閉じ込めた車の鍵

その@ 袖をつかんで離さない男

 -367を北に向い花折トンネルを抜けると安曇川沿いの道となり、少し走ると平の集落が見えてくる。 平と言えば何となく平家一族の哀れさが思い浮かび、源平合戦に敗れた平家の落人集落のように思われるが定かではない。                        ここは安曇川の源流域で林道は滋賀県と京都府の県境を少し越えたところで終点となっているが渓流は県境を越え京都府まで続いている。 渓は京都府に入ると百井川と名前が変わり大原百井町を経て花背峠近くの沢が源頭である。

この日は遅く出発した、十時頃に平の集落に到着しそこで戻るように左折、橋を渡り林道を源流に向って走行していた。 県境近くまで来たときに前方に白い軽ワゴン車が林道脇に止まっているのが見えた、釣り人の車だろうか? と思いながらその車に十メートル近く迄近付いた時にその車の陰より白っぽい洗い晒しの作業服を着た初老の男が両手を広げて林道の真ん中に飛び出して来た。 私はあわてて急ブレーキを掛けスリップさせながら何とか男の1.5メートルほど手前で車を停車させることが出来た。 なんて危ないことをするのだと思い、あわててドアを開け降り立つと同時にその男に右袖をぎゅっとつかまれた。 私が怒り声を出そうと思った瞬間その男は助けて下さいと何となく哀れみを含んだ声で言った。 一体全体どうしたのですか? とそのわけを聞いたところ車の鍵を車内に閉じ込めてしまったので帰ろうにも帰れなくて困っているのとの事であった。 わけを聴いている間もその男に右袖をぎゅっと握られたままの状態であり動くことが出来ない。 ここは林道の最奥であり通過する車は今後何時間待っても期待出来ないのだろう・・

・。 しかしながら私はJAFの関係者でもなければ車泥棒の経験も無いので出来ない旨を言ったところその男はすがり付くように何とかお願いします、お願いしますと薄くなった頭を何度もペコペコと下げられる。私も古風な男である。そこまでされると僅かに持ち合わせている義理、人情心が湧き上がってくる。何の技術的根拠も無いままに分かった、分かったと叫び お願いだから袖を離してくれといった。

軽ワゴン車の中を覗いてみたところ荷室には今採取されたとおもわれる草木の苗木ぎっしりと積んであるではないか。 この男は草木の盗採の帰りらしいことが分り一瞬泥棒に手を差し伸べるのも犯罪なのだろうか?と思うが人道上が優先だと思いそのことに触れないことにする。 ロックされた車のドアーを開けることは、会社やスーパーの駐車場で二〜三度JAFや守衛さんが針金やL尺を用いて作業されているのを見たことはあるが自分で試したことは無いのである。 生憎、針金やL尺の持ち合わせが無く、この場所に来るときに少し手前の林道に木材搬送用の作業小屋があったことを思い出し、そこまで戻ると幸いにも手頃な番線を手に入れることが出来た。 番線をL型に曲げたものをガラスとゴムの間にねじ込み何十回か上下させるうちにカッチャという小さな音がした、恐る恐るドアーのノブを引くと何と!・・・ ドァーが開いた。その時、時刻はすでに12時を過ぎていた。 これからでは全く釣りにはならないと思われたので仕方なくUターンをして帰路についた。 50メートルほど走りバックミラーでうしろを見ると林道には90度に腰を曲げた薄いはげ頭がぽっんと残っていた。 

そのA 心ならずも新車の窓ガラスを割る

 前日、手取川水系の目附谷に入り一里野で一泊して、今日は同水系の雄谷にF君と入った。本来目指していたのはその上流の清水谷であったが、がけ崩れが多く遡行に以外に手間取り途中にて打ち切り駐車地まで無事帰還出来た。車は一ヶ月ほど前に購入した4WD車である。

 後ろドァーを開け手早く濡れた服を着替えて何となくドァーをおろしてしまった。 その瞬間アァーと小さく叫んだがもう遅かった、ロックされてしまったのである、鍵は着替えた渓流服のポケットに入れたままであった。祈りながら前に回り四ツのドァーのノプを順に引けどもウンともスンとも開かない。 何事も無く無事帰って来れたことで安心したのか気が緩んでいたのだ。しかたなく 上記その@ で培った技術を再度発揮しようと試みるがまったく歯が立たない新しいロックシステムなんだろうか? そうこうしているうちに日は西の尾根にかかり薄暗くなってきた、当然こんな山中では人も通らないし近くに電話もない。 ついに私は新車の窓ガラスを割る決心をしてとがった石を持ち窓ガラスを恐る恐る叩いてみたが以外に強靭でありなかなか割れない。 しかたなくもっと大きな石に変え力を入れて叩くが全くびくともしない。 そのうちに石で手を切り手が血だらけになった、どうしても苦労して購入した新車に力が伝わらなく握り締めた石に力が入るようである。 この様子を後ろで静観していたF君を呼んで何とかガラスを割ってくれと頼んだ。 F君はほんとに割っていいのですかと二度程聞き直してきた、その度に複雑な思いの中でウン、ウンと返事する。 F君は工場内でも1.2を争うほどの腕力の持ち主であり、ましてや他人の車である 直ぐにガチャン鈍い音がして割れた。 これでやっと帰ることが出来てうれしい気持ちと、新車を傷つけたやるせなさとが交互した中で帰路の高速道路を走行するために割れた窓にシートをテープで貼り付ける作業をのろのろと行っていた。   第十話 完 

第十話

第十一話巨大みみず