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神埼川完全遡行失敗談(永源寺⇒武平峠)

釣り人、心ならずも御在所岳へ登る

 急斜面に密生した高さ4mにも及ぶ本石楠花の原生林の中を一時間以上もさまよい続けた。 

石楠花原生林はマングローブ林のように枝が横に伸び交差しているため人が通過する空間が殆ど無く、まるで小学校の運動会で梯子くぐりとネット潜りを繰り返している状態である。
汗まみれ、切り傷だらけで這いずり登り見覚えのある高さ3mの大岩を見つけた時は一瞬体から力が抜けていくのを感じた。
最後の力を振り絞りその大岩の上によじ登るとやっと視界が開け、遠くに御嶽神社その後方に御在所岳山頂の建物が見えた。思わず両腕を膝の上につき息を整えるのがやっとであった。
喉がからからに乾き息をするたびにヒューと音をたてる。僅かに残った力を振り絞り身の丈ほどもある熊笹の藪を掻き分け掻き分け御嶽神社が見えた方向へ足を前に運ぶ。
やっとのことで良く整備された山頂公園に続く道に出た。汗が目にしみた、上着はかぎ裂きでボロポロ、下着はグショグショになり身体に張り付いている。 まるで敗残兵の逃避行そっくりであった。
思わずしゃがみ込みそのまま崩れるように山道にあお向けに大の字になった。
助かった! 頬をなでる風が妙にさわやかに感じられたが、山頂はすでに日は西に傾き宵闇の風情が漂い始めていた。

1994年7月第二回目の神埼川完全遡行で神埼発電所取水口より入渓し本流を遡行、ヒロ沢出会いで1泊し翌日コクイ谷→沢谷経由で武平峠へ出る計画を立てた。
実はこれより二年前に初回の神埼川完全遡行をしたが、一日で全行程を走破するという無理な予定を立て最後の沢谷途中の茨谷で鈴鹿スカイラインを走る車のエンジン音を聞きながらの日没による痛恨のビバークせざるを得なかった経験を踏まえてのゆとりあるスケジュールを立てた。
パーテイは一回目に同行したK君と入社二年目で体力気力にあふれたF君と年長の私の三人である。
前日にK君に依頼して武平峠の駐車場へ一台車を上げてもらう。 準備万端であった。 

当日は快晴、何の問題も無く早朝薄暗い中で神埼川発電所取水口に車を置き遡行を開始した。 
適当にアマゴが釣れ無事ヒロ沢出会いに到着する。テントを張り満点夜空を仰ぎながら酒を若い2人と酌み交わし渓流談義に花が咲いた。
翌日早々にヒロ沢を出発し下水晶谷出会い→タケ谷出会い→上水晶出会い→コクイ谷出会いに午後二時頃到着し余裕たっぷりの遡行であった。 
コクイ谷に入り沢谷出会いを目指したが谷が二股に分岐している地点に到達した。
ここで右側(クラ谷)を選び暫く行くと10mの滝にぶつかり遡行できなくなり過去の記憶思い出そうとしても思い出すことが出来ない。仕方なく分岐まで戻り考えたが分からない、ここで左側の谷(魚止め谷)を遡行することを決断したことが今後の悲劇を生むとはその時は知る由も無かった。

後で地図を見て思い出したが正解は分岐点で沢から上がり、巻き道を右谷にある10mの滝迄登りそこで左に直角に折れれば沢谷に入れたのである。 
地図にも迷いの記号が記されている所である。ただ私としては武平峠→沢谷→コクイ谷往復は数回の経験があり慢心していたのだろう。
 
魚止谷は黒色の礫岩より成り脆く崩れやすい暗い樋状の陰湿な谷であり、直ぐに5mの滝に出会うがそこはまだ元気であり体力にまかせて何とかクリヤーする。
暫く必死で登り何かおかしいと気づいたが先行しているK君は随分先へ行っており、止れ!止れ!と叫べども声が届かなく追いつかない。また、下るのは岩が脆いため非常に危険であり選択肢は登り詰めて御在所山頂にたどり着くしかない状況に追い込まれた。 
悪戦苦闘の末、樋状の谷も終るが勾配は強くなる一方である

小さな尾根を超すとそこには高さ4mを超す見事な本石楠花の原生林が現れそれ突破するより前進できない様子である。
仕方なく突入してみたもののザック、竿、タモ等身体に身に付けて出っ張っているもの全て石楠花の枝に引っ掛かり前進出来ない、無理に通過すれば破れ、引き千切れる。
他人を忘れ、我も忘れ、ただ楽になりたい本能だけでこの悪夢状態から抜け出したいと三者三様でもがき苦しむ事一時間あまりであった。以下冒頭に記した状態となった。


 

第三話 駐在所前

第2話