邪悪王の闇の城

高野一巳


1 ナムルの怒り

ナムルは、生まれて初めての怒りと憎しみに体中を震わせていた。

まだ11歳の弟のロトの体が闇にしだいに蝕まれ、呑み込まれていく。それは、体中に黒いあざが広がっているように見える。しかし、そのどこまでも黒い部分は空であり、虚無であり、底知れない闇だった。 ロトの体に穴が空いているのではない。ロトのすべてを闇が呑み込もうとしていたのである。

いったい彼にどんな罪があるというのだ。ただ、あれに無邪気に触れただけなのに。

彼の語っていた将来への夢、未来への希望をナムルは思いだしていた。それはたわいのないものだったが、ナムルはロトを愛おしく思っていた。応援して、見守ってあげたいと思っていた。それなのに、まだ始まったばかりの彼の人生が崩れ去ろうとしていた。

ロトを救う手立てはない。母はずっと泣き、嘆き続けている。父はただ、絶望の淵をのぞきこむようなうつろな目をして、ただ椅子に呆然と座っているだけだった。

ナムルは、両親に愛され、大切に育てられた。農夫としての生き方を身をもって教えられた。学問がない彼らには難しいことはわからなかったが、毎日、自然と密接につながり、自然とともに生きていた。

暮しの中で、生きるということは何かを体に沁み込むように学んでいったのである。 わからないことはみんなで一生懸命考えた。ナムルが困っていると、出来ることは少なくても、みんなで力や知恵を出し合った。

ナムルは、家族が大好きだったし、とても大切に思っていた。互いに補い合い、支え合い、助け合い、寄り添うように暮していたのである。決して裕福ではなかったが、楽しい日々だった。 それなのに、なぜ。

ナムルは必死に彼らを支えてきた。でも、もう限界だった。

ナムルは、家のまわりにひろがっている農地と、その中に点在する家いえを見た。今は本来なら収穫期だった。たくさんの人たちが忙しそうに楽しそうに元気いっぱいに働き、作物も豊富に実っているはずだった。

ナムルはこの生活が大好きだったし、この村もこの村の人たちも大好きだった。彼らはどんなつらい時も互いに励まし合い、助け合いながら、力を合わせて暮していた。ナムルも、みんなに助けられ、かわいがられて育ち、いろいろなことを教えてもらった。仕事の喜びも人のあたたかさも教えられたのだった。

でも、今は人の姿は見えず、ひっそりしている。農地はどこも荒れ放題だった。ナムルも働いても働いても、収穫は上がらなかった。ほとんどの農民はすでに働くのをあきらめていた。

村全体の風景が揺らぎ、ぼやけている。すでに、村のところどころが闇に蝕まれ、虫食いのようになっている。

村全体が闇に呑み込まれるまで、もう時間がない。

この大好きな家族、村の人々そして村そのものを闇の中に取り込もうとしているその元凶は何かを、ナムルは知っていた。目の前にナムルはそれを見た。

村の向こうになだらかな丘が小高く広がっている。かつてはそこに大きなりっぱな木が立っていた。年中葉が生い茂り、四季ごとに実のりをもたらしてくれる。村の人々はその木を大事にし、豊穣の神としてあがめていたのだった。

ところが、ある日、その木のあったところに、真黒い岩山のようなものが出現したのである。人がいつしか「邪悪王の闇の城」と呼ぶようになったそれをナムルはキッと睨みつけた。

空は晴れ渡っている。しかし、その一角だけが、どんよりと曇っているように、色彩がしだいにぼやけ、無彩色になっていた。さらに闇が粒のようになって無数に集積して、真黒い岩山のような形を浮かびあがらせていたのである。時にそれは城がそびえたっているようにも見えたのだった。その中心に向かって、闇は限りなく濃くなっていき、それはまるで、異界に通じる穴のようだった。

それはブラックホールさながらに、この世のありとあらゆるものを吸いこんでいるのである。代わりに、邪気に満ちた空気が、泉のようにあふれ出しているのを感じる。

それが何かは誰も知らない。しかし、そこに邪悪なるものが存在していることは誰もが感じていたのである。

人々はそれを邪悪王と呼んだ。それが最悪の不幸をもたらし、やがて人々を世界を破滅に導くことを誰もが知っていた。

この村に災いをもたらしたのは、邪悪王である。これを倒さないかぎり、村も家族も救うことができない。

しかし、ナムルは農民だった。作物を作るのは好きだったし、得意だった。そこに彼にすべてがあった。だから、戦い方、敵の倒し方など全くわからなかった。

それでも、ナムルは心の底から、邪悪王を倒したいと思うのだった。それだけが、大切な家族を、大好きな村を救う唯一の方法だと思うからだった。

たくさんの英雄、豪傑たちが、邪悪王に挑み、ことごとく敗れ去ったことは、ナムルでも知っていた。丘のふもとにいつくもの墓標が不気味に突き立っている。それが、敗れ去った者たちの墓なのだった。

それでも、彼はもうじっとしていることができなかったのである。 そうして、ナムルは旅立った。邪悪王を倒す手立てを求めて。


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