NPO法人 心ざわざわ 摂食障害専門の相談サポート

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NHKラジオ出演

NHKラジオ第2(全国放送)「ともに生きる」、2008年6月22日(日)8時〜8時30分(19時〜再放送)
著書「死んだら、アカン」を朗読していただき、岡本理香が自らの摂食障害からの回復過程を語らせていただきました。

回復して初めて分ること

私は、20歳代前半に摂食障害の症状が現れました。世間の枠にはまらない自分の感性に自信がなく、自分を信じることができずに不安で不安でどうしようもなく、30歳で死ぬことを決めていたほどでした。自分で感情のコントロールができず、人からどう見られるかということにとらわれて、自分の存在を認めてもらうために、理想の自分を演じて、現実の自分がわからなくなっていました。過食は、自分の逃げ場でもあり、赤ちゃんがお母さんのおっぱいを吸う感覚で、頭を真っ白にできる時間なのです。私の拒食が始まったのは、看護師として大阪府内の病院に勤務してすぐ、それまでの優秀で良い子を保つことが崩れ始めた頃でした。社会人として責任を負うという大人になれず、怖くて仕方なかったんだろうと思います。
【初めは食べないだけだった。自分でもわからなかったが、食べないだけだった。体重はどんどん落ちて30キロ台になり、1年ほどで過食へ移行、排出行動も同時に始まった。かたくなに閉じて、自分の世界に没頭していた。不眠は当然のように不安を増大し、もっともっとと強い睡眠薬を希望していった。今考えると、あれだけ服用しても眠れなかったのかと不思議でたまらないが、夜中に目が覚めるのが恐怖なのである。そう過食が始まると恐いのである。いつ過食の衝動が始まるかもしれない。そう、自分を信じていなかったのであろう。一番身近にいる存在が、一番信じられなかったのだ】死んだら、アカンより抜粋。
社会に出て、今まで優秀だった自分が、実は子供だったと気づくことを避け、大人になりたくない自分もいて、いつも頭の中が混乱している状態でした。どうしたらいいのかも分からない。大人の曖昧な生き方や人と同じことができなくて、とにかく何が何だか分からない状態でした。一人で生きることが怖くて、誰かにしがみつきながら、綱渡りのような毎日は、とにかく寂しい。生きているのが寂しいのです。信じるということが何もできない、生き辛く、疲れきっていました。消えてなくなりたかった。その寂しさを満たすために、食べ続けて、それでも満足感も満腹感もわからず、普通に生きたいと思っても、普通は、私にとって普通ではなかったのです。
私は、摂食障害であることを親には伝えませんでした。専門の病院で看護師としても働いていましたので、知識だけは十分備えていましたが、この状態がいつまで続くのかと、不安でたまりませんでした。出口のないトンネルのような感じでした。幼少時に、納得するまでの安心感を得ることができなかったのでしょう。年齢を重ねても、自分の土台がなく、いつも見捨てられるという不安があり、本当の自分というか、本来感じるままの自分を殺して、ロボットのような感覚で生きていました。抑えが効かなくなると、爆発しますので、コントロールできない衝動を、食にぶつけて誤魔化していたのです。 自分で自分をコントロールできない、感情が毎日ジェットコースターに乗っている状態で、体も心も頭も疲れきって、どうしようもなく追い詰められていました。嬉しいとか悲しいとか、泣くことも許されないという感じで、感情を抑え切っていたと思います。
【「先生、私、寂しい」フッと言葉が出る。始めて口にした言葉。主治医のところへ通い始め数回目の診察時間。言葉と同時に素直に涙が溢れる。私には衝撃的な瞬間。泣いている。この私が。今までにない感情だった。そこへ行けばいつもいてくれる、どんな時も変わらない大きな器がある。死にたいと重く閉ざされた言葉は出しても、いつも大きく温かく頷いてくれる。そう、打てば響く存在がある。言葉を素直に出すと、言葉ごと丸ごとその中に吸収されていき、そして、私の心に響く何かを贈ってくれている。何かはまだわからなかったが、主治医を信じ始めていたのであろう。そう、主治医との関わりの中で信じるという感覚が、私の中で育ってきたのであった。信じることを知ったのである。人という存在のぬくもりを感じながら、安心するという居場所を見つけたのである】死んだら、アカンより抜粋。
主治医と出逢い、自分と向き合う機会を与えてもらいました。自分の体を痛め続けて、夜勤のあるハードな看護師の仕事も、職場での責任のある立場に耐えられないという未熟さも、現実が見えてくると、益々辛かったですね。それも大人になる過程のひとつだと、今になればわかりますが、思春期の心の葛藤、自分の心が安定していないのが、また不安となり、混乱していました。
その中で主治医の診察には欠かさずに通いました。主治医の前では、堂々と子供になって、そのままの自分を出してもいいのだと思い始めたのでしょう。いつも大きく温かく包み込んでくれる場所であり、摂食障害の岡本理香ではなく、岡本理香という一人の人間と向き合ってくれていると感じ、一言でいうと、安心感が溢れました。信じていい人だと感じていたのですね。口癖のように、死にたいといい続けていましたが、主治医が「死んだら、アカン」と言ってくれたときの瞳の深さに、死ぬ選択をはずしてくれたというか「先生にまた逢いたい」という気持ちが私の中で芽生えたのだと思います。同時に、死ぬことを諦めたけれど、生きることを諦めなかった自分が生まれたのです。 主治医と出会って20年がたち、今振り返ると、生き辛いとか怖いとかで逃げていたのは自分だったと分かりましたね。
大人になるのは、頭ではなく、体でいろいろな体験をしていくことだと、人とのかかわりの中で頭も下げ、できない自分を認めていくことだと、知っていきました。怖がって何もしようとしなかった自分にも気付きましたね。プライドと負けん気を捨てて、転んで泣いて痛い思いをしても、主治医という存在があったからこそ、大丈夫だ、自分でやってみようと思うようになったことが回復へ道でしたね。成長を拒んでいた私を、何も言わず、辛抱強く、見守ることで、親子の関係って、信頼という愛が根底にあるのだよって、主治医から教わりました。いつも、そのままでいいんだよって言ってもらって、このままで生きていいんだ、ありのままの自分を自分で信じていいんだ、自分を信じるのが自信であり、世間から外れているとか、自分が普通でないと思うことなく、このままでいいのだと分かっていきました。堂々と自分の感情を抱いてもいいんだなって納得できた頃、ふと気が付くと、摂食障害を手放していましたね。本当に、主治医には、心から感謝しています。
心の中は、ざわざわと、いつも色々な感情が渦巻いていて当然。どんな感情の自分がいてもいいんだ、そのままでいいんだ。それぞれのパーソナリティ・スタイルを築き、円熟な大人になることが回復です。ご本人さんも、ご家族の方も、一人で抱え込まないで、視野を広げ、余裕を持つことが、何よりも大切だと思います。
【さあ、今感じるままに、あなたの言葉を素直に出してみましょう。遠慮はなし、良い子もなし。その中で、素敵なことがあったと気付くでしょう。摂食障害を抱える方々の繊細で感情が豊かな言葉は、本当に素晴らしいのです。そして、皆様の存在は、とても素晴らしいのです。かつて私を支え続けてくれた大きな存在、愛が溢れる存在からもらったたくさんの言葉を、今度は皆さんに贈りたいと思います。愛は信頼を根付かせてくれます。信じるという大切さを教えてくれます】死んだら、アカンより抜粋。
−心ざわざわは、いつでもここであなたを見守っています−

あなたへ贈るメッセージ

今、この瞬間を、今、大事にすること。
今、できることを、今、始めること。
今、できたことを、今、褒めること。
今、感じたことを、今、言葉にすること。
今、目の前の自分を、今、知ること。
そう、今、そのままを、今、受け入れること。
あなたって、本当に素晴らしいのですもの。

そっと見守っています

今日は表情が少し硬いかしら?イライラしている時は「素直じゃない」んですよね。自分に素直じゃないってサインですよね。ほら、見えないところを、誤魔化していませんか?自分に、素直な言葉で語りかけてみませんか?独り言って、とっても大事ですよ。あなたのそのままで、いいんですよ。飾らない、そのままでいいんですよ。
コミュニケーションできないのは、無意識に自分が得する人を選んでしまうからかな?頭で考えるのではなく、心が感じる「好き」「いいな」。そして、体が掴んだ「心地良さ」。今のそのまま。そのままでいいんですよ。
がんばるよりも、心の窓を開けてあげると、とっても喜びます。自分が、とっても喜びますね。窓を開けるのは、あなた。今日は、ざわざわがそっとノックしますね。
自由って、自分に由ると書きますね。由るって、原因とか対応とかを指します。自分って何?自分だって、これは自分だって確信を得ることで、本当の意味での自由がわかるのでしょう。今、何かに気づき、もがき始めた皆さん。過食という味方を得て、自分を発見する旅を始めたのですね。辛い、しんどい、苦しい。何かに気付こうと動き出したからこそ感じるもの。素晴らしい皆さん。焦らなくていい、そして諦めないでほしい。一人じゃないんですよ。あなたを思い、そっと応援してくれる存在が必ずあります。心ざわざわも、いつもあなたを感じて応援しています。
琴の絃を強く張り過ぎると切れてしまますが、緩すぎると良い音色は出ないですね。ほどほどの張りは、人の生き方にも同じ意味を持ちますね。張り=執着。こう考えてみましょうか?自分への執着を、捨てることなんですよね。諦めではなく、我慢ではなく、納得という緩めることですね。余裕という言葉を、過食に被せてみてくださいね。今は、いいんですよ。過食は、あなたの味方をしてくれます。今は、そのままでいい。
ありがとうね。 たくさんのメッセージをありがとう。 どんな状態でもいい、しんどくて、辛くて、どうしよもなくて、泣いて、頑張らなくていい。繋がっててほしい。繋がっていてほしい。
昨日と今日そして明日。呼び方が違うだけで、あなたの日であることには変わりがありません。すべて、あなたの日なのですね。それぞれの日で、ものに対する考え方や印象が変化しても構わないと思います。昨日がこうだったから、今日もこうでなければならないということはありませんね。いいんですよ。日によって、感情も思考も変わるんですもの。こうしなければならないと、そのことに気持ちが捉われて、大幅な時間を費やすよりも、新しいことを見つけてみようと行動を起こすことに、時間を使ってみましょうか? あなたが、今感じるのは、今という日。今を丁寧に。感じることを丁寧に。今、感じるままを送ってくださいね。
頭で考えるよりも、心で感じて、体で覚えることが、まず一歩ですね。今日は、頭はお休みしたいな。
視野を広げて、いろいろなものに目を向けて、ストレスを感じる度合いを下げていくことで、自分らしさに自信が生まれていきますね。ゆっくり、でも確実ですね。無理をせずに、ゆっくり。ありがとう、穏やかさを。ありがとう、微笑を。
幸せの元々は、為合わでした。これは与えられた条件に行為を合わせるということ。今あるものの中で、コツコツと丁寧生きることなんですね。今を生きていますか?今という時間を感じていますか?
今日は、ドイツの短編小説をご紹介。「1つだけ願いを叶えて、その子の母は祈 る。誰からも愛される子になりますようにと。そして、生まれた子は、誰からも 愛されて思うように地位も財産も手に入る。しかし・・・その遺書にある言葉は 、『お母さん、皆を、誰もを、愛せる人間に成長するように、祈ってほしかった 』と」。 心ざわざわは、愛することができる幸せを、今日も感じています。そっと見守っています。そっと愛しています。あなたを。
他人は誤魔化せても、自分には嘘はつけない。今は、過食という転ばぬ先の杖に助けてもらっていい。少しずつ納得できる自分を作っていくこと。ゆっくり。

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