行動の理由

古きよき時代
 
 結論から言えば、「古き良き時代」と言っている人は
心のない、差別的で、絶望した人です。

 今までに「古き良き時代」と言っている人から
その良き時代を象徴する人間が出てくる話を聞いたことがあるでしょうか。

「心があった」「夢があった」「おおらかだった」と
このようなうわべの言葉を並べたものではなく
その言葉を証明する人間が出てくる話をしている人を見たことがあるでしょうか。

 私はありません。
 あるはずがないのです。
 なぜなら「古き良き時代」など存在しないからです。
 その時代の真実は「古き悪しき時代」です。

 私達は学んでいるはずです。
 その「古き良き時代」と言われている時代を振り返り
二度と繰り返してはいけない恥ずべき時代だと学んだはずです

 同和教育の中で、その恥ずべき時代を象徴する人間が幾人と出てくる話と共に
人種差別、出身地差別、就職差別、女性蔑視がひどい時代であったことを
学んだはずです。

 その時代が本当に「古き良き時代」で心があり、夢があり、おおらかな時代なら
なぜ、今よりも遥かにひどい差別が、日本中に平然とまかり通っていたのでしょうか。

 社会性のある人間が、差別という人と人とのつながりをつぶす行動を起こすような
本能を持っているわけがありません。

 生まれてからの間違った教育によって
社会性を持つ人間に反した行動を起こすようになるのです。

 そして、誰かの前で心がある行動を起こせるなら
誰かの前ではその心を失うということはありません。
 逆に、心のない人が、誰かの前だと心が表れてくるということもありません。

 自分の中に他者が出でくることはなく、心のない言動を起こす人は
誰も前でも心はなく、他者はすべて自分を成り立たす存在でしかありません

 苛めをしている人にも友達という人がいます。
友達のために何かをしてあげることもあるでしょう。
 しかし、それも心があってのことではなく、自分の存在を成り立たすためです。

 本当に自分の中に友達という他者が出てくるような心があるなら
誰の前でも目の前にいる他者の存在が自分の中に出てくるはずです。

 誰にでも何かをしてあげるということはなくても 
他者の存在が自分の中に出てくることぐらいの心は
誰の前でも変わらずあるはずです。

 もちろん苛めをしている相手の存在も、自然と出てきて当然です。
 それならば初めから苛めをするようなことにはなりません。
 
 心のない卑劣な言動を起こしても、何の罪悪感もなく、逆に自分の存在が
立派かのように感じる人が当然にいた時代を「古き良き時代」と言う人は
どのような人なのでしょうか。

 現実にそのような時代は存在せず、それに話をしても
うわべを並べるだけしかないことから、その人は、そんな記憶もないはずです。

 なのになぜ、当然のように言っているのでしょうか。

 それは、昔のまま今を生きているからです。
 上下関係、強者、弱者の中でつぶされたまま今を生きているからです。

 このような人は心がなく、自分に絶望している人であり
差別的な考えで自分の存在を成り立たしているのです。

 ですから話している内容は、今を嘆き、「昔は良かった」と嘆くしかないのです。
 絶望している人は嘆くしかないのです。
「古きよき時代」と言っている人の話を聞いてください。嘆いているだけです。

 そして、現実の自分も他者も自分の中に出てくることはなく
中身のない嘆いているだけの話の中でやっていることは
現代を否定して、今の人とする人間を否定して、昔を立派とすることで
自分の存在を成り立たせているだけです

「古き良き時代から続いてきた上下関係が薄れてきているから、今がおかしくなった」
と言う人は間違っています。

 差別が当然にあった時代から差別をしてはいけないと考えることが当然の時代に
なっていく中で、そうした諸悪の根源である上下関係が受け入れられなくなっていった
のです。


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