昭和32年(1957)、人間国宝故宮入行平刀匠の二男として坂城町に生まれる。宮入一門からは天田昭次や大隅俊平の人間国宝
を輩出しています。 昭和52年(1977)11月、実父である宮入行平(昭平)師匠の宮入鍛錬道場へ入門したが、昭和52年(1977)
11月、実父である宮入行平(昭平)師匠の宮入鍛錬道場へ入門したが、父の急逝により修業半ばであった宮入恵刀匠は、父の高弟、藤安将平氏
に師事しました。志津に私淑した“親方”の伝法を踏襲しつつ、父行平刀匠が鎌倉時代の志津兼氏や、同郷の山浦清麿の作刀を研究したように、
彼もまた志津兼氏に私淑し、すでに独自の境域を完成させています。
昭和57年(1982)、文化庁より作刀承認を受け、翌年春の新作名刀展に出品、初出品で努力賞を受賞し、以後優秀賞、寒山賞などの各賞を
受賞し、最高賞である高松宮賞を6回も受賞しています。
平成8年、曾祖父の「小左衛門」と父の「行平」の名を合わせて刀工銘を”小左衛門行平”に改めています。平成12年(2000)、無鑑査の
認定を受け無鑑査刀匠となる。宮入一門の頭領鍛冶です。
本作は平成4年の新作名刀展の出品作で、優秀賞を受賞した作品です。地鉄は板目に杢交り良く詰まれ、
細やかな地景を織りまぜて美しく潤いがある肌となっている。刃紋はのたれ乱れに互の目が交じり、特に物打ち
から切先に掛けて金筋が良く働いている。志津を彷彿とさせる相州伝の力強い作品です。
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