解説: 10月は、奈良市薬師堂町御霊神社の秋祭り。今年初めてこの祭りを見 に行った。春日大社にはとても及ばないが、それでもこのあたりでは大き な神社で、さぞかし多くの人がいるだろうと思いきや、たまたま通りがか った観光客数名が見守るのみ。予想外に静かな秋祭りであった。 午前中は神事が行われ、午後からは町内へと行列が練り歩く。いわゆる御 渡りである(これが今回の狙い)。先頭を太鼓を担う者2名。続いて旗を 担ぐ者数名、赤と緑の獅子舞、天狗、人力車と馬2頭にまたがった神主さ ん、その後に御神輿が引かれていく。最後尾は、きれいに着飾った御稚児 さんである。ちなみに御稚児さんは男の子2名、女の子1名の3名だけ。 地元の人の「御稚児さん、少なくなったねえ。」という声が印象的であっ た。一番絵になりやすい御稚児さんが少ないのは残念だが、これも時代の 流れ、しかたがないことなのかもしれない。 ついでという訳ではないが、祭りが始まるまでの少しの時間、近くの元 興寺に立ち寄った。というのも、ここの山門の屋根両脇に楽器を持った天 女の瓦が置かれており、それが実に良い表情をしているからだ。以前にも この瓦を撮影しているが、そのときは曇り空。表情というものは、その日 の空の色,雲の感じ,撮影する時間帯でガラッと変わるもので、(もちろ ん撮影者の気分でも...)一度たりとも同じ写真になった例はない。 その日はみごとに晴れわたり、以前とは違った表情を期待してのことだっ た。 さて、撮影を始めてしばらくしてのことであったが、どこからともなく 小さな子供が走ってきて、チョコンと頭を下げて走り去っていく。一瞬な んだろうと不思議に思ったがすぐにそれに気が付いた。 「そういえば、ここにお地蔵さんがあった。」 小学校の低学年であろうか。急いでいながらも、きちんと頭を下げる習慣。 ここではそれが当たり前のように行われている。おそらく親、子、孫と、 代々教えられてきたことなのだろう。 私にはそんな習慣など全くなく、それどころか信仰すら持合わせていない。 そんな子どもの姿に自分自身恥ずかしものを感じ、帰りぎわ、私もそのお 地蔵さんに手を合わせた。 奈良を歩いていると、時としてそんな子ども,お年よりの姿を見ること がある。そのたびにドキッとさせられ、今の自分がこれで良いのかと考え させられることが少なくない。 さて、いよいよ秋たけなわ。今回は柿である。 「長年奈良を歩いてきて...」と言ってはどこか恥ずかしいところがあ るが、私が知るかぎりでは、特に印象に残っているのが当尾(とおのお) の里(奈良と京都の県境。実際には京都府になる)である。「当尾柿」と いう言葉があるくらいだから、このあたりには柿の木が多いのだろう。 その中でも、加茂方面に向かう山道で見かけた柿の木は印象的であった。 ほとんど観光客の通らない、それこそ地元の人が農作業で行き来するよう な山道で目にしたものだが、その木の大きさ、実の数といい、それはもう すばらしいものがあった。背景の霞んだ山に無数のオレンジ色の点が映え、 実に美しかった。もちろん写真にも撮ったが、超望遠レンズを使ったせい か、出来映えがいまひとつ。どうにも納得いかず、「翌週、もう一度撮り に行くか」と、真剣に悩んだことを思い出す。 それともう一つ、弘仁寺周辺。奈良市の南の外れ、天理市に近いところ である。あるいは「山の辺の道北部」と言ったほうがイメージが湧くかも しれない。また、ここから数キロ山に入ったところに正暦寺という寺があ るが、その周辺に紅葉が多いことから「錦の里」とも呼ばれる。 このあたりは、すこぶる交通の便が悪いところで、JRからも幹線道路か らも外れ、かろうじてバスが日に数本だけ。陸の孤島と言っても良いよう な地域である。それ故に観光公害のけがれも知らず、昔ながらの里山が広 がっている。それほど柿の木が多いという訳ではないが、そんなのどかな 風景に柿の実がよく似合うのだ。 この写真は弘仁寺。本堂の横にあるお堂『明星堂』である。そんなお堂 の壁に柿を吊しても良いのだろうかと疑問を感じたが、それこそこのあた りが“のどかである”という証なのであろう。お寺でありながら、ほとん ど民家と同じというのが実に良い。