解説: 持統天皇六年、692年、亡父草壁皇子を偲んで阿騎野に狩猟にやってき た軽皇子(のちの文武天皇)の一行は、このあたりで野営して朝を迎えた。 草壁皇子を偲んで眠れぬままの夜明け。そこで一行は東の空に美しい光(か ぎろい)を見る。 その時のお伴の一人、柿本人麻呂は詠んだ。 「ひむがしの 野にかぎろいの 立つ見えて かえり見すれば 月かたぶきぬ」 この歌の詳しい説明は省略するが、“かぎろい”とは『曙光−日の出前に東 の空にさしそめる光』というのが一般的のようだ。 万葉集の中でもよく知られたこの歌の故地は奈良県大宇陀町にある。 大宇陀町へは、近鉄大阪線榛原駅、あるいは桜井駅からバスで30分。 周囲を山々に囲まれ、ひっそりとこの町はたたずんでいる。 ここには朝早くから多くのカメラマンが押し寄せてくる。 山々の重なりの美しさ、朝もやが出やすいという地理的条件もあるが、この 歌の存在がかなりウェイトを占めているようだ。 私が奈良の写真を撮り始めたころから、この地のことは知っていた。 しかしながら、ここでの撮影は断念せざるをえなかった。理由は単純明快、 日の出前までに入る手段がなかったからである。始発電車では間に合わない。 仮に近くに宿をとったとしても、撮影ポイントまではかなりの距離がある。 どうしても車が必要だった。当時、私には車がなかった。 ところが、1985年発行『新日本の風景(日本カメラ社)』に掲載され た1枚の写真が私の心を動かした。その名も“阿騎野の朝”。 ここで撮影された写真はそれまでにも数多く見てきたが、この1枚だけは違 っていた。雲海に山々が浮かび、その向こうから朝日が昇るというもの。 まさに「日本の夜明け」と言っても過言ではない壮大な風景だった。 この写真には心打たれた。 「私もそんな風景を一度でもいいから見てみたい。」 結局はそんな思いが私に車を買わせることになる。 その後、何度もこの地に通った。 夜遅く撮影ポイントの近くまで行って車の中で仮眠。 早朝、カメラ機材をかついで山登り。三脚を据えて空が明るくなるのを待つ というパターンだ。 しかし、雲海,朝もやなどそう簡単に出るものではない。 何度通っても空振りだった。やっとこの風景に巡り会ったのは、通い始めて 10回目くらいだったろうか。 後に、その写真を撮られた本人から直接話を聞く機会が得られた。話によ ると、その瞬間に出会うまでに200日くらいは通ったとのこと。ほとんど 毎日だったそうだ。唖然とした。そのくらいしないと良い写真は撮れないの だ。この話しを聞いてから、なんとなく通わなくなってしまった。 この写真が撮れたということもあるが、結局は挫折である。 大宇陀町で、もう一つ有名なものがある。それは本郷の“又兵衛の桜”で ある。今年4月奈良に行く機会があり、その場所に行ってみた。 まだ夜明け前だというのに、一本の桜の木を遠巻きに五百人はいただろうか。 とても近づける状態ではなかった。 他の場所でも、朝もやをねらう何人かのグループを見かけた。 あれから何年経っただろう。長く通わないうちに、静かな山里が喧騒の渦 の中に巻き込まれてしまったようだ。そっとしといて欲しいというのが私の 願いだが、自分もその中の一人であることを考えると何も言えない。 複雑な思いで大宇陀の春を眺めた。 軽皇子一行が見た“かぎろい”は11月と言われるが、この写真は10月く らいに撮影した。