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随想
( 2007/1/27 )
二人目の先生です。音楽特に古楽、そしてギター関係の人にはおなじみの岡本一郎先生です。
もう30数年前になります。ガンバもやっていましたが、ギターで弾いていたバッハ、ダウランドなどをリュートで弾きたいと思い始めました。
関西でリュートをやっている人は、岡本先生しかいない時代でした。リュートもなかなか入手出来ない時代で、日本では、ギター製作家がほん
の少しリュートを作っていました。私は、野上三郎さんのリュートを手に入れリュートを始めたのですが、いい先生がいらっしゃたら習いたいと
考えていました。当時、仕事場が西宮だったので一番近い所に岡本先生がいらっしゃったのです。始めて西宮仁川のお宅にお邪魔した
とき、最初に「音楽を習うものとしてしないといけないことはきっちりして、してはいけないことはしないでください。」と当たり前のようですが、まず
言われました。そして、するべきことが出来ない生徒がいたので、今日も一人生徒を辞めさせたと聞かされました。その当時、日本人で最初に、
大きな国際コンクールでファイナりストに残った有名なギタリストの岡本先生ですので、当たり前かと思っていましたら、そのすぐあとに、「私も、リュート
はまだこれから勉強しないといけない立場なので、一緒に勉強しよう」と言われ、こちらはまだ音楽を始めて数年の素人なのに。私は本心では人に
教えてもらうことは好きではなかったので、一緒に勉強しようと言われてとても嬉しかったのですが、何も分からない私と一緒にやっていこうと言
われるのは本当にいいのかなと言う感じでした。実際、練習が始まるとレッスンと同じようなことになってしまったのですが、もう30年以上前なの
で時効(という言葉はおかしいかもしれませんが)なので、言ってもいいかもしれませんが、岡本先生には1円も月謝と言うかレッスン料は払って
いないのです。根が単純なのか言葉通りに聞いて。一緒に練習しようということで、実質はレッスンでも。最初の3年ほどは二人でリュートの2重奏
をやらせていただきました。
手に入る楽譜は全部やって、もうやる曲がなくなって、大英博物館が一番多かったのですが、博物館からマイクロフィルム
を取り寄せ、楽譜を作って2重奏をやっていました。そのころは、大英博物館に手紙を書くと1週間程度で、マイクロフィルムが届きました。費用も、
国が補助していると言うことで200枚くらいのフィルムが数千円で送ってくれるのです。世界中の楽譜の8割くらいがあると聞いていましたので。
そのうち、作曲家の名前も分からないので、2リュートの楽譜を送ってくれという手紙でも楽譜を送ってくれました。
たまに2リュートがフリュートの楽譜になって
いることもありましたが。そのうち、大英博物館にないことが分かっていても、問い合わせると、その楽譜は、どこそこの大学の図書館に入っていると、
連絡がありました。こんなことも、まだ、リュートを弾いている人が日本に10人もいない時代のいい思い出です。
そのうち、日本で最初のルネサンス、
中世のLPレコードを録音すると言うことになり〈絆と言うタイトルで,LP2枚セットで販売されました)リュートで録音手伝ってほしいと言われました。
別に私が手伝わなくても、岡本先生がいらっしゃるので、リュートは録音できるのですが、日本で始めてのLPと言うことで、私にも経験をさせて下
さったのです。あと、大阪芸術祭とか、大きな演奏会にダンスリールネサンス合奏団のメンバーとして参加させていただきました。(アマチュアは
私一人だけでした)また、20世紀初演となる〈多分)ニコラ・バレーのリュート4重奏もさせていただいたり。そして、その後,30年ほど本当に何か
とお世話になっています。植木先生と同じでたまたま、近くにいらっしゃて、たまたまリュートと言う楽器を選んでおかげで、30年以上お付き合い
させていただいている岡本先生です。
( 2006/1/11 )
今までに多くの先生に出会ってきました。その中で、この先生に出会わなかったら人生が変わっていただろうな
と思う先生方のことを書かせていただきます。
まず、最初はギターの植木義法(うえき よしのりと読みます)先生。
学生生活も終わりに近づいた頃、それまで美術の事ばかりやっていて、同級生にギターの上手な人がいたこともあり、
それまでやっていなかった音楽をやってみようと思っていました。いい年をして音楽を始めるわけですから、ピアノ、
ヴァイオリンなどは最初から無理と考えていました。それに、ギターが好きと言うこともあって。一般的な方法、
独学で始めました。でも、いい先生がいれば習いたいとは思っていました。阪神間、神戸辺りのギター教室も見学さ
せていただきました。半年、1年習っている人の演奏を聴かせていただいて、こんなものかと、だいたいのことが分
かってきました。そこで出会ったのが、植木先生です。一番探していた先生が、歩いて3分の所にいらっしゃたのです。
インドの諺にあるそうなのですが「必要なときに師は現れる」と。まず、最初に生徒さんの演奏を聴かせていただいて、
本当に腰が抜けるほどびっくりしました。まだ習い始めて、半年とか数ヶ月で、ほかの教室の何年も習っている人た
ちよりも、遙かに上手なのです。もちろん、本人も、努力しているのでしょうが。もっとも、私の姉の同級生の平島健二
さん(今、芦屋など阪神間でギター教室を開いてられます)は、ギターの持ち方から教えて貰って(それまで、ギターを
全然やっていなかったと聞いてます、それまでは水泳のすばらしい選手だったと姉から聞いてました)ほぼ1年でプロの
出る、大阪で開かれたギターコンクール(確か、全日本ギターコンクールという名前だったと思います)で1位になりま
した。明石などで教えられてる高永さんは、社会人に成られてから(大会社の相撲部のキャプテンで、植木先生から指が
堅くてギターには無理だと言われたように聞いています)植木先生に習って一年くらいで、同じコンクールで2位になっ
ています。一年でコンクール1位2位になるくらいですから、半年で上手なのは当たり前でしょうか。あと、パリ国際
ギターコンクールで審査員全員が満点で1位になった渡辺範彦さんも、私と同じ神戸の垂水で、植木先生のお近くにお
住まいでした。小さい頃は「ごんた」(神戸弁でしょうか、乱暴な子供のことです)だったので、お母さんが音楽でも
やらせばおとなしくなるだろうと、たまたま、近くに植木先生がおられたので習い始めたそうです。
そこで、この文を読んでくださった方のために、その秘密を少し書かせていただきます。先生はものすごく耳の良い
方でした。よく家に遊びに行かせていただいて、レコード(そのころはLPです)を聞かせていただきました。LPは盤の
外側と内側では音が違うのです。外側は、直径が大きいので、同じ回転だと、沢山針が音をひらってくれるので、
音がよく、内側になるに従って音が悪くなるのです。その音を聞いて、今LPのどこに針がいっているか分かるのです。
その耳で、指のタッチ、スピード、力など聞いて貰うのですから、悪いところはすぐに指摘していただけます。
そろそろ、この辺りから本題に。先生は、ギターは「旋律楽器で和声楽器ではない、歌うこと。歌うことが音楽の基
本」といわれてました。お家にお邪魔すると(奥さんも声楽家でした)必ず、チェロの名演奏を聴かせていただきました。
よくあるパターンが、たとえば1弦のミから2弦のレの下がるとき、ミの音とレの音の間に隙間があってはいけないし、
ミの音が開放弦でレの音が鳴っているのに、消音できていないと旋律が2重になってしまう。歌でそんなことはあり得な
いので、歌を歌うようにギターを弾くこと。それと「ギターでも、作るのは音楽でギター音楽ではない」指の都合で、
少し隙間が空いたり伸びたりすることは絶対にいけない。(2声、3声の曲は必ず、2声、3声として弾かなくてはい
けない、楽譜に書いていることをよく読んで、その通りにまず弾くこと。いまでも指の都合で、音楽がゆがんでしま
っている演奏を聴きますが。当たり前のことを習い始めた頃から、きっちりとやることを教えていただきました。)
それと大きい音を出すこと。小さい音だと音楽的に間違っていても聞き取りにくい。汚い音で、大きな音だと、当然
いやになってくるので、自然と音もきれくなる。よく教室で、先生の楽器と交換していただいてレッスンを受けました。
交換したはじめは、いい音なのですが、10分も弾いていると、私のタッチが悪いので、先生の楽器の音が悪くなって
くるのです。代わりに、私の楽器がどんどん良くなってくるのです。ギターを始めた頃から、楽器は生き物、弾く人に
よってどんどん変わっていくことを、実感させていただきました。(そのころ、先生はハウザーを使っておられて、
あとになってラミレスに持ち換えられました)
本当にこんな近くに一番いい先生がいたことが、私の今につながっていると思います。それと学生だったので、
お金はないけど時間があるということで、ほとんど毎日レッスンに行かせていただきました。私が行くと、これは私に
聞かせていただいているのだなという、レッスンもよくありました。ほとんど、毎日行って、年に一回、月謝を払う
くらいで経済的にも助けていただきました。それに先生はオーディオにも詳しく。糸ドライブのターンテーブル、
シングルの真空管アンプ、スピーカーなどの作り方も教えていただきました。この頃からお金をかけずにいい音作り
が始まりました。そのきっかけは植木先生でした。