博愛社会を潰す人

報道の自由 知る権利

 博愛社会をつぶし、人を苦しめていても、「報道の自由」「知る権利」と言って、自分の行動を正当化しようとする人がいます。
                       
「報道の自由」「知る権利」はなぜあるのか。
                 
 それは、大きな力を持った他の存在からの圧力によって、正しい社会を守るために必要な情報が阻まれることがあったり、正しいつながりを奪われ、その存在にとって都合のいい間違った情報をながされることがあれば、多くの人が、その存在にとって都合のいい間違った考えを持ってしまい、間違った判断をし、間違った行動を起こしてしまうようになります。

 そうした阻み、奪う存在から報道、国民を守るために存在するのが、「報道の自由」「知る権利」です。
 よりよい社会、正しい社会を築き、安定したものにしていくためにある「自由」「権利」であって、他者を覗き見して自分を満たすためにあるものではありません

「報道の自由」「知る権利」と言うなら、その情報は、正しい社会を築き、守るために、報道しなければならないことなのか、そうした理由で、私達が知らなければならないことなのか、ということを考えられなければなりません。
 
 他人を覗き見して知ったことで、私達は社会の安定のために何を学び、理解し、考え、判断しなければならないことがあるのでしょうか。

 博愛社会をつぶし、偏見、差別をしている人が、マスメディアを使えば「自由」や「権利」で守られる理由はありません。

 そして、博愛社会をつぶす行動を正すために、マスコミの中にいる人が罰せられ、報道してはいけないということになっても、すべてのマスコミが罰せられるわけではなく、つぶした人が罰せられ、正されるのであって、マスコミの中で自分のことを頑張り、努力し、自分の社会に認めあい、協力、信頼を築いていき、誰の存在も否定せず、誰の努力のつながりも阻まず、奪わず、多くの努力とつながり、その努力のつながりを国民につないでいる人が、そうしたつながりを阻まれるようになるという事にはなりません。
 マスコミから報道の自由が奪われ、国民から知る権利が奪われることにはなりません。




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