Natural〜奈良

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気の向いた方に走り、時間が来れば帰る...

 大切なこと、失いたくないこと、かけがえのないもの。バイクに乗って数年、ようやくひとつの答を見いだした。

 それはバイクが好きで、旅が好きで、自然が好きだということ。当たり前の様で、でも価値観が一変した、そんな旅の話。

 秋。朝起きたら綺麗な秋晴れだった。どこかに出かけたくなるような天気。ふむ、伊勢に行こう。さして理由はない。伊勢に行ってどこを見ようという予定もない。ただ伊勢に行き、気の向いた方に走り、時間が来れば帰る、そんな旅だ。私は家を出て“麗華”を起こした。麗華−スズキRF400RV。旅を共に過ごし、傷つくときも一緒だろう、運命を共にする者。今日は麗華とどんな旅が出来るだろうか。高揚した気分で家を離れた。

あった。しかも近い。行ってみよう。

 大阪を出て名阪国道へ。あまり考えずに出てきたので、地図を見るためにすぐさまサービスエリアに飛び込む。3連休の初日で混んでいて、麗華と佇む場所を探さねばならなかった。ようやく狭いスペースに飛び込み、コーヒーを買って飲みつつ地図を開く。高速道路で一気に伊勢まで行く気はなかった。目的地に着くのが目的ではない、楽しい旅が目的なのだ。高速道路を延々と走るのはあまり楽しいとは思わない。麗華もそうだろう。

 奈良県。針ICで降りて南下。国道を少し走ってから県道に入る。4輪もいず、また麗華と2人だけだから、自分の好きなペースで杉林の中を駆け抜ける。狭くて荒れていてもこういう道は好きだ。景色が見えるわけではないけれど、杉林という日本らしい地を、自分にとって快適なスピードで気兼ねなく走れるというのはいいものだ、と思う。自然を、自由を感じるひととき。それが好きで、麗華とふたりで旅に出たいと思うのだろう。

 道ばたで何度かススキを見た。ススキというと確かこの辺に曽爾高原というススキの綺麗な場所があったと思いだす。麗華を止めて地図を眺める。あった。しかも近い。行ってみよう。誰に相談することもない、自分の行く先は自分で決める気ままな旅なのだから。

何故今までそんなことに気が付かなかったのだろう。

 よく分からない案内板を見て行くと駐車場に出た。止まっている4輪が1台。遊歩道の先に山とそこにススキが見える。あれだろうか? しかし、あまり綺麗には見えない。違うような気がする。それでも遊歩道を登ってみることにする。ハイキングにはいい季節だろうに、誰も居ない遊歩道をひとり歩く。息が苦しい。体力不足を感じる。8分目くらい登ったところにベンチがあったので、私は座り込んだ。

古光山 17kb

 あらためて景色を見た。目の前に広がった、緑に覆われた山々。人っ子ひとり居ない山の中腹、見えるのはそんな割とありふれた景色、聞こえるのは風の音と虫の声だけ。しかし、人の手による雑音を廃して見たその普通の光景に、私は感動すら感じた。自然ってこんなにも綺麗だったんだ。何故今までそんなことに気が付かなかったのだろう。

 私はこの感動を言葉にしたかった。でも文才のない私にはそんなことできなくて、だからZABADAKの「遠い音楽」を口ずさんでみた。私にはこの風景を讃える方法を他に浮かばなかったから。下手な歌で思わず誰も見てやしないかと辺りを見回してしまったが。私はしばらく眺めてから頂上を目指した。風の音と虫の声、そして緑の山々に包まれて、彷徨うように歩いた…

 その後、ここが曽爾高原で無いことを看板で確認した私は、同じ道を引き返して麗華の元に戻った。少し後ろ髪を引かれるような想い。あまり時間もないので先を急ぐ。曽爾高原はすぐだった。が、時期が時期だけに、山道で渋滞している。しばらく4輪の後ろにいたが、GL1500がすり抜けているのを見てこれ幸いと付いていった。

いつまでもあのような景色を見られるように...

 曽爾高原は確かに見事なまでのススキの原だった。黄金色に輝く一面のススキ。その中を歩く。少し幻想的で、夕方だったらもっとよかっただろうに。しかし確かに見事なのだけれども、感動には何かが足りなかった。あの山で感じた何かが。

 あの景色を見てから、一生旅に出るだろうと確信した。またどこかで同じ様な景色を見るために。そして、いつまでもあのような景色を見られるようにしたいと感じた。「地球に優しく」なんて言っても実感が湧かなかったが、あの様な景色を護るというのなら理解できる。後世の人がああいう景色を見ることが出来るように、少しでも努力を。

曽爾高原

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