季節はずれのバレンタイン

高橋アキの演奏による現代音楽

もうこのCDを捜して久しい。
20年以上も前のこと、高橋アキの演奏で一柳慧の作品「ピアノフェイズ」を聞いて以来、 私は高橋アキのファンである。
こんな難しい曲をいとも簡単に弾いているという驚きとその正確なテクニック、それでいて機械的でないなにか。
これはただ者ではないと直感した。
それから数年して出たのがこのCD、当時はLPだったが、選曲がユニークであった。
クセナキス、武満徹、ジョン・ケージ、サティ、ドビュッシーという内容だ。
LPのころは現代作品がA面、近代作品がB面という構成で、ふむ、なるほどと思ったが、今はCDで、 A面もB面もなく連続してしまっていて、ちょっと寂しい。
実はこのLPは購入したのだが、今はそれを聞くためのプレーヤーがない。
それでCDを捜していたのだ。
もう、10年ぐらい前だろうか、吉祥寺の新星堂で発見した。3500円ぐらいだった。
その時はちょうど給料前でこの3500円は痛かった。それでその時は見送り、数日後、ようやく買うことが 出来る状態になったので、出かけたのだが、もう売れていてなかった。
まあ、しばらくすればまた入るだろうと思っている内に廃盤になり、手に入らなくなってしまったという次第
それが再び発売されて値段は1800円だからうれしいことこの上ない。
前置きが長くなった。そろそろ本題に入る。

高橋アキは、現代音楽の作曲家でもあり演奏家でもあるあの高橋悠治の妹である。
現代音楽の世界では天才ピアニストとして有名で世界中の著名な作曲家がこぞって彼女のための 作品を書いているほどである。現在、世界的な現代曲のピアニストとして活躍中である。
タイトル曲の「季節はずれのバレンタイン」はジョン・ケージの作品である。
私はこの手のタイトルに弱い。とても詩的な響きだ。「季節はずれ」というだけでも泣かせるのに、 「バレンタイン」と来てはもうどうしようもない。誰だってこうなれば聞いてみるしかないだろう。
ジョン・ケージといえば偶然性の音楽で有名だが、残念なことに92年に他界した。
ジョン・ケージはホームページを今も公開してるので参照して貰いたい。 私のホームページのリンク集に収めてある。

CDの内容
1)エブリアリ(クセナキス)
2)フォー・アウェイ(武満 徹)
3)季節はずれのバレンタイン(ジョン・ケージ)
4)ア・ルーム(ジョン・ケージ)
5)マルセル・デュシャンのための音楽(ジョン・ケージ)
6)グノシェンヌ第1番〜第6番全曲(サティ)
7)前奏曲集第2巻より「霧」(ドビュッシー)
8)前奏曲集第2巻より「風変りなラヴィーヌ将軍」(ドビュッシー)
9)前奏曲集第2巻より「月の光がふりそそぐテラス」(ドビュッシー)

エブリアリ

エブリアリはクセナキス得意の音の「星雲」による作品である。
私はクセナキスの作品ならピアノ作品よりオーケストラ作品の方が好きだ。
ピアノ作品は例の「星雲」がやかましくて疲れる。高橋アキのタッチはとても固く、 まるで打楽器のようにピアノを叩いている。

フォー・アウェイ

フォー・アウェイは亡くなった武満 徹の作品で、まるで雨垂れが不規則にポタポタと落ちるような作品だ。
クセナキスのエブリアリとよく似ていると思ったら、クセナキスと武満は73年にバリ島へ行きガムラン音楽に 触発されたのだが、エブリアリとフォー・アウェイは両方ともその時の作品であった。
改めて聞くとなるほどと思う。これはガムランだったのだ。

季節はずれのバレンタイン

季節はずれのバレンタイン、いいタイトルだ。
ジョン・ケージは1944年、戦争も終わるころにこの曲を奥さんのために作った。
「戦争は世界中を大きな音で覆った、だから私は妻のためにこの曲を小さな音で作った。」と語った。
泣かせるコメントだ。
これはジョン・ケージお得意のプリペアードピアノによる作品で、このコメントのとおり小さな音で作られた珠玉の名作である。妻のためにという一言が私のこころに響く。とても愛情のこもった逸品であるのに、高橋アキの演奏がまたまた泣かせてくれる。なんというかまるでジョン・ケージがそっと妻に語り掛けているような心のこもった演奏である。この一曲を聞くためにこのCDを手にしても決して無駄ではないと断言できる。

ア・ルームマルセルデュシャンのための音楽
この2曲もジョン・ケージのプリペアードピアノのための作品である。どちらもリズムが躍動するすばらしい作品。
一度聞くとしばらくの間はこの不思議なリズムと音色が頭の片隅に残りつづけるはずである。まるでガムランのような感じであるが、その中にもいかにもジョン・ケージらしい展開があり、この2作品ではとりわけそのリズム感覚が面白い。高橋アキは驚異のリズム感の持ち主であり、プリペアードピアノの独特のサウンドとそのリズムから生まれる音楽はまさに絶品である。

このあとのグノシェンヌ以降の音楽はすべてサティとドビュッシーものであるが、とてもやさしい音色でしかも一気に弾いたのではないかと思えるほどまとまりのある演奏である。ヒューマンな香りあふれる演奏で前半の現代音楽と対比すると面白いかもしれない。サティの作品などはまるで空中にふわりと浮かんだ羽の舞うようなタッチである。そのあとのドビュッシーはメリハリの効いた洒脱な演奏となっている。

このCD、聴き進むほどに時代が古くなっていく。はじめは生硬な感じの音楽で始まるのだが、徐々に美しい響きが現われ、やがて印象派の流麗な音楽へと続く。このプログラムは一つのコンサートを聴きにいっているような錯覚を与える。高橋アキと言えば現代作品と思う人とサティ作品と思う人に別れるところだと思うが、これはその両方を満足させるすばらしいCDである。

私はどちらかというと現代音楽派であるので、ここでは現代音楽の推薦作品として紹介して置きたい。

ぜひ、聞いてくださることをお勧めする。

by Kenichi Asano

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