高野一巳
11 新たな旅立ち
モトムは目覚めた。素朴だが、清潔そうな天井が目にはいった。 モトムは自分の体のすみずみに意識をやりながら言った。
ただ、動かしにくいが、痛みも違和感もない。
しかし、シーツの肌触りや、消毒液の匂いや、重力さえも感じた。
僕は本当に生き返ったのか。 崖から落ちたのを思い出した。
モトムは飛び込むつもりだったが、あの男は足をすべらせたと言った。
自分が地獄にいた時のことを思い出した。
あれは夢だったのか。いや夢ではない。むしろ、今こうしていることの方が夢のように思う。 しかし、モトムは自分が生き返ったことがまだ信じられなかった。 ここはまだ、地獄なのではないか。 白髪のやさしい笑顔の医師が、いろいろ調べてくれた。 川に流されているのを登山に来た人が見つけて、登山ガイドの人が助けてくれたそうだ。 モトムは助けてくれた人に心からお礼を言った。 看護士が、おにぎりとお茶をもってきてくれた。 ただ、白いごはんを握っただけのものだったが、こんなおいしいものがあるのかとモトムは思った。 何の変哲もない麦茶だったが、乾いた心身に沁み渡り、本当に生き返ったことを実感した。 モトムの目から涙がとどまることなく、大量にあふれ出した。 自分は生きているんだと実感したとたん、大きな喜びが心に湧きあがり、あふれだした。 モトムは自分が生きていることがこんなにもうれしいものだとは思わなかった。 息をしている。心臓が動いている。そんな当たり前のことがむしょうにうれしかった。 自分をつねってみた。痛い。痛いことがこんなにうれしいなんて。 何よりも、こんな喜び、うれしさを感じている自分がまたうれしかった。 そんなモトムを見ていて老医師は言った。 モトムはさっきのおにぎりのおいしさを思い出した。
老医師は続ける。 診療所の人たちはみんなにこやかで穏やかな顔をして、親切にしてくれる。 心あたたかな人たちだ。心の底から安心できる。 まるで、仏様のような人たちだ。 ここがやはり死後の世界だったとしても、極楽にちがいない。 モトムはていねいにお礼を言って、診療所の扉を開けた。 澄んだ青空が真っ先に目に飛び込んだ。 ゆったり浮かぶ白い雲、さざめく木々の葉っぱや草花、 楽しそうにたわむれる鳥たち、どれも眩しいほど輝いていた。 さわやかな風が吹きわたり、とても気持ちいい。 よし、とモトムは思った。
両親と弟の待つ家に帰ろう。
そして、心から謝り、ありがとうと言おう。
それから、自分が幸福になれる場所を探しにいこう。きっとどこかにある。
何があってももう負けない。あきらめない。そんな思いが心に湧きあがった。
モトムはまばゆいばかりの光あふれる世界に向かって、一歩を踏み出した。 |