覚に近いと思います。私は、いないいなで、次に何がおきるんだろうって、怖くなって、ば〜ってする前に、怖いから逃げていたんですよね。ば〜とした時に、怖かったり、嬉しかったりの体験を、堪能するまでしないで、避けることをするんですね。避ける手段が、拒食や過食だったり、食への拘りだったりなんですよね。感情の揺れを誤魔化していたんだと感じます。感情が怖いんです。自分の感情の変化が怖くて仕方なかったんですよね。自分に感情があることを知りたくなかったんですよ。喜怒哀楽を感じたくなかったんですね。本当はたっぷりある感情。冷静で淡々としている自分でいたかったので、仲間とワイワイしたり、楽しんだり、悲しいや怒りを持っていることを、他人には知られたくなかったのでしょう。小学生から高校生まで、いつも成績は1番ですが、先生のコメントは、「協調性がない。表情が乏しい。喜怒哀楽を出さない」。夢見る夢子ちゃんで、想像力はばっちりですが、心の中を隠し通していましたね。挨拶ができない、笑顔を見せない、喋らない、ありがとうを言わない、ゴメンナサイを言わない。それらを言わなければいけない場面を上手に避けてきたともいえますが・・・。今の岡本理香さんからは想像がつきませんと、声が聴こえてきましたよ。自分でも想像がつかないですね(笑)。今では、マイクを持ったら、3日間は喋り続け、何も気にしない「まっ、ええわ」と言いながら、頭よりも、口と体が先に動く大阪のおばちゃんです。今から、皆さんも、いない、いない、ば〜を堪能してくださいね。 これは、摂食障害講習会の資料にありますが、倒錯(受け止めずに快楽で消したい=心の中の不安、悲しみ、苦悩、葛藤を行動や行為で、発散し排出する)という部分です。喜怒哀楽もろもろの感情を子供の心の自分が受け止めることが出来なくて、感覚を別の世界に飛ばしてしまうんですね。ストレスや嫌なことがあると食に逃げるというよりも、嬉しくても楽しくても、受け止め方が分らなくて、逃げ腰だったんだと思います。揺れること、変化することが怖かったんですよ。

連載 NO,15 もう一つ、回復してから分かったことがありました。私はどんな状態であっても、受診も服薬もしながら、看護師の仕事から離れたことがありません。兎に角、生活がかかっていましたし、食べないといけませんので、どんなにしんどくても、どんなに辛くても、仕事をしていました。看護師という仕事に、プライドを持っていましたので、仕事ができない自分にいい訳をしながらも、医療か福祉の仕事を続けていました。どの職場でも、当然のごとく、いい子ぶっていたんですが、実はそれはチームワークを乱していたんだなと、今は思います。「何でも気が付いて、よく働くね」と賞賛を求めて、休憩も取らずによく動きました。しかし、実は、それは、同僚や仲間に失礼なことをしていたんですよね。先に自分が手を出して、すべてをやってしまって、相手のやる気も、成長するチャンスも摘み取っていたんですね。相手をまったく信じていなかったということなんですね。いろいろなことを信じて任せていくのが大人なんだ、信じる、待つ、という部分ですよね。自分で気付かせて、こちらが気が付いていても、任せていく。黙って知らん顔をするのが大人なんだな。わざと負けてあげるのも大人なんですよね。体験を積んで、失敗を沢山して、自分の体で掴んでいくことが成長です。周囲が手を出して、口も出してしまうと、「自分の体験」とはなりませんね。失敗をしないように、助けるのではなく、失敗をしたときに、一緒に考えてあげるのが、本当の愛なんですよね。愛=信。そして、「するべき仕事」が「しなければならない仕事」になると、自分の容量をはるか超えて動くようになり、表面上だけに捉われて、だんだん雑になっていきます。自分がしたくてしているのではなくなっている状況では、満足感や充実感を得ることができません。褒め言葉をいただくと、「ホッ」とするだけで、達成感が湧いてきません。私が意識して、これをしています、私は私という感覚を掴む練習が、ざわざわのメール日記心理療法なんですよね。

連載 NO,16 連載 NO,6(12月14日)より抜粋。 何ごとも「知る」ことから始まります。とっても大事なんですよね。「知る」。何故、こういう症状が出るのか、こういう行動をするのかや感情を抱くのかなどは、回復して後で分ります。先ずは「知る」ことです。行動を知る。感情を知る。これからなんですよね。 ここで少し振り返って整理をしますね。 私が親御さんに伝えたいのは、信じることが愛だということです。摂食障害の回復は、大人になることであり、症状が現れた時点が回復の一歩目であるということですね。信じて成長を待つ。同時に親御さん自身も「知る」ことをしていただきたんですね。親御さんのアイメッセージです。娘さんは、お母さんに「世間、父親、他の姉妹兄弟や親戚に捉われない、お母さんの気持ち」を送ってほしいのです。 経験が少なく自分という土台が確立できていない怖がりで不安定な娘さんに対して、どーんと構えた一貫性のある態度で接していただきたいのです。真正面から向き合って、「今の娘を知る」。娘さんを大きく捉えてあげてほしいのです。 理想と現実の差に気づきながらも、どうしたらいいのか分からない状態の渦中では、無意識の部分に抑え込んだ「腫れ物」が、「私」にそろそろ出してほしいと迫ってきます。「私」と「私」が喧嘩をしています。これは本当に苦悩ですよね。しんどいですよね。大人になりたい、いや子供のままでいたい、いつも極端な考えに振り回されます。自分が自分を振り回しています。 ぼちぼちと「イイカゲン」を覚えたい時期がきましたね。「好い加減」ですよ。二進法の世界から、五進法の世界を覗いてみたくもなりました。「知る」ということしていきたいですね。体で「知る」んですね。 ナンダカンダと言ったって、私は私なんだから。 ナンダカンダと言ったって、私は私なんだから。 私らしく「あはは!」って笑って、私らしく「ビェ〜ン」って泣いて、私という旗を大空で掲げてやろう。 ナンダカンダと言ったって、私は私なんだから。 私らしく「ドーン」って生きてやろう。 ナンダカンダと言いながら、私らしく生きてやろう。

連載 NO,17 さて、私は、主治医との7年ほどの関わりの中で、いろいろな経験を堪能させてもらいました。いや、自分で動いて経験を重ねていきました。怖がりのままで、不安な子供のままで、もがきました。大人の主治医は、5歳児の大人の私の成長を信じて、じーっと見守ってくれたんだなって、回復してから分りました。正確に言うと、心ざわざわを立ち上げて、摂食障害に悩む方々との交流が始まってから、理解ができました。その立場になって、自分の体で経験するからこそ、理解ができたんですね。もちろん、両親には告知をしない道を選んだ私には、主治医は本当の親ではありません。しかし、長く変わらない態度で、どっしりとした存在だったことは、過ぎ去ったあの頃に、心のどこかでは感じていたのでしょう。どんな状態の私を持っていっても、その時の私を見てくれていました。どんな私でもいいんだなって、少しずつ、何となく分かってきましたし、点が線に繋がっていったんですよね。これらは、すべて、後で気づいたことばかりですね。気づくとは、後で体で知るんですよね。この演題の「そのまんまのあなたでいいのよ」私は、私という感覚、これを何となく掴みかけた頃が、29歳の後半でしたね。私の人生は、私の中では、30歳が大きなラインだったのですが、今思うと、正直に間に合ったという感じがします。死ぬのを諦めて、生きるのを諦めなかったラインが30歳の誕生日でした。時間がかかりましたが、全部そのまんまの私が、誕生したんですよね。それでいいんだなって、全部私なんだなって思えるようになったんですね。時間をかけて、自分の基礎を作ったという感じです。本当に時間がかかります。いいえ、時間をかけて養っていくものなのです。実際、生まれてから、思春期を過ぎ18歳くらいまで一人の人間、大人への成長過程で、自己(アイデンティティ)を確立するのです。親もしくは親代わりそして周囲の方、いいえ社会全体が、一人の人間をそっと見守りながら、成長を信じて支えていくのです。そして、この後が、本当の意味での生きる苦悩が始まります。

連載 NO,18 さて、自ら命を絶つことを行動し、それが失敗と言う形で経験した私は、30歳から「思春期」に入ります。かなり遅い成長でしたが、上辺だけでなく、根底からしっかり作ってきた「私は私」。主治医に、信じるという意味を教わり、何があっても大丈夫、そのままでやっていくんだという自分の気持ちが見えてきました。しかし、当然の如く、甘えた考えの5歳児の頃よりも、厳しい大人への世界へ入り、それまで以上の苦悩を抱えて、もがき始めます。現実が見え始め、自分が生きている感覚を掴みながら、ジェットコースターのような自分の感情に、自分が振り回され続けます。正直に、しんどかったですね。感情を感じないように生きてきた頃の反動で、溢れ出る感情の波に呑み込まれて、毎日フーフー言っていました。アップアップでしたね。感情のタイミングを上手に把握できない時期では、時間を置いて感情が湧いてきます。後からジワジワ腹が立ってくることが多々あるのは、その場で感情を出すことが、まだ未熟だからでしょう。高すぎるプライドや強すぎる負けん気は、喜びや嬉しさを素直に感じることにブレーキを掛けてしまいます。感情は、瞬間瞬間に感じて、それが放物線を描いて消えていくものなのですが、放物線の山のラインが放物線とは言い難い形になっているんですよね。「いつもイライラしている」「いつも何かに怒っている」状態なので、別の怒りの感情が湧いた時に、それらに重なって、怒りが倍増していきます。感情表現が未熟な子供なので、言葉ではなく、行動で表現します。一秒一秒が忙しいんですよね。この年末のように、いつも焦って走って慌しいんですよね。私も、ゆっくりとは無縁の毎日でしたよ。のんびりって何なん?止まったらアカンようになるんちゃうか?

連載 NO,19 ここで私から親御さんに是非にお伝えしたいことを申します。摂食障害は、摂食の病ではなく、行動の病であり、感情コントロールの障害だと、私は思っています。 親御さんたちや周囲の方々は、どうしても目に付く、目に見える部分の「食行動」に捉われてしまいますね。体重や体型に捉われていることや食欲の問題だと、「ちょっとくらいぽっちゃりしていた方が可愛いのよ」とか「きちんと食べないからだ」とか「世の中には餓えている子供もたくさんいるのに意思が弱いからだ」など、このような言葉を聴くと、私たちの心の穴をまだ大きくするの?と叫びたくなります。 どうか、知ってください。知るということをしていただきたいのです。摂食障害を知ってください。 摂食障害という疾患を、もっと知ってほしい。決して食に関する病気ではないことを。とても生き難く不安な気持ちの中で、もがく苦悩を。甘えているだけでも、弱虫なだけでもなく、どうしていいのかが分らない事実を。繊細すぎて、他人の一言に傷つき、他人の視線に身を強張らせ、益々動けなくなる毎日を。寂しく、切ない、孤独な気持ちを。愛がほしい。見守っていてほしい。傍にいてほしい。立ち上がるまで、そっと傍にいてほしい。もっと知ってほしい、この疾患に罹った者しか分らない、この疾患を克服して初めて分る事柄を。 さあ、私の話に戻しますね。いよいよ大人のような子供のような反抗期になり、反対する母親に逆らって、10歳年上の人と暮らし始めます。同時に親代わりの主治医からも自ら卒業し、手のひら一杯に1日4回飲んでいた薬ともスッパリと縁を切ります。よくまぁ、思い切った行動を起したもんだなと、今の私は、その時の私を大いに褒めていますよ。「よ〜やったで」。 この辺りから、摂食障害の症状が、現実逃避のストレス解消になっているのが、自分でも分ってきました。「これがあらへんと、やってからへんわな」と、自分で摂食障害の症状を知り始めました。やっとこの時期に「知った」んですね。習慣になった逃げの手段は、手放したいけれど、手放すのは不安でたまらない。摂食障害を治したいけれど、治したくない自分も大きく存在しているのです。

連載 NO,20 治りたいとか治したいとかを考える余裕もないままに、時間だけは過ぎていきました。一緒に暮らしているギャンブラーの生活費も私の過食代も、現実を見ると、それはそれは恐ろしい金額になっていますし、やりたいことが山のようにあるのに、時間がないし、集中ができないのですね。私は強迫神経症も抱えていましたので、完ぺき主義の性格も手伝って、「いつ寝てるん?」というほど、体も疲れきってきました。よ〜く考えると、布団を敷いて眠ったことがなかったですね。いや、自分の布団を持っていませんでしたね。現実を見ることを始めたしんどさがありましたが、いつも主治医の存在が心にあって、あそこで見守ってくれているよなって、安心感が根付いていました。今を生きるしかないよなって思いながら過ごしていました。主治医の存在が、私にはお守りになっていましたね。しんどさがあることを知って、私のしんどさなんだと、この体が分ってきたんですね。「自分のしんどさなんだな。これは、間違えあらへんわ」。「知る」。今の自分を「知る」。回復に繋がっていきました。知るのは、感情は入らないんですね。分るとか、認めるのは、まだまだしんどいんですね。認めようとするから、しんどいんですよ。自分は、こうだって、知るだけでいいよ。感情を入れるから、腹も立つでしょうし、イライラ、ムカムカもするでしょう。理解しようと焦るから、分らなくなるし、答えを出そうとするから、焦るんですね。しんどいままを抱えて生きることをしたくないから、愚痴になるんですよね。

連載 NO,21 月日を重ねると、心の精神年齢とは無関係に、職場では、年下の人たちが増えてきます。責任のある立場になってきます。大人=責任。ここで私は考え始めました。いや、動き始めました。何度も言いますが、大人になることが回復ですね。大人になるって、「知ること」なんですよ。大人は、100のことを知っています。子供は、10を知っています。100のうちの60くらいで、まっ、いいか、なんですよね。私は、やっとそれに気づき始めました。10の中でもがいていた自分を知りました。「知ること」とは、体で経験を積むことなんですよね。じゃあ、動くしかない。 知るには、傾聴と頭を下げることなんですよね。私が一番苦手とする部分でした。傾聴ができて、頭を下げることができるのが大人なんですよね。

連載 NO,22 傾聴と頭を下げることに、不慣れな私には、膨大なストレスになりました。当然ですが、摂食障害の症状は悪化してきました。いや、これはいい傾向だったんだと、今になればよく分かります。知ることが増えると、大人の事情も分ってきました。現実も見えてきました。とんでもなく、恐ろしいほど、苦悩しましたよ。この頃、苦悩が付きまといましたが、喜びもたくさん得たのは事実です。知識と常識、そして人間関係という喜びですね。楽を選んで逃げていた頃は、守ってほしい、愛してほしい、もっともっとの一点張りでしたが、守るという立場と与えるということを知ると、満足を得て、楽しさを知っていきました。二進法の世界が、五進法になり、10の知識が60になると、「人それぞれ」が分ってきます。大波もやってきました。大人と子供を行ったり来たりですので、家の中の物たちには、悪いなと思うほど、ぶっ壊れていました。細かくは書きませんが想像してくださいね。そして、現実を生きていない同居人に攻撃が向きましたね。摂食障害の告知はしていませんので、自分だけの時間を確保するにも、イライラが募ります。自分とよく似たところに目が向き、私よりも30センチ背が高く、世間の見晴らしがいいだろうに、私よりの3倍強の体重とウエストは2倍強で、どーんと安定しているはずなのに、いやそれが負担で自分の足で歩けなかったのかな?いつまでも守ってくれるという考えは、大人への階段を上ろうとしませんね。階段の存在を知ろうとしませんね。それぞれが歩く道の前を、躓かないように、汚れないように、綺麗に掃除をしてあげるのは、愛ではありません。自分の足で歩くように、そっと背中を押してあげるのが、本当の愛だと感じます。信じるからできる愛だと思います。抱え込むのではなく、手放すことが、本当の優しさなんだと、私は思っています。

連載 NO,23 さて、やっとかな?そう、やっと、自分の実際の年齢と自分の心の年齢が一致したのが、この頃でした。岡本理香、35歳。主治医に育ててもらって、12歳。拘り続けたものを手放す時期が、自然にやってきました。知ったからこそ手放したものがありました。人それぞれなんだと感じ、「申し訳けございません」と頭を下げると、足元の豆が見えてきました。職業柄、あまりにも身近すぎて置き去りにしていた「死ぬ」という現実を知り、そして、母親という存在を知り、きちんと向き合ったんだと感じます。人は老い、人は亡くなる。1日24時間という平等な宝を与えてもらい、それらに向かって歩いている生き物なんだ。だからこそ、今を生きることを丁寧にしよう。大好きな大阪を出ようと決心し、母に挨拶に出向きました。生まれて初めて聴いた母のアイメッセージが、幼少時に亡くなった私の実姉の存在と両親の喧嘩で交差した包丁の光景から、私を解放してくれたのでした。「私は、あんたより先に死ぬねん。これはそうであってもらわなあかんねん。だから、あんたは、これから一緒に永く生きる人を選びなさい。私は人生、つまらんかったんよ。戦争で疎開して、病気ばっかりして、なりたかった医者になるのをやめて、兄弟の面倒をみて、何もかも親の言いなりになって、好きなこともできずにきたんやもん。あんたには、同じ思いをさせたくないねん」。神戸の山で一人暮らしを始めたときから、症状がまったくなくなりました。5年近く一緒に暮らした人は、一人で歩くことを拒み、この世から存在を消しました。遠く離れた母には、母の残り少ない人生を堪能してもらいたく、連絡をしなくなりました。そして・・・・。

ゲーテ曰く「人は努力するかぎり、失敗も犯す」。約束を守るお話をしましたが、自分との約束を守ることにより、自分と自分の信頼関係を深めるきっかけに繋がると、私は確信しています。岡本理香曰く「完璧主義は、おもしろくない」。理想の自分へと近づく努力は大切なことですが、結果だけに拘ると、折角の経過中の楽しみがなくなってしまいます。もったいないですよね。約束を守ることに集中すると、その他のことを楽しむことも、場合によっては、それ以外の約束を破るかもしれませんね。自分の大事な人生です。おもしろく、楽しく生きてみましょうよ。素晴らしいあなたが、より素晴らしくなりますよ。
自分の人生は、自分で作っていきたいですね。自分が自分だと感じたいですね。摂食障害の症状が、今は必要なんですよ。今、必要なものは、上手に温めていきましょう。 もっと必要の割合が高いものが見つかるまで、堂々と持っていていいんですよ。自分にとって必要なものを、焦らずに見つけてくださいね。焦らずに。自分は自分。「私は、私」「母は、母」。

連載 NO,24 岡本理香、35歳。「私」が目覚めた感覚を掴んだ頃。大阪の母の言葉を持って、主治医から教わった自分の基礎を土台にして、神戸で一人暮らしが始まりました。辛いことが一つあれば、辛いなと知って、「私は辛いんだな」と浸って、「これって私にはいらんよね」と思ったら、一つ捨てる。一つ捨てると、何となく充実して、また一つ捨てると満足を得ている自分がいました。皆さんにも、よく伝えますが、まず知っていくことなんですよね。誤魔化さず、知るということをするんですよね。「花を花と見て花と見ず」。今まで、正しくこれだったんだなとよ〜く分ってきました。自分が動いている、自分がこれをしているんだと、意識して、日常の生活も社会生活も始めたんですね。大人って、自由だけれど責任が付いてくるんだなって分かった頃です。芦屋市で訪問看護の仕事を始めて、責任、自由、選択、大人という繋がりを、体で覚えていきました。これも、岡本さんの口癖の1つ「体で知って」。誰に対しても、申し訳けございませんという言葉を、頭を下げて言えるようになり、おかげさまで、おおきにありがとうと感謝できるようになりました。それは、傾聴を覚えたからですね。そして「でも・・・」がなくなり、「理由付け」に違和感を感じるようになりました。そうなんですよ。いかに、今まで意識せずに誤魔化して逃げて生きてきたんだとなと、それを意識して知っていったんですよね。丁寧に生きることを始めたとも言えますね。私の歩く道の前を、綺麗に掃除をしてくれて、上げ膳据え膳をしてくれる存在はないんだと、分ってきました。「高嶺の花よりも、足元の豆を拾え」を実践です。足元の豆を拾うには、足元を見ないと拾えないんですね。あなたの足元の豆。知ることから始めましょうね。

連載 NO,25 私は摂食障害の症状とは無縁になりました。転ばぬ先の杖を頼らずに、転んでも、起き上がればいいんだと思えるようになったんですね。転んだ時に「私は転んだんだ」と知る。「私が転んだんだ」。これは、かなり大事ですよ。この感覚がつかめると、誤魔化さずに、自分を生きることができますね。 「知る」。メール療法では、これをしていただいていますが、なかなか難しいんですよね。頭ではなく、体で知るんですね。知るには、感情は入りませんね。知るんですね。見ると、観るは異なりますね。 知るという感覚が掴めましたか?

連載 NO,26 大きな壁があるなと知って、それをほんの少し足を出して登ってみると、案外低いと知ったり、それは、実は壁ではなかったんだと知ったり、肩が凝るほどの大きな荷物を自分が持っているんだと知って、ほんの少しその整理をすると、自分に必要なものかどうかを知ることが出来たり、面倒だなって思う自分を知ったら、捨てるものを捨ててみたり、すると身軽になって、余計なものをほしがらなくなった自分がいることを知ったり・・・・。体で知ることがどんどん増えてきます。そして、知ることで、次の動きが自然に生まれるんですよね。現実を知るということですね。「夢見る夢子ちゃん」から卒業です。現実を知っているからこそ、夢が抱けて、目標を立てることができるんですね。連載NO,3(12月11日)より抜粋・・・・基本という土台。ビルを建てるのも、まず基礎工事からですよね。基礎をしっかり作って、そこへコツコツ積み上げていくからこそ、素晴らしい建物が出来上がるんですよね。基礎がしっかりできていると、アレンジもできますし、堂々としていますよね。基礎がきちっとしているからこそ、自分の世界が築けるんですよね。 意識して丁寧に動く。そして、体で「知る」ということを掴んでみてくださいね。
連載 NO,27 今、この瞬間の天気が、晴れているか、雨なのかを知ると、今、何が必要なのかを知ることができますね。明日は雨かも知れませんが、今は晴れているので、今は傘を差す必要はないんだと知りますね。雨が降ってきたら、その時に傘を差せばいいのですね。この感覚は、渦中の時は分りませんでした。「過去に執着して、未来を不安がる」。今、雨が降っているのに、傘も差さずに、雨で濡れているのも知らずに、来週の天気を気にして悩んでいるのが渦中の時でしたね。今を生きていないんですね。今が完全に抜けているんですね。私は、体で「知る」ことが増えると、リセットボタンがいらなくなりました。スケジュール帳は1冊で満足を得るようになりました。表現し難いモヤモヤとした感覚を、これが私のモヤモヤだと知っていくと、そのまま抱えてみたり、放置したり、雨が降るから、晴れという日が嬉しく感じるんだと気付きました。悩みもなく、いつもすっきり生きることが出来ると思っていたのですが、何に対してのすっきりなんだろう?モヤモヤがないと、すっきりとした感覚も分らないのでは?すっきりって、何も感じないロボットかもしれないなど、固定観念の枠が、ゴムのように柔らかくなってきた自分も知り始めました。親御さんに伝えたいことが、ここにたっぷり含まれています。お気づきでしょうか?

連載 NO,28 日常生活を意識して、丁寧に、一つ一つの行動をするって、本当に大事だと思います。知ることができます。現実を知ることができます。今の自分のレベルを知ることができます。知るだけで随分違ってきますよ。丁寧に、自分の足元の豆を拾うという感覚です。理想ではなく現実を、自分が自分の体で生きているという感覚を掴んでいきますよ。現実って辛いし、しんどいんです。逃げたくなります。特別扱いをしてもらえない辛さ、腫れ物のように関わってもらえない悔しさが込み上げてきます。しかし、ふと気づきます。自分って、そんなに大した人ではなかったんだわ。何ごとも努力をするからこそ進歩するんだわ。努力もしないで、誰かが何とかしてくれるはず、自分は価値ある人なのにと思い込んでいただけなんだわ。私は私という感覚です。「いろいろな感情があって、いろいろな自分がいて、それらを大きくひっくるめて私。これも私、あれも私、大きく捉えて一人の人間、いろいろある自分が、それぞれ点。点が繋がると線になり、線が合わさって、面になっていくという感覚ですね」連載NO,4(12月12日)より抜粋。

連載 NO,29 行動することが増えて、人間関係が浅くも広くなり、色々な変化を体験していきます。理想と現実の差がストレスとなるのですが、その差がぐーんと狭くなりますと、多少の変化にも、揺らぐことがなくなって、淡々と「そっか」と納得していくんですよね。 はっきり申しますと、出来ない自分や失敗する自分を知っていくんですね。 揺るがなくなった自分を意識できるのは、やはり、最初にお話したピカソさんの基礎がしっかりできているから、自分の土台をきちんと納得するように作ったからだと思います。 出来ないことがたくさんある、知らないことがたくさんある、失敗もたくさんする自分を知っていってほしいのです。

連載 NO,30 NPO法人心ざわざわとご縁があり、最初に講習会や面談などのお越しいただいた時に、私は皆様に「3年はかかります」とお伝えします。早くても3年という意味です。生まれてから母子分離をするまでの期間を、もう一度確実に歩んで行こうとする過程、すなわち、生まれてすぐから、18歳くらいまでに確立する自分を、今から作り上げていくという過程を歩きますので、焦らずに、ゆっくりと進みます。私も、完治まで、たっぷりと時間はかかりましたが、主治医や周囲の方が、信じて見守ってくださったからだと感謝しています。人は、いろいろな方々とかかわりを持って、階段をゆっくりと上がりながら、人間へと成長します。時間はかかりますが、必ず成長します。ゆっくりがいい。人は階段を上がりながら、人間へと成長していきます。エスカレーターではなく階段なのですね。山でもなく階段です。手すりもありますね。踊り場もあります。滑り止めもついています。階段を上がる自分の姿をイメージしてくださいね。すると「自分って、めっちゃ頼もしいやんか」と自信があふれ出します。頼もしいと感じると、人を思いやる心も生まれてきます。余裕という思い。ゆっくりでいいんですよ。ゆっくりがいいんですね。しっかりイメージしてくださいね。自分の姿を。素晴らしいあなたに、今日もありがとう。

最終回 症状がなくなり10年。岡本理香は、今を生きています。今を自分で生きています。知ることから始まった回復へ道は、大人になるための階段を、自分の足で上がっていくことでした。たくさんの方々に見守っていただき、5歳児の大人の私はコツコツと成長階段を上ってきました。ひたすら「知る」ことを重ねました。体で「知る」ことを積み重ねました。最近よく思うのが「親の意見と冷酒は後で効く」という言葉です。いろいろな方のいろいろな言葉が、後でじわじわと繋がってきましたね。よく効いています。自分自身の行動も、成長過程も含めて、いろいろなことを、すべて後で気が付くのですね。意識することで、あら?と思うことが増えてきます。ほんの少しだけでいいんですよ。丁寧に意識して生活をするだけで、不思議なことですが、大きく大きく自分自身が成長していきます。自分の体で「知った」ことを、言葉にしていくこと、行動にしていくことで、自分のものになり、分ってきます。理解ができます。そして、ようやく受け入れて、認めることができるのです。私も、まだまだ成長過程の階段を上がっている最中です。 何度も言いますが、経過を丁寧に楽しむことを、今、私はしています。結果を想像しないで、今という経過を知っています。そうなんです。結果は後から付いてきます。だからこそ、今のこのまんまの私で経過を知るのが大事なんですね。強くなろうとか、前向きになろうとか、頑張るんだと思うのではなく、今の自分を「知る」。そのままの自分で、今を歩くことが、回復に繋がるのです。長くなりましたが、摂食障害に悩む子供さんに、親御様から「そのまんまのあなたでいいのよ」と、メッセージを贈ってあげてくださいね。私は、私という感覚を掴むまで、そっと見守ってあげてください。そのまんまの私。元々の素のあなたでいいんですよ。同時に、親御様も、ご自身を知ってください。ご自身のアイメッセージを知ってください。そうです。子供さんの人生を、子供さんに返してあげてください。信じましょう。信じることが、愛なんですね。
最後に私がよく使います5個の「あ」。焦らない。慌てない。諦めない。アイメッセージ。そして素直にありがとう。

◇NPO法人 心ざわざわ Top<私は、私という感覚
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