寒河江城
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小学校正門脇の石碑(09年3月)

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寒河江市の中心部、寒河江小学校がほぼ城址。東西400m南北550mのほぼ正方形の典型的な平城。もともと大江氏の館に改築を重ね、戦国期に完成したものだろう。小学校正門前には史跡指定された記念石碑もある。ほとんどの堀跡は道路になり、一部にミニ水路が再現されている。説明板や石碑がたくさんあり、寒河江市の史蹟を大事にする姿勢が感じられる。谷地・天童・山形街道が城へ通じており、交通の要に位置している。天童街道から入ったのだが、三の丸東門が城への入口にあたる。遺構として市内澄江寺山門が移築門と伝えられている。

寒河江城(現地説明板より)

寒河江城は、鎌倉時代の初頭、寒河江領主第一代大江親廣によって計画され、初めは本丸だけの館城でしたが度々改築を加え、遂に室町時代の初期八代時氏によって、二の丸、三の丸を持つ寒河江城が完成したものである。大江氏の領地は、西村山郡の大部分を占め、石高に換算して八万石と伝えている。そして戦国時代の天正十二年、十八代高基の時、山形城主最上義光と戦って破れ、高基は貫見の御楯山で自刃し大江氏は滅亡した。寒河江城が完成したのはいわゆる戦国の城郭時代より早いので、まだ天守閣や壮大な石垣の設備はなかった。  平成九年四月  寒河江市教育委員会

寒河江城墟碑

寒河江城ハ大江氏累代ノ居城ニシテ規模廣大實ニ河西ノ重鎮タリ史ヲ按スルニ大江親廣公承久ノ役官軍ニ應シ軍敗レテ當地ニ遁レ城ヲ築キテ居ス故墟本丸東西六十間南北ハ八十五間繞ラスニ湟ヲ以テスニ三ノ外郭亦之レニ適フ親廣公ヨリ凡ソ十八世據テ以テ治ス一族克ク始祖ノ意ヲ紹キ勤王ノ志厚ク力ヲ撫民ニ效ス天正十ニ年高基公山形最上氏ト隙アリ奮戦遂ニ貫見ニ陣歿ス嗚呼雨来春風秋雨茲ニ三百五十有餘年今猶ホ郭塹處々ニ残存シテ昔時ノ盛観ヲ偲ハシム大正十四年十月本縣史蹟ニ指定セラル町民夙ニ其ノ遺徳ヲ懐ヒ史蹟ノ壊滅ヲ憂フルヤ久シ今茲 神武皇紀二千六百年ノ大典ニ當リ碑ヲ建テ以テ永ク記念ト為スト云フ

  昭和十五年十一月十日  寒河江町長  安孫子善吉識

澄江寺山門(現地説明板より)

澄江寺は長州(山口県)の大寧寺を本寺とする古刹で、今から五百余年前に寒河江大江氏十三代知廣によって開かれた。この山門は、三間一戸の薬医門で、建物に施された彫刻や絵模様は江戸時代前期後半の特徴を示し、禅宗寺院の格式を表している。その前身は寒河江城三の丸の辰巳門(東南方)であったと澄江寺所蔵の地図にある。寒河江城関連の寺院の山門として、大切に保存すべきものといえよう。 (平成十七年九月指定寒河江市有形文化財)