災 厄
原告にとって被告は、
出会いから疫病神以外の何者でもない存在でした。
年齢は20代後半でしょうか?
原告自身、バツイチ・シングル生活が長いので
自治会から退会しています。それ故ご近所の情報にも疎く
被告の職業なども解りません。
原告の在宅シングル介護生活は平成18年の1月から始まり
母の介護保険・要介護状態区分も「要介護5」になっていました。
歩行は短い距離なら介助有りで可能でした。
その頃です、被告施主による新築注文住宅の建築が始まった平成22年の秋口でした。
施工前の工務店の挨拶が有り、被告配偶者の母様からの挨拶もありました。
母様には事情が事情なので常識の範囲での工事でお願いしますと
一言、伝えました。被告方にはうるさ型に見えたかも知れませんが
母の認知症は音に敏感に反応し興奮(暴力的に)したからです。
それ故、工務店にも電話で事情を説明し
9時から17時で工事を止めてくれるようお願いしました。
母は介護事業所デイサービスに月~土曜通い
朝は9時半頃の迎えで帰宅は16時半頃です。
帰宅後17時までの時間、母の興奮を抑えるのに神経をすり減らし
ストレスの生活中、それ以上に原告を追い詰めました。
そして、平成22年10月9日を迎えます。
母が帰宅後、17時を過ぎても工事は終わりません。
内装工事の騒音です。17時半、母の興奮も激しくなり
18時を過ぎても工事は続きました。
原告も堪忍袋の緒が切れ工務店に苦情の電話を入れました。
その時は原告も怒り心頭で怒鳴ったかもしれません。
電話を入れ少ししてから工事は終わりました。
しかし、母の混乱は続き原告も平常心とは言えない状態でした。
ベッド横でのトイレ介助での時です。
何時もなら母の攻撃には最新の注意を払っているのですが注意散漫になり
顔面を叩かれ、カッとなって掴んだ両腕で持ち上げベッドの上に投げ捨てました。
その時です、思い出したくもない鈍い音が...
右大腿骨頚部骨折です。
年齢もあり骨粗しょう症で投薬を勧められていましたが
錠剤を飲み込むことが難しくなり諦めていました。
直ぐ、119で救急搬送をお願いし入院となりました。
病院では実母の骨を折ってしまった事に落ち込み、かと言って
代わりの付き添いも居らず、取り乱さないことだけを考えていました。
そこに現れたのは屈強な警察官5名
彼らの敵視する眼が原告の精神も高ぶらせ
切れてしまわなかったのが不思議なぐらいです。
世間では、息子の母親に対する介護暴力の件数が一番多く
救急隊から警察に連絡が行ったのも当然の事でしょう。
病院で警察官から人生初の事情徴収を受け、
冷静に話をし、解って頂けました。
大腿骨頚部骨折の手術はスクリュー固定でした。
同年11月24日に退院をしますが
それ以後、歩行は不可、座位を取らせれば座ることが出来ますが
起立することも出来ず
寝返りも自身ではできない状態になりました。
勿論、被告に責任を問うには筋違いです。
しかし、心情としてはご近所で事情はご存知なのに
工事関係者にもっと注意を払うよう告げていてくれたのなら と
思ってしまうのは原告の心の卑しさなのでしょう。
そして、訴状にも有ります境界線トラブル(甲第11号証)に移っていきます。