ラスト・ファイター

高野一巳


1 目覚め

永遠とも思われた眠りは突如破られた。

ヒカルは夢を見ていた。 たゆたうような穏やかな気持ちのいいやすらぎに満ちた眠りの底で 彼は幼い子供になって、やさしい母の温かいまなざしに守られ、こころゆくまで遊んでいた。 疲れたら、母の胸に抱かれて、深い安心に包まれて眠った。

それは、幼い日々のあの幸せだったころの思い出からくるのだろう。 彼の父も母も今はもういない。 父の死も母の死も忌まわしい記憶として彼の心に刻み込まれている。

母との甘い夢を引き裂く、いまわしい釣り針は突然あらわれ、彼を引きさらった。 容赦なく、子を必死に守ろうとする母から引き離され、泣き叫ぶ彼を釣り針は 無情にも、海面へまたたくまに引き上げていく。 まるで、父と母を奪ったあの悪夢を再現しているかのような気持ちだったが、 急激な覚醒は現実のものだった。 そして、浮上した。

目覚めたヒカルの目に映ったのは、澄み切った青い空でも、のどかな雲でも、 命の源の太陽でもなかった。 均一の無機質なただ白い冷たいばかりの光を放つ面だった。 そして、彼を迎えたのは、母とは似ても似つかない、ハ虫類を思わせるような目をした 鼻も耳もない、牙を覗かせる大きな口ばかりの、剛毛な毛におおわれたおぞましい顔だった。

彼は思い出した。 あの作戦を実行している時だった。 もう少しでうまくいくところだったのに、奴らに見つかってしまったのだ。 その時に、恋人のレイナを助けようとして、捕まってしまったのだった。 レイナは無事逃げられたのだろうか。 どうやらおれは、命拾いしたようだ。どんな状況にあるにせよ、まだチャンスはありそうだ。 ヒカルはそう思った。

「目覚めたようだな。」奴が言った。
ヒカルは呼吸器を付けられているので、匂うはずもなかったが、真近で話しかけた奴の口 から、血の匂いがしたような気がした。
「とまどっているようだな。お前は冷凍保存されていたんだ。運のいいやつよ。 いや、運の悪いやつというべきか。いっそ死んでいたほうがよかったかも知れないな。 ともかく、早速、皇帝がお呼びだ。」

奴らが地球人の言葉を話すわけがない。奴らの人間研究とすぐれた科学力による翻訳機の おかげだった。ヒカルの顔の下半分を覆うマスクのようなものを装着されていた。ヒカルにあつらえたようにぴったりフィットしている。 口、鼻、耳までカバーしている。これは翻訳機と同時に呼吸器の役割も果たした。この空間は酸素ではなく、二酸化炭素を主成分とする空気で満たされているはずだ。 奴らは、二酸化炭素を呼吸する。奴らにとって、二酸化炭素が増える地球の温暖化傾向は歓迎すべきものだったのだろう。二酸化炭素をどんどん生み出す人類を気に入ったようだ。

ヒカルは起き上がろうとしたが、体が思うように動かず、倒れてしまった。
「全く、地球人はひ弱だな。だから、いとも簡単に征服されたのだ。しようがない。 今日は特別にポーターを使わせてやろう。ありがたく思え。」

ポーターとは、奴らが荷物を運んだり、自らの移動のために使う、地面から少し浮いた ところをすべるように音もなく走る薄いプレートのようなものである。 どういう動力かはわからない。微妙な手や体の動きでコントロールするらしい。


prev * index * next