櫛羅陣屋
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櫛羅陣屋移築門(04年11月)

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県道30号線、御所市櫛羅(くじら)に永井氏の陣屋があった。文久三年に近くの新庄から、ここに陣屋を移している。東側から段々登りになり、陣屋を築くのに好都合だったのだろうか。時代が騒然としてくる文久年間に移動するには、それなりの必然性があったのだろう。陣屋南門が移築されK邸に現存する。一部改築されているようだが、どっしりとした風格がある。残念なことに、移築された御殿の一部と東門は、平成9年に焼失した。近くの九品寺には御殿玄関が移築現存。又陣屋跡(猿目垣内の岸野山)には礎石が残存。現在、岸野山は私有地で立ち入りは出来ない。竹薮の中に、それらしい石垣の一部が見られるが、確認は出来ない。

九品寺(門前の説明板より抜粋)

前略……伝承によると、いまから六四年ほど前に、南朝に投して出陣し、のち死んだ兵士たちの「身代り地蔵」として奉納されたものといわれる。本堂は明和五年(一七六八年)に再建された。その棟つづきに、一文銭の透し彫りを破風に掲げた建物があり、もと同地の櫛羅にあった永井氏の陣屋の玄関を、廃藩のときに移したものといわれる。……後略……

鴨山口神社(かもやまぐちじんじゃ)

 前略……昔は現在地よりも西に鎮座していて猿目垣内の岸野山と伝えられ、また、下鴨社(鴨都波神社)に対して、上津賀茂とも呼ばれていました。……中略……また、その昔に鎮座していたという岸野山には江戸後期の櫛羅藩陣屋跡(櫛羅城跡)が現存していて、山上に本殿跡の他城門礎石、山下に堀、合宿所跡、軍器鍛治工場などが「南葛城郡誌」の挿図に示されています。(葛城市ホームページより抜粋)