淀古城
[ ホーム ] [ 上へ ]

 

 

妙教寺境内の石碑(04年3月)              薬師堂跡の石碑(04年3月)

京阪「淀駅」下車、駅前が淀城址。淀城址を横切り、府道13号線に出て北東に数分で、納所の六差路の交差点に出る。この辺から古淀城ではなかったのかと思える。旧鳥羽街道が北にのびている所に、唐人雁木旧跡の石碑がある。さらに街道を進むと石橋がある。明治45年六月「五番橋」の文字が刻印されている。橋を渡ると右手に妙教寺の門が見える。門を入ると、左手鐘撞堂の前に淀古城を示す石碑がある。この寺の辺りが中心地であったらしい。本堂裏手の墓地の周りは田んぼの窪地になっており、南に川が流れ、台地になっている様子がわかる。寺の西側桂川の堤防に上がると、一面の葦の原が広がり、対岸勝竜寺城址が遠望できる。細川於玉の新婚時代をおくった城。後に淀君に自刃に追い込まれる。二人の女性の運命を分けるかのごとく、川の流れも、時代と共に大きく変わったことなのだろか。この城址も、淀君が住んだであろう面影は、求めようもない。

 

境 内 に 立 つ 石 碑 表 面(写真左)

                此所は戰国時代の始細川官領家が築城し薬師寺

     淀古城址

                与一岩成左通淀君らの居城となった淀古城の址である

史跡

                慶應四年正月四日戊辰の役の際東軍砲

    戊辰役砲彈貫通跡

               彈が飛来し本堂を貫通したその彈痕がある