シルスマリアの日傘 T

遠藤 真理

2008年6月14日から2週間ほど、欧州を訪れる機会をもちました。

その際、ドイツでは小林直生司祭が赴任しているボーフムのキリスト者共同体の教会を訪ねました。その後バーゼル・ドルナッハのゲーテアヌム、そして一週間をシルスマリアで過ごしました。その中から以下、いくつか写真をご紹介します。

今回の旅行は、落ち着いてゆっくり振り返ってみると、個人的にこの時期に必要な旅のプロセスだったと思えてきます。と言っても道中はそんな感慨にふける間もなく、次々と起こる(起こす)珍事件に翻弄され、同時に寝食共にした旅の同伴者のいろいろな側面を知ることとなりました。実際、体も地球の表面を物理的に遠くへ旅しましたが、それ以上に魂は異なる魂との隔たりを見出し、そのことがお互いがお互いをより深く知ることへと誘(いざな)い、それまでかけ離れていた思考と思考、精神と精神の細糸を思いがけずも何度もより合わせ、ほどき、また編みなおし、確認させてくれました。魂もまたはるか遠くまで出掛け、旅をして帰ってきたようです。それは日常という空間と時間枠では体験できない貴重な出来事、そして機会でした。

土地を歩き、名所を巡り、絵画に触れ、初めての場所に泊まり、湖や小高い丘を散策しながら、自分が何をしているのかときどき鋭い光が射してきて、戸惑うことがありました。目の前の自然や芸術作品に酔いながら再び自分に舞い戻ってきた意識は、それまでの自分自身のものではありえません。旅の道中、様々なものごとを見聞きしながらそこにあったのは、他者・他性という膜を通して絶えず新たになる意識の光の断片でした。それが分かったとき、旅することを促すのは、必要な時に行かなければならない場所へ導いてくれる聖霊の働きなのだと実感しました。

旅の中でもっとも印象深く刻まれたのはシルスマリアの土地と空気と水と光です。ここではそこでのエピソードをひとつだけ記しておきます。

初日に、ニーチェが永劫回帰のイデアを得たという岬へ先達に案内してもらいました。ときおり吹き抜ける風を浴びながら、岩に刻まれたレリーフを読み上げました。それは『ツァラトゥストラ』で歌われた「深夜の鐘の音」です。舞踏の熱に駆られて「生」と追いかけっこをするツァラトゥストラ。レリーフの文字の本の前章にある言葉は、「古ぼけた、重い、重い鐘があって、そのにぶいうなり声が、夜ごとに、あなたの洞窟までのぼってきます。その鐘が真夜中の時を打つのを聞くと、最初の1つから、最後の12までのあいだ、あなたはずっとあのことを考えるのです。わたしは知っています。あなたがまもなくこのわたしを、この『生』を、見捨てようと考えることを!」(『ツァラトゥストラはこう語った』岩波文庫・以下引用同様)

最後の日に、再び岬を訪れようと、友人と2人だけで湖の畔を歩きました。ところが、行けども行けどもたどり着かず、気がつくと岬が反対側にあるのを発見。引き戻して湖畔に沿った道を進みましたが、以前はなかった薪の生木が山と積まれた場所を通るや、道を間違えたと思い引き返し、今度は別ルートの小高い細道を上りはじめました。途中から道がなくなり、草むらをかき分け、転びそうな岩場を呼吸も荒く降りました。ホテルを出て既に2時間以上が経過。本来なら30分で着く場所なのに・・・。疲れ果てて帰ろうとしたのですが、やはり諦め切れずにもう5分だけ先を歩くことにしました。するとようやく最初の日に見たレリーフにたどりつきました。ふと思い出したのは、ツァラトゥストラの「舞踏の歌」にあった一節。「一筋縄ではいかない道。曲がりくねった道を歩かされて、わたしの足が学ぶのは――くさぐさのたくらみ」。まるで行きつ戻りつしている自分の人生のようだと観念しました。

その帰りの道中でのことです。午前中には穏やかだった湖が、午後を過ぎると海のように荒々しい波飛沫が陸へ砕け散り、乾いていた道はすっかり濡れそぼっていました。そのとき、山々の谷間をはるかイタリアの方角から吹いてくる風を受け、その風が光と舞い、大地の花々の隙間を吹きぬけ、水を自在に操りながら対話しているのを見ました。ここでは四大霊が思うままにあらゆるものと交わり、その力を人間はただ受け取るだけなのだと分かりました。だから訪れる皆老いも若きも、ただただ、自分の足で、自らの速度で道を歩き続けているのだと。

そうして、行きには持っていたはずの日傘をなくしていることに気がついたのです。取りに戻る気力もなく、むしろ迷いあぐねた岬のどこかにある日傘は、この地に留まりたいのだと思いました。自分の一部を知らない間に残してこれた僥倖。

だから、置き忘れた日傘のおかげで、今でもあの陽光と戯れ光の粒を宙に舞わせる風が水面を吹き抜けていくのをときどき夢見ます。いつか、また、あの湖畔を歩けることを願いつつ。

フランクフルトの「ゲーテハウス」の図書室。ゲーテの生まれた元の生家は第2次世界大戦で破壊されましたが、忠実に再建されています。調度品や家財は当時使っていたものです。4階建の後期バロック様式の建物で、図書室は3階。約2000冊の蔵書があります。手前は絵画小陳列室です。
ゲーテの肖像画の前で。1749年8月28日、ゲーテはこの部屋で誕生しました。 部屋には詩人のシンボルである星と竪琴が壁に飾られています。生と死の流れを現しているそうです。
ボーフム自宅、机の前の小林司祭。きちんと整理整頓された卓上(性格?)。恩師や最近洗礼を授けた子供の写真が飾られていました。
書斎の本棚の前で。この日は日曜日、これから聖化式へ出陣? バックにある絵は住所のツェッペリーン通りにちなんで「飛行船ツェッペリーン号」。その横には敬愛する作家や恩師の直筆コレクションがあります。
小林司祭の住む建物の入り口。2階左窓辺が住居です。ベランダには鳥の餌場があり、毎朝いろいろな鳥がやってきてにぎやかです。
ボーフムのキリスト者共同体ヨハネス教会外観。建物は建築家ハンス・シャローン(Hans Scharoun 1893〜1972)が設計したもので、1966年5月19日(昇天祭)に起工式(定礎式)が行われました。ボーフム市の重要文化財だそうで、窓の工事をするのに市の認可が下りるのを待っている最中でした。
聖堂内部。祭壇画はオットー・リッチュル (Otto Ritschl 1885〜1976)によるもので、 共同体初の抽象画だそうです。鮮やかな青のバリエーションの色彩が目をひきます。 この抽象画には賛否両論あったようです。
抽象画の手前、燭台の中央にある小さな祭壇画。妥協案としてニネッタ・ゾンバート(Ninetta Sombart, 1925〜)による十字架のキリストと復活したキリストの作品を置くことでひとまず解決したそうです。
恩師とともに説教台の小林司祭。右手奥にあるのが鉄道の枕木で作られたキリスト像。素朴で重厚感があります。「1991年にシュトュトガルトの彫刻家ヴェルナー・レヒラー(Werner Lechler)の展覧会が行われたが、その作品の一つStele(シュテレ)が祭壇と説教台の間のスペースに立っている。頭部だけに切りつめられたロマネスク様式の十字架像を思わせるるこの作品は、やや広めな説教台スペースにアククセントを添えている。」(ヨハネス教会カタログより)
隣のラザロ聖堂。こじんまりとして、天井から射しこむ光が内部の色彩と調和して落ち着いた雰囲気。本聖堂と司祭準備室を経て内部で繋がっています。
ラザロ聖堂にあるニネッタ・ゾンバートのピエタ。この聖堂は霊安室にもなるそうです。
ラザロ聖堂の祭壇上にある燭台。ドレスデンの鍛冶屋職人ペーター・ペヒマン(Peter Pechmann)による手作り品で、鉄と銅で作られています。詳しく説明する小林司祭。
教会の中庭にて。バックに少し見えるのが集会室。建物の地下には防空壕があります。季節柄、木々の緑や花が陽光を浴びて美しく輝いていました。
ボーフム郊外にあるドルフキルヒェ・シュティーペル。今年がちょうど築1000年。1008年に建てられた古いロマネスク教会。庭には髑髏マーク入りのお墓が無造作に建っています。
教会内部、内陣の右側。フレスコ画は近づいて見ると点描。
中央祭壇。後世の時代のステンドグラスが外の樹木の緑を映し、内部に入ってくる光彩がやわらかで美しい。
中央天井画。アラベスク模様の上に東洋風絨毯を思わせる絵の両脇には、水がめを持った2人の人物。1人は水を下方へ注ぎ、もう1人は・・・。
楽園追放図。中央の天使が楽園からアダムとイブを追い出しています。このアダムとイブ、どう見てもアンドロギュノス的な描かれ方をしています。
人智学的思想を元にしたGLS銀行。ボーフムが発祥の地で、1974年に設立されました。「贈ることと貸すことのための共同体銀行」という名称。掲げられたのぼりに書かれているのはー。
「私たちにとってお金とは・・・
  • お金は海水に似ている。飲めば飲むほど渇きが強くなる―ショペンハウアー
  • お金できれいになるの―マドンナ
  • お金は現実化した霊である―シュタイナー
  • お金ははたくさんのものを包む表皮になるかもしれないが、決して何かの核(本質)にはなりえない―イプセン
  • お金以外に何ももたらさないビジネスは決してよいビジネスとは言えない―ヘンリー・フォード
  • お金をあなたの神にすると、それは悪魔のようにあなたを苦しめるだろう―ヘンリー・フィールディング
  • 金持ちとはお金をたくさん持っている貧乏人に過ぎないことが多い―アリストテレス・ソクラテス・オナシス
・・・では、私たちはお金から何を生みだせるのでしょう? GLS銀行」
ボーフムの中心地繁華街「バミューダ三角地帯」(Bermuda 3 Eck)のたて看板。入ったら出てこられないという噂が。
ボーフムの地下鉄駅構内。地元のアーティストのライト作品がさりげなく公共の場所にあります。無人のプラットホーム、誰もいないところでネオンが7色に変化します。
アーレスハイムの聖堂騎士団に関係ある古いビルゼック城。ゲーテアヌムから歩いて20分くらいのところにあります。小高い城へ昇る入り口には洞窟があり、厳かな雰囲気です。アーレスハイム到着後、まだ明るい夜お城跡まで散歩しました。
丘の下から撮ったゲーテアヌム。
ゲーテアヌムの2階から見たグラス・ハウス。1914年、当時ステンドグラス工房として作られたものです。第一ゲーテアヌムのメタモルフォーゼと言われています。
シルスマリアの日傘 Uへ
△TOP & シュタイナー通信プレローマ

©Mari Endo, ALL RIGHTS RESERVED