家庭内暴力 引きこもり

子供が見えていない親

 世間、他者からの否定を見ている人には、実際の子供自身は見えていません。

 例えば、1+1を2と答える理由が、世間、他者に否定されないため、認められるためと
考える人は、1+1という「形」は見えていても、実際に見ているものは、世間、他者からの
否定を見ており、考えの中、自分の中には、足し算が出てくることはなく、見えていないのと
同じように、世間、他者からの否定を見ている人に、子供の姿は見えていても、子供自身
の存在は、考えの中、自分の中に出てくることはなく、実際には見えていません。

 そして、教育しようとすれば、「否定のない認められる存在」を先に見
その存在になる行動自体を子供に伝え求め、できれば「認められる存在」と見
その存在でない分を「否定の存在」と見ます。

「否定のない存在」→「そうなる行動自体」→「結果」→「認められる存在」か「認められない
存在」

 この中に、実在の子供自身は出てきません

 例えば、子供が学生なら、子供から目を離し「否定のない認められる学生という存在」を
見て、その存在を愛し、その存在ではない存在を否定し、その存在をつくろうとする。

 親として子供のことを考えるなら、子供自身が先です。

 自分自身が考えようとする子供のことを理解し、その子供が必要とする知識を伝える。
そして、それを学び、理解し、考え、行動していくのは子供のことです。

 こうしたことが子供のことを考えられる親の行動です。


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