7月 喜光寺 蓮 8月へ

解説:

 私のアルバムを見直してみると、夏場の奈良の写真がほとんどない。
理由は、この時期、極端に撮影対象が少なくなるからである。調べてみる
と、蓮の花の写真すらみつからなかった。
 さて、昨年の5月のことであったが、写真集の出版を思いたった。
写真集出版は、私の長年の夢であったが、予算的な問題、さらにどういう
手順を踏んだら良いのか分からず、「そのうち そのうち。」とずっと先
送りにしていた。しかしながら、急病で2ケ月にも及ぶ入院生活を送るこ
とになり、「出来る時にやっとかないと、一生出来ないで終わってしまう
のでは...。」という不安、さらに見舞客から「写真集を出したら良い
のに...。」とあいつで言われたことから、とりあえず可能性だけでも
探ってようかという気になった。
 退院後さっそく、出版社,印刷会社に打診。本のサイズ,ページ数,
部数,見積もり(それぞれの組み合わせによる金額),そして出版までの
工程等を聞き、「これならなんとかやれそうだ。」という感触を持った。
そして、周囲の環境も整ったことから自費出版を決意した。
 作業はまず、最高傑作から70枚程度抜き出し、地域ごとに並べていく
ことから始まった。奈良市内,当尾,西の京,斑鳩・生駒,飛鳥....。
しかし、いざ並べてみると、あることに気づいた。それは唐招提寺の写真
が一枚もないことである。南都7大寺のうち、東大寺,興福寺,元興寺,
薬師寺,法隆寺(ちなみに南都7大寺には、あと大安寺,西大寺が入って
いる)。さらに長谷寺,室生寺と、主だった寺はおおよそ網羅したが、唐
招提寺だけがない。
それもそのはず、この寺は今一つ絵にならない寺なのである。ほとんどの
寺にある塔がここにはない。それに周囲をこんもりとした森に囲まれ、遠
望が効かない。さらに一番絵になりやすい時間帯、早朝,夕方は門が閉ざ
され、境内に入り込めないという現実がある。
どうにも、とっかっかりがない寺なのである。
 天下の唐招提寺を一枚も入れないとなると片手落ちである。なんとかな
らないかと思案の末、思いついたのが蓮の花の撮影であった。時は7月下
旬、まさに夏の盛りを迎えようとしていた。(ご参考: 昨年10月の歳
時記にも、この時のことを書かせていただきました。)
 早速、夜行バスにて奈良へと向かった。翌朝、バスターミナルにてしば
し時間をつぶし、もう良いだろうと唐招提寺へ。
しかしながら、案の定、門はまだ閉ざされている。
「さてどうしたものか...。」そこでひらめいたのが、喜光寺であった。
さほど有名ではないが、この寺も蓮の花で知られている。ここからは歩い
て30分程度の距離。そんなには遠くない。そこで、門が開くまで喜光寺
まで行ってみることにした。
 さて、その喜光寺であるが、まさに花の盛りを迎えていた。
蓮池だけでなく、境内全域に鉢が並べられ、それはもう、ものすごい花の
数である。無我夢中でシャッターを切った。
ひとしきり撮り回り「もう良いだろう。」と来た道を逆戻り、今度は唐招
提寺蓮池へと...。ところがこちらは青々としたハスの葉が生い茂るの
みで、花などどこにもない。かろうじて固いつぼみが1,2個顔を覗かせ
ているだけであった。見事にあてが外れた。
「こうも違うか...」ただただ唖然である。
 結局、唐招提寺の写真は断念せざるをえず、喜光寺の蓮に代役をお願い
することにした。今回掲載した写真が、その時撮影したものである。
 狙って、そう簡単に撮れるものではないが、それなりの写真が撮れたの
はラッキーであった。また、この写真のおかげで左右のページのバランス
も良くなり、なんとかまとまった。ただ、“唐招提寺”という4文字をど
こにも入れられなかったのは心残りであるが...。
 その後、解説文,撮影地図の作成に3ケ月くらいを要し、イメージ本
(通常の紙に写真を印刷したもの(白黒)を、本の形にしたもの)の完成
が11月末。12月には校正刷りへ。何回か修正を加え、1月に本番刷り。
そして2月1日、やっと写真集第1集「大和路慕情」として出版された。
また、その1ヶ月後には、第2集「東大寺お水取り」が出版されたが、こ
ちら(東大寺との出版交渉の経緯)は、またの機会にお話ししたいと思う。

ちなみに出版後、奈良新聞,毎日新聞,産経新聞,カメラ雑誌(フォトコ
ンテスト,アサヒカメラ,CAPA)等で私の本を紹介いただいたが、
唯一、『日本カメラ』では紹介されなかった。
「どうも蹴られたみたいだなあ..」と思っていたが、やっと今月になっ
て紹介していただいた。興味ある方は一度見ていただけたらと思う。
(日本カメラ 7月号 278ページ。紙面の1/4にて紹介)

私事で恐縮でした。

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