溝延城
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溝延城址公園(12年11月)

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 最上川と寒河江川が合流する北西に溝延がある。谷地城へは北へ2キロほど。溝延の町に入り、字「本丸」に本丸跡の公園があった。公園は五分の一の縮尺で、城址地図が配置されていて、わかりやすい。公園内には供養塔もある。公園の隣が、旧小学校跡として公園に。地形的に余裕のある保存の仕方である。地元の方々が史実を大事にしているのがわかる。公園入口には冠木門が見学者を出迎える。この公園の5倍の広さを考えれば、大まかな城の大きさか。公園内の供養塔は、溝延氏が最上義光に滅ぼされ、城代安孫子紀伊が身を隠していたのを、村人が通報し、天正18年に義光に殺されている。恨みを残して死んでいった紀伊を供養して、明和年間に建てたという。

 

溝延城址(溝延、一区)(現地説明板より)

寒河江城の支城として築城された。城の形状および規模は寒河江城と似ており、堀や土塁で形づくられた平城である。初代城主は大江氏七代時茂の長子溝延茂信。河北・河東方面に対する防備の要所だったので、長子を配して強化を計ったと思われる。天正年中、最上氏に降り廃城となったが、ここはその本丸跡である。