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認め合い 協力 信頼
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朝、教師に会った時、自分とのつながりある社会の安定を保とうとすれば
挨拶というコミュニケーションによって、その意思が伝わり、保たれ
そうして社会の安定が成り立つと理解します。
こうしたことを、教える努力をしている人とつながる学ぶ努力をしている人から見れば
学校という組織レベルの社会を見て、それが国という一般レベルの社会と同じものなら
「おはよう」と言うことを考えます。
さらに、人にとって、自分にとって、生きていくために必要な学び得ようとする人の知識
経験は重要なものであり、その自分に必要な知識、経験を伝えている人の努力に対して
敬意と感謝の意思を伝えようとすえば、日本では「おはよう」という挨拶に「ございます」と
いう敬語をつけることによって伝わると考え、「おはようございます」と相手に言うことが
自分と他者との個人レベルの社会、組織レベルの社会、一般レベルの社会を理解した
行動です。
もし組織レベルの社会である学校が違えば、もし一般レベルの社会である国が違えば
保とうとする意思を伝える言葉や手段も変わってきます。
こうしたことを、学ぶ努力をしている人とつながる教える努力をしている人から見れば
自分が他者に伝えられる努力ができて、他者の学ぶ努力とつながることができます。
学ぶ努力は、人として大切なことです。
そして、学び得た知識、経験を他者に伝える努力も、同じく大切なことです。
教師が自分の知識、経験を伝える努力も生徒の学ぶ努力も人として大切な行動であり
その努力と努力のつながりに、上も下もありません。
ですから、朝、教師が生徒に会った時、自分と生徒との個人レベルの社会、組織レベル
の社会、一般レベルの社会を見て考えれば、生徒の学ぶ努力は大切なことであり、素晴
らしいことと考えても、その努力に感謝することはありませんので、お互いに自分のことを
努力し、頑張っているもの同士として向かい合い、「おはよう」という挨拶になります。
「おはようございます」と言うのは、下の立場だからではありません。
「おはよう」と言うのは、上の立場だからとか上下関係の中での同等だからということでは
ありません。
教え、教育する教師は上の立場、生徒は下の立場と考える人は、一般レベルの社会を
無視した間違った個人レベルの社会、組織レベルの社会を築き、生徒に間違った行動を
起こしてしまいます。
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