NPO


○著書「死んだら、アカン」に記述しましたが、私は20歳過ぎまでの記憶がほとんどなく、20歳代は勤務先の病院の記憶はありますが、それ以外の記憶が出てきません。35歳までの記憶はまばらですが、所々思い出すことはできます。すべてが他人事なんですね。何度も言いますが、時間、空間や出来ごとのすべてが別々の点であり、景色が他人の視線に映る感覚で、自分の存在がまったくないのにも気づきます。場所や時間、接する人や物が変化すると、新しい点になり、それらの前後が繋がってこないのですね。 自分の価値観で行動しない点の自分は、積み重なり線になることがありませんし、点の自分の行動は、守られたい一心で、嫌われないために、その場しのぎをしているだけでしたので、自分の土台になりませんでした。これらは、克服してから確信を得たものばかりであり、渦中の時には、すべて無意識なのですね。夢遊の中では安全でした。時々ちらつく現実に存在する自分の感情と自分の立場に、恐怖を感じ、それらを打ち消すように、また夢の中へ逃げる。この繰り返しをしながら、気づくことがありました。それは、自分は自分に怒っているんだということです。嘘つきの自分がいました。自分に嘘をつき続けている自分に、現実を知ろうとした自分が混濁して、不満をぶつけたがっているのです。混濁して 、分裂して、内乱が生じ、崩れかけていました。自分は20歳半ばを過ぎ、年齢も体も、十分に社会でやっていけるはずなのに、点が積み重ねっていない自分は、心理的にまったく成長をしていなかったことに気づくと、現実逃避の症状やその他諸々の問題行動が激しくなってきました。それは、現実を知り始めようと動き出したからなのですね。自分と向き合い始めたからなのですね。苦悩は増し、辛くてしかたなく、誰かを責め、何かに当たり散らし、それでも生きていました。しんどさは何十倍にもなりましたが、自分の存在を知り始めたのです。だからこそ、苦悩し続けたのです。一つ一つの点が、確かに継続して存在しているのを知り始めました。繋がるという意味が体に入ってきました。この過程は、一言 で表現すると「もがいた」となります。理由付けなし、言い訳なしで、とにかく無茶苦茶でしたが、動いたのです。失敗して恥をかいて頭を下げて落ち込んで、また動いて動く。克服して、11年目。今だからこそ、淡々と知ることができ、真剣に生きてきた自分の足跡を目を細めて微笑みながら見ることができます。今、体も心も頭も、46歳という年齢で一致しています。違和感なく、自分に怒ることもなく、点が毎日繋がっています。そして、やはり今も動いています。それなりに動いています。今の自分に応じた行動を積み重ねています。自分の現実が、すべて自分のものだという感覚をしっかり掴んでいます。他人の現実は他人のものであり、自分の現実との区別がついてきました。自分の視線が捉えるものと、 他人が捉えるものは、まったく異なるのだということをしっかり掴んでいます。

○何ごとも「知る」ことから始まります。とっても大事なんですよね。「知る」。何故、こういう症状が出るのか、こういう行動をするのかや感情を抱くのかなどは、回復して後で分ります。先ずは「知る」ことです。行動を知る。感情を知る。これからなんですよね。理想と現実の差に気づきながらも、どうしたらいいのか分からない状態の渦中では、無意識の部分に抑え込んだ「腫れ物」が、「私」にそろそろ出してほしいと迫ってきます。「私」と「私」が喧嘩をしています。これは本当に苦悩ですよね。しんどいですよね。大人になりたい、いや子供のままでいたい、いつも極端な考えに振り回されます。自分が自分を振り回しています。「知る」。今の自分を「知る」。回復に繋がっていきました。知るの は、感情は入らないんですね。分るとか、認めるのは、まだまだしんどいんですね。認めようとするから、しんどいんですよ。自分は、こうだって、知るだけでいいよ。感情を入れるから、腹も立つでしょうし、イライラ、ムカムカもするでしょう。理解しようと焦るから、分らなくなるし、答えを出そうとするから、焦るんですね。しんどいままを抱えて生きることをしたくないから、愚痴になるんですよね。

○親御様、関係者の方々へ。昔々。岡本は、5歳児を無意識に演じていました。今、自分の恥ずかしい姿を思い出します。あの頃は、まったく分かりませんでした。現実から、上手に逃げている強かな行動が目立っていたでしょう。周囲は、それを知っていながらも、待ってくれていたんですね。誰かに依存して、自分の一番近い存在を自分の思うどおりの枠にはめようと、相手を混乱させるのが得意でした。攻撃性は自分を守るためです。他人が、どれだけ大変だとか、体がしんどいとか、経済を回すのは大変だとか、現実を知りませんでした。人の心を読み過ぎているようで、実は、場の空気を読めなかったのです。自分の妄想の世界で生きて、凝り固まった思考が視野を狭くしていました。井の中の蛙大海を知ら ず。傾聴ができなかったというよりも、傾聴を知らなかった時期でした。周囲を馬鹿にした態度が言動の端々に見え隠れしていたのだろうと思います。怖がりで、守ってくださいって主張している態度に隠れたものが、ちらちらしていたのでしょう。何とかしてもらおうとした甘えた態度、負けん気とプライドが邪魔になるので、なかなか前に進めませんでしたね。進もうとする意志もなかったのでしょう。何も知らなかった、何も知りたくなかった、5歳児のまんまでした。自分で大人になろうとするまで周囲は待つしかありません。いいえ、信じて待つのが、愛なのです。上手に付き合うには、「今の娘(妻、恋人)を知る」に徹することです。感情爆発の状態を知ってあげる。淡々と知る。感情は入れずに知るだ けです。知ること、待つことは、自分がいかに大人かを問われるのですね。彼女たちは、周囲に、それを投げかけるのです。まだ、食や症状や体型に拘っていますか?現実を知りたくないからですよ。まだ何も意味がわかっていないのです。周囲の言葉は、まったく耳に入っていませんし、ちんぷんかんぷんの状態です。知りたくないので、避けているんですよ。これらが、すべて無意識なのですね。知るのは、これからなのですよ。時間はかかりますが、大人の待つ姿勢で、一緒に揺れないように、どーんと構えてください。親御さんの手のひらで、バタバタともがいている娘さんを温かい無関心で見守ってあげてください。時期がくれば、突き放すのも必要ですし、時期的には、包み込むのも必要です。あるべき ようは、躾とも言えますね。当たり前のことはありませんが、当たり前の感覚を知ることが必要になります。言葉を知るには、言葉を出すことを教えてください。子育てと同じなんですよ。5歳児の大人を再度育てるのです。過去に嫌なことがあった現実を知りたくないので、すべてを見ないフリして、妄想の世界に逃げています。その子供を、現実の世界に呼び戻し、自分の足で成長出来るようにサポートするのです。ヘルプではなく、サポートが必要なのですね。人は、自然治癒力があります。私の中では、治癒力とは、成長を意味すると確信を得ています。

○「看脚下」読めますか?「きゃっかをみよ」ほら、ざわざわの口癖ですね。家に着いて、ただいまと言いながら、靴を揃えることができるようになったと、メール療法仲間の言葉です。足元に気をつけてくださいね。あなた自身の足元ですよ。自分が進みたいと思ったときには、まず足元を観ることからです。岡本も、何かに頼って生きている時、それを失うと、立ちすくんでしまい、身動きができなくなったという体験がありました。真似をして追いかけて、上ばかり見て走っていた時期は、足元のことなんか眼中にありませんでした。ある日、あっ!と踏み外して転げて落ちました。痛かったですよ。痛いと初めて知りました。そして気づきました。恐がりなのに、心配性なのに、自分の足元を見なかった自分に気づきました。自分はこんなにも子供だったのかと、我ながら恥ずかしくなりました。他人のことばかり気になって、自分の足で歩いていくことを忘れていました。いいえ、知りませんでした。靴を揃えて、気持ちを揃えて、その靴を履いて、まず一歩。気持ちも一緒に、まず一歩。 一歩ずつ丁寧に歩き始めると、気持ちも一緒に歩きだしました。視線も思考も感情も、同じ景色を楽しむようになりました。 辛いことが山のようにあります。苦しいことが山のようにあります。摂食障害に逃げて護ってもらっていたころは、本当に楽でした。おんぶに抱っこでした。自分の足を使っていなかったのですね。靴も要らなかったのですね。自分の足で歩くようになると、自分の足を観ることが増えました。その足と共に歩む靴を丁寧に揃える行動も自然になりましたよ。

○頭の中を5分間だけ、真っ白にする。挑戦してみてね。難し過ぎるとメッセージをたくさんいただいています。ヒントは「頭の中を真っ白にするという思考も捨ててしまうこと」ですよ。今日のヒントは「放下着」ほうげじゃく。○○の親ではなく、○○の子供ではなく、○○の重役ではなく、「あなたのお名前は?」本来の姿に、肩書きは必要ありませんね。メール療法で、タイトルにお名前を書いていただく理由の一つに、「私は○○という名前の一人の人間です」と毎回毎日意識していただくことがあります。 あるがままとあるべきようの違いに気づかれた方も多いですね。自己主張と我がままの違いですね。今日は、大きな声で堂々と言ってくださいね。あなたのお名前は?今だけに集中すると、頭の中もついてきますよ。

○今日のテーマは、自分の行動に「言い訳しない、嘘をつかない一日にする」。取り組んでみましょう。取り組む前に、理由づけは要りませんね。今だけに集中すると、頭の中もついてきますよ。ほら、言い訳や嘘って、感情にくっついた妄想ですよ。三位一体の順番に気が付いたかな?

○「錯覚」とは?思い違いや勘違いを指しますね。客観的事実を違ったものに知覚することであり、岡本は、これを一人芝居と表現します。昔は、この一人芝居が多かったなと感じます。錯覚が一つあると、それを妄想の世界に自分の思考を引っ張り込んでいました。想像力が豊かな、独り言の多い自分が、現実の「今」を生きるようになったきっかけは、数字でした。数字って、くっきりした表現方法の一つであり、具体的な説明でもあり、説得力が倍増すると言われますね。正しく、これだなって実感です。岡本の反応した数字って、何だと思いますか?毎日見る、本当に身近なものなんですよ。その数字の捉え方が、大きく変わりましたよ。

○メール療法に取り組んでらっしゃる皆様へ いつもありがとう。それぞれのペースで、コツコツ歩んでこられました。素晴らしい方々ばかりです。確実に成長をなさっています。メールを送って下さるという意識が、何よりも素晴らしい経過であり、継続であり、結果であり、成長の過程なんですよ。皆様のコツコツを評価しています。取り組む真剣な気持ちは何よりの宝物ですよ。コツコツ瞬間を丁寧重ねてまいりましょう。今日もメールをお待ちしていますね。

○メルマガを毎日読んでくださる皆様へ 体。食事を制限すれば、必ず過食が訪れますよ。嘔吐をすれば、必ず過食が訪れますよ。心。嫌なことから無意識に逃げていると、過食で誤魔化しに入りますね。頭。〜しなければならない固定観念は、食に拘り習慣化してしまいますね。お気づきでしょうが、過食は、トップバッターではありませんよ。何かがあるので、アンカーに過食が待っているのですね。 まず「知ること」ですね。自分の動きを知る。自分の感情を知る。自分の考えを知る。それらは「今」の自分を知るのですよ。無意識の部分の「今の自分」のそれらを知る。ただ知るだけなのですよ。メール療法は、自分を知る作業ですね。自分と向き合う自分のための時間ですよ。そして、講習会や交流会は、人生の勉強とも言えますね。自分が自分の足で自分のために歩くための人生の勉強なのです。誰も何ともしてくれませんね。自分の足で歩くのですものね。これらは、すべてコツコツの積み重ねなんですね。ざわざわと繋がってくださって、一緒にコツコツと交流くださっている皆様。心よりありがとう。ご縁に感謝しています。

○「本来無一物」モヤモヤしてすっきりしない自分。それを許せない自分。今を知りたくない自分。昔々、岡本は、今を誤魔化すのが得意でした。今から逃げるのが早かった頃です。何から逃げているの?と問うと、「もともとは、何もないものだよ」と答える自分に気づきました。「本来無一物だよ」何もないところに、自分の妄想だけを巨大化して、あることないことを自分で作り上げていたのですね。なるほど、それらに忙しくて、「今を積み上げる暇がなかった」のですね。気づくと行動に移せます。今をコツコツ重ねることに勤しみ始めました。現実から逃げていては、「今」を積み上げられないのも知りました。
○人は失敗から作られると言います。岡本の若い頃は、その失敗が怖くて仕方ありませんでした。大成功の理想の自分を基準にしていたからですね。それでは自分を作り上げることが出来ずに、理想の自分だけが生きていました。失敗が怖いのは何故かな?と考えると・・・謝ることができない自分。人より劣ることを怖がる自分。それは、プライドの高さからくるものでしたね。プライドという意味を大きく履き違えていたのですね。
○プライドの高さが回復の邪魔になりました。言い換えれば、向きが間違っていたので、回復の邪魔になりました。プライドを捨てるのではなく、方向を換えるんですよ。他者へのプライドは不必要でした。自分のプライドは、自分に向けることなのですね。 自分の中での自分へのプライドです。それは、信頼関係の土台となりましたよ。自分と自分の信頼関係ですね。相手を思う気持ち。これが自分のプライド。相手からの見返りを期待し、相手の反応で、プライドが傷ついたと恨みに近い感情を抱くことはプライドがないということですね。揺れることなく自分が思う気持ちを信じることが、自分の自分へのプライドなんですよ。
○「自分は○○であるべき」これは理想を描く妄想の世界の自分に執着しているのですね。プライドの高さは、この妄想の大きさだったことに気がつきました。岡本が、無意識に、あれもこれも欲しがっていた時期です。納得ができないのに、納得しているフリをして、理屈の合わない思考で、いつも怒っている状態だったと思います。私は、こうであるべき。この「○○であるべき」思考の方にお訊ねしますね。あなたは、本当に好きなことや本当にうれしいことがありますか?
○「○○であるべき」思考では、視野が狭くなりますね。よく考えると、この思考は、元々は、誰の思考でしたか?いつ頃から、「○○であるべき」と思い込んでいたのかな?この「○○であるべき」思考は、個性が溢れていますね。私は気になるけれど、あなたは眼中にもない事柄って結構多いのですよ。
○向日葵は、自分が向日葵だと知っています。だからこそ向日葵だというプライドを持っています。向日葵としての「あるべきよう」を知っているのです。そして「あるがまま」に生きることが叶うのです。向日葵にとっての「プライド」は、コスモスには無関係なのですね。逆にコスモスのそれは、向日葵には無関心なのですね。
○自分の視点だけに執着していると、周囲の方の視点も同じだと考えてしまいますね。よく言いますが思い込みの妄想になっているのですね。ただそれは、自分の視点が、まず自分の選択した視点でないので、納得出来ずに不満がどこかで募っているからなんですよ。自分が納得して選択した視点を探してみてください。「自分は○○だ」なんですよね。「自分は○○であるべき」ではありませんね。「自分は○○だ」は、選択をしたので、他にも選択があったことを知っています。そうです。他の方は、異なる選択肢をしているのだという枠が広がります。
○視点のお話。自分の中に、色々な点の自分がいます。点がたくさんあり、それが面になって、「今の自分」という一人の人間が出来上がり存在します。一つの点だけにしようと思っていませんか?すっきりと楽に生きていくんだと思っていませんか?自分が注目している点は、理想の自分であり、妄想の自分ではありませんか?そして「今の自分」は、シンデレラ?白雪姫?おとぎ話のヒロインかしら?
○生きていると、嫌なことは、毎日ありますよ。摂食障害が治ると、すっきりすると思っていらっしゃる方が多いのですが、経験上、すっきりとは程遠くなりますね。何度も言いますが、回復が進むというのは、大人に成長するということなんですよね。生き辛さはなくなりますが、責任という現実の重さを実感しますよ。毎日モヤモヤして、悩んで、しんどいな嫌だな面倒だなの感情が溢れてきますよ。それを浸って、放置して、あるべきようの行動ができるのが責任という現実に生きる大人なんですよね。

○我逢人(がほうじん)。人が人と出逢うことからすべてが始まります。摂食障害の症状が出た時点が、回復の一歩目でしたね。症状が出ることは、自分が自分と出逢ったということだと岡本は確信を得ていますよ。そして、自分だけの世界で、ぐるぐる回って固まった思考を解きほぐして、「それぞれ」という感覚、グレーという感覚を知るのが、我逢人なのですね。人は、それぞれの領域を持って生きていますね。人と人が出逢うと、自分の領域を知り、新しい領域が生まれますね。ほら、自分の凝り固まった領域に、誰かをはめようとするのは、無理、無茶、無駄でしたね。
○ざわざわのメール療法で、自分を知っていただき、ざわざわの講習会や集いで、人の領域を知ることで、自分の領域を知っていただく。自分の領域は、自分で選択していいんですよ。それには、責任という大人の領域もついてきますね。摂食障害から抜けたくないのは、いつまでも子供でいたい気持ちが大きくありますね。現実は見たくない、現実を知りたくない子供たちは、妄想の領域で生きています。ピーターパンは、おとぎの国の夢の中にしか存在しませんね。選択を知って、責任を知って、約束を守ることができる勇気を見つける「我逢人」なのですね。
○今日は太陽の再生を祝う日とも言われています。太陽の色も、それぞれの価値観が溢れましたね。晴れ、曇り、雨。捉え方も人それぞれです。曖昧な感覚を知っていると、太陽の素晴らしさも知ることができるのですよ。好い加減は、経験を積んで、自分で掴むものですね。
○我逢人(がほうじん)。選択という大人の責任を、今皆さんは知ろうとしています。体験が少ないというあなた。同時に注意を受けたり、諭されたり、いわゆる失敗と表現できる体験がほとんどないのですね。選択するという基準が、他人事なのですね。価値観が揺れるのは、自分がないとも言われますが、選択の時に、結果に目がいくからなんですね。自由な選択ではなく、嫌われたくない、恥をかかない、叱られないという価値観での結果に視線が捉われている「自己不満足」が無意識に存在する選択なのでしょう。 簡単に言いますと、自分を守る選択なのですね。
○気持ちが揺れるのは素晴らしいことですね。その揺れる気持ちがあることを知る。誤魔化さないでね。そしてこっそりと心に教えてあげましょう。「両忘」という言葉。心がとても穏やかになりますよ。これは苦楽のどちらも忘れるという意味ですね。二元的な選択ではなく、どちらも忘れて選択のない揺れ方を知ること。皆さんの得意な白黒の二元的な思考を忘れるには、グレーを探すよりも、まず透明にすることですね。ほら?水の色は何色でしたか?周囲の色を映す柔軟さがありましたね。選択よりも揺れている自分の心を知ること。そして楽しむこと。

○「そのまんまのあなたでいいのよ」私は、私という感覚。人って、いろいろな感情があって、いろいろな自分がいて、それらを大きくひっくるめて私。これも私、あれも私、大きく捉えて一人の人間、いろいろある自分が、それぞれ点。点が繋がると線になり、線が合わさって、面になっていくという感覚ですね。私は、渦中の時は、それぞれが孤立した点だったんですね。一点一点が、バラバラの点で、どれもこれも、私ではなかったんですね。何もかもがいつも他人事だったんですよ。褒められても、自分が褒められていない、点が褒められているんですよね。自分のものにならない。特に失敗したことや叱られている時は、絶対に私ではないんですよ。その点が叱られている、その点が失敗したんだと思って いるんですね。言い訳とか誰かがこうしたからだとか、後悔の嵐なんですね。反省すれども後悔はせずといいますが、堂々巡りなんですよね。次に繋がらないんですね。そういう嫌な感覚は、リセットボタンひとつで消したいと思っていますので、夢の中へひたすら逃げ込んでいましたね。私は、専門の病院で、摂食障害の看護をしている自分と、摂食障害の患者である自分、同じ自分ではなかったんですよね。点がまったく繋がっていない状態だったんだと思います。私はだれ?という感覚ですね。
○「無事是貴人」この言葉を読むと、何事も起こらず良かったねと感じてしまいますね。無事とは、何もしないことを指すのですよ。自分の中にいろいろな点の自分が存在しています。あれも、これも、それも、全部あるんですよね。外に求めなくても、自分の中にすべてが備わっているんですよ。まず自分を知ること。ここを意味しますね。どんな点があるかな?そして素直な純な点の自分がいることを知るのですね。これを知った方を貴人というのですよ。コツコツ知る。メール療法を頑張ってくださっている方々は貴人を目指して、コツコツ成長なさっています。ありがとう。
○自分を知ろうとせずに、誤魔化して日々を過ごしていると、旬に出逢うチャンスを逃してしまいますよ。素直な純な点の自分が、「ここにいるよ。見つけてよ」と叫んでいますね。「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」 道元。「春は○○、夏は○○、秋は○○、冬は○○」素直な純な点の私。あなたも好きな旬を並べてみましょう。
○渦中の時は、年間5〜6冊を買い替えていた赤いカバーのスケジュール帳は、年1冊を丁寧にコツコツ使いこなすようになり、今回も赤いカバーの新しいものを準備しました。あれだけ大好きだったリセットボタン。押すことではなく、ボタンの存在もなくなりました。今は、今。そして次の今も今ですね。今がコツコツ重なって、それはそれは素晴らしい「今」になるんですよ。コツコツ歩む自分を信じていきましょう。素晴らしいコツコツなのですよ。「あるべきよう」とは、コツコツ重ねている自分自身が本来持つ自然な「素」の輝く姿だと、岡本は確信を得ています。

○思い出してくださいね。「知足」とは?足りていることに気づくのは、自分の行動で得る視野の広がりと心の柔軟さでしたね。それらをそっと教えてくれるお話がありました。「オズの魔法使い」。それぞれに欠けているものを、自分の力で手に入れていく。本当は、自分の中にあったものなんですよね。主人公が、繋がりを知り、本当に大切なことが、こんなに身近にあったんだと体得していく行動の物語ですね。頭を真っ白にして、小説を読んだり、映画を観て、現実と妄想のメリハリを知るにも、「オズの魔法使い」は、あなたにヒントを贈ってくれそうですよ。
○あなたは?「行動が先の生き方」それとも「思考が先の生き方」それとも「感情に振り回される生き方」。メール療法をコツコツがんばってくださっている方々に、次のテーマを贈りました。皆様も取り組んでくださいね。「一日5分間だけ、頭の中を真っ白にする」。かなり、皆様、苦戦されていますよ。工夫が必要なんですよね。自分で「何だろう?」「どうしよう?」と悩む。そのモヤモヤした悩みを「抱えて」「放置して」「向き合って」。これの繰り返しが生きるってことですね。
○学びたい、知りたいという素直な気持ちに反応する自分がいます。じんわりと反応する自分がいます。一番弱いところを知っている方は、そこを避けるよりも、ぐぐっと向き合い浸り、納得という言葉を得ます。「なるほど、そうか」。体得するんですね。体が知るんですね。体得する時に、邪魔になるのが、超忙しい妄想型の思考なんですね。そして、それを忙しくさせているのが、カチカチに固まった防御型感情なんですね。「なるほど」これらは、すべて自分の中にあるものです。「いろいろと持っているんだな、自分って」と知る。今日も5分間だけ、頭の中を真っ白にしてみましょう。休憩ですよ。思考と感情に、休憩していいよって伝えてくださいね。
○「昨夜の夢を覚えている?」夢は、目覚めると消えてしまう世界ですね。永遠ではないのですね。これこそ、自分自身の妄想の思考なのですね。渦中の時の岡本は、眠っているのか?起きているのか?それすら分からない毎日でした。目覚めるのが怖かったのです。いつも頭の中は、夢の世界であり、現実を知る扉を頑なに閉じていました。でも確かに生きていました。体は現実の世界で生きていました。目覚めると消えてしまう「はかない夢」を手放すのは勇気が要りましたが、体と頭が繋がった時に、その勇気が「生きる勇気」になったことは言うまでもありませんね。眠って見る夢は、映画やドラマと同じ感覚なんだということを知りましたよ。今夜は、ファンタジーかな?ホラーかな?恋愛ストーリーかな ?もちろん、主役は、自分自身ですね。
○「本当の愛は、双方に負担がなく双方に期待がないものです」。自分と自分が、相思相愛なのですよ。素敵なパートナーが、一番身近にいるんですよ。自分と語り合ってくださいね。お互いが「知る」をベースに、「観る」のですね。あなたのパートナー、とっても素敵ですよ。
○「錯覚」とは?思い違いや勘違い、客観的事実を違ったものに知覚することであり、昔々の岡本は、錯覚が一つあると、それを妄想の世界に自分の思考を引っ張り込んでいました。現実の「今」を生きるようになったきっかけは、数字でした。毎日見る、本当に身近なものの捉え方が、大きく変わりました。時計なんですね。回復のきっかけは、時計を「今、何時だ」と読むようになったことでした。それまでの読み方は、「後、何分だ」「まだ、何時間しか経っていない」と、事実を知る前に、飛躍した捉え方をしていたんですね。じっくり考えると、数字の捉え方だけでなく、生きるすべてのことに対して、この捉え方をしていた自分を知ったのでした。
○摂食障害の症状が、今は必要なんですよ。今、必要なものは、上手に温めていきましょう。もっと必要の割合が高いものが見つかるまで、堂々と持っていていいんですよ。自分にとって必要なものを、焦らずに見つけてくださいね。焦らずに。自分は自分。

○2009年は、2010年の土台になっているんですよ。2009年があるからこそ、2010年がやってくるんですね。2009年、ざわざわと繋がってくださってありがとうございました。コツコツの歩みをご一緒できたことを、嬉しく思います。辛口のメッセージにも、なるほどのメッセージにも、本当にたくさんのお言葉をいただきました。数々の集い、講演会や講習会、メール療法やお手紙での言葉での交流は、謎解きの「知る」を重ねて、新しい世界が生まれました。あなたの人生、あなたが主役の1年間でしたね。素晴らしいですよ。「ありがとう、摂食障害」「私が私に出逢え、私があなたに出逢えた」ことに心から感謝します。
○感謝の気持ちは、湧き出た「ありがとう」を、心を込めて、1回伝えるだけで、十分伝わってきます。その後の「自分の気持ち」を大事にすることが、本当の感謝の気持ちなのですよ。感謝の気持ちは、見えないですね。継続して大事にしていくことが本当の感謝ですね。これもコツコツ継続なのですね。愛も同じですよ。伝えなくても、相手も大切に思う気持ちが、愛ですね。相手の気持ちではなく、相手を言葉で喜ばせるのではなく、自分の相手を思う気持ちが愛なのですね。ご縁に深く感謝します。
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