親 教師 人として

強者、弱者の末路

 奴隷制度が文化となり成り立っていられるのは、服従者が支配者に服従していれば
生きていける程の安定を得られる時だけです。
 生きていけなくなるほど苦しい状況になれば、すべては崩れてしまいます。

 そして、服従者がそこからの自立を目指した時、支配者の圧力を失くそうと
支配者に対して反乱を起こします。
 
 支配か服従か、強者か弱者かしかない中で育ってきたために、力によっておさえつけ
自分の思いを満たそうとする手段しか考えられません。

 そして、支配者もそうした反乱を受けることによって、暴力を使いおさえつけ
正そうとすることは間違っていると気づくことはなく、力によって弾圧し、罰を与え
見せしめにすることが、社会の秩序を守ることとしか考えられず、それが正しいと信じて
行動します。

 いつの時代であっても、どんな形であっても、上下関係は無秩序な社会です。

 その社会が成り立つ時は、人が人を恐れさせ、おさえつける力が存在するときです。
 そこには博愛はなく、ある方が成り立たなくなる社会です。

 他者の圧力を理由にした行動を起こすように教育し、下の者は上の者の言うことを聞く
ものと伝えている人は、人として生きていくための教育、知識のない人です。
 自分の存在も他者の存在もない人です。

 しかし、それは非人間的な行為ではありません。
 それも人間の行動です。
 そして、博愛社会を築く行動を起こせる人も、人格者でも知識人でもなく
普通の人間です。

 同じ人間が教育によってどちらにもなります。


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