御開祖物語
乾宝海 浄照
 [第七章]
 昭和48年、浄照60才の時。

 四度加行を完行して宇宙観を得、さらに深く尊い
 教えを学びたいという気持ちを抑えきれず、
 一層道場に通い続けました。

 奉仕をしながら人と接することによって、
 使命感が湧いてくると同時に仏を信じ、心清らかに
 人のために祈る心がどんどん溢れてくる
 浄照なのでした。


 季節は春を過ぎ、梅雨間近のどんよりと曇った蒸し暑いある日の夕方。
 道場から戻り、一息ついているところにインターホンが鳴りました。
 「こんな時間にどなたかしら?」
 玄関に出てみると若い女性が二人、一人は立っているのも辛そうで、
 もう一人の女性が体を支えていました。
 今にも泣きそうな声で
 「浄照様ですか?私達は貴女を訪ねて参りました…」
 浄照は驚きながらも包み込むような優しい笑顔で
 「どうぞ中へお入り下さい。よくいらっしゃいましたね」
 と家に招き入れました。

 二人は、温かいお茶とお菓子を召し上がりホッとされた後、
 少しずつ浄照に悩みを打ち明け始めたのでした。
 話を聞いた浄照は「何とか悩みを解消してもらいたい」という一心で、
 会得した加持法を施法したり、悩みの原因を紐解いていきました。
 お加持の後、ほっとされた女性は
 「あっ、何だか心も体も軽くなりました!何か見えない物に
 操られていたのでしょうか? 本当にありがとうございます」
 その表情は来られた時とは打って変わり、晴れ晴れとした笑顔に
 変わっていたのでした。

 「遠方から来られ、お腹も空かれたでしょ?どうぞ夕飯を召し上がって下さい」
 浄照は、手料理を振る舞い、真心を込めてもてなしました。
 早朝からの疲れも忘れ、この方々が元気になってもらえるように
 一生懸命だったのです。

 それからも、浄照を訪ねて来られる人が後を絶ちません。
 その度、施法はもちろん、いつも美味しい手料理を振る舞い、
 元気になってもらえるようにもてなすのでした。
 決して豪華な物ではありませんでしたが、家にある食材で
 手際よく作った、真心いっぱいの美味しい料理でした。
 それは戦時中、食べる物もなく貧困の経験をしたからこそ、
 美味しい料理を食べて頂き、笑顔になってもらいたい!
 少しでも悩み苦しんでいる人の心を軽くしてあげたい!という
 浄照の気持ちからでした。

 「それにしても、どうしてこんなに人が訪ねて来られるのかしら…
 しかも、この辺りの人や大阪から。なぜかしら?」

 浄照は、とても不思議に思っていました。
 しかしそれは、全てお師匠様のご采配だったのです。
 会得したと言えども密教は、実践しなければ蔵に仕舞い込んだ宝も同然。
 宝を世に生かす為に、お師匠様が悩んでいる人達(阪神方面の方々)を
 浄照の元へ行く様にと、紹介していたのです。
 それは浄照を真の行者として、更に大きく逞しく育てる為の親心でした。

 当時、姫路の道場には、阪神方面から訪ねて来られる人も多く、
 姫路よりも近い『神戸』が、非常に有難い場所でした。
 以前、教団を脱退した際、住居を姫路ではなく神戸の御影に決めたのは、
 このための縁がその時すでに生じていたのだと、しみじみわかるのでした。

 それからも浄照の人に対する献身的な対応、人を思う純粋な人柄が伝わって行き、
 気がつけば家には大勢の人が、出入りするようになっていました。

 一方、夫の宝海は自宅に人が集まることを、あまり良く思っていなかったのです。
 「人が集まると、ろくなことはない」
 宝海は、以前入信していた宗教団体でのことを思い出し、懸念を抱いていました。
 しかし、特に何も言わず浄照の心を尊重し、側で見守っているだけでした。
 浄照と共に四度加行を受けた宝海でしたが、なかなか悩み苦しんでいる人のために
 自分の身を使って…ということができなかったのです。

 そんなある日、宝海の体調に異変が起こりました。
 体はだるく、食欲がなくなり黄疸が出始めました。しかも血便まで出てきたのです。
 「これは浄照に話すと心配する。何とか隠し通さねば…」
 不安な気持ちを持ちながらも、薬局を訪ねては市販のお薬をもらい、
 痛みを抑えていました。
 それは、一年以上も続いたのでした。
 時には妻である浄照に、辛くあたることもありました。
 腹部から背中にかけての痛みが続き、自らの体の異変が精神的に不安定となり、
 それを浄照にぶつけてしまっていたのです。
 「あぁ…また浄照に辛くあたってしまった」
 宝海は後悔するのでした。

 「これまで穏やかな主人だったのに、どうしてかしら…?」
 浄照は、何か異変を感じていた矢先のこと、
 突然、宝海の全身に激痛が走り、あまりの痛さに意識を失い、倒れてしまいました。
 「あなた!大丈夫ですか?すぐに救急車を!早く!早く!」

 静かな住宅街にサイレンが鳴り響き、病院へと急いだのです。
 すぐに検査をした結果、医師から告げられた病名は思いもよらぬ『肝臓ガン』でした。
 「大変なことになってしまったわ!
 私が側に居ながら、どうして気づいてあげられなかったの!」
 すぐに入院を余儀なくされ、浄照は朝から晩まで夫の側で献身的に尽くしました。

 「なぜこんなことに…」

 それは本来、宝海が成すべき大阿闍梨としての役目を拒否、
 すなわち人を導く使命を悟ることができず、その心が変わらなかったために
 『ガン』という大病を患う事になってしまったのです。
 そして、命を懸けて伝法者としての役目を果たすか、
 果たさないかという最後の選択に迫られていました。

 その後、宝海は食事もとれず点滴になり、病気はどんどん悪化していきました。
 やがて浄照は、道場からも足が遠退いていったのでした。
 堅固に浄照は決意します。
 「この先、どんな事があろうと、自分の命に代えてでも看病しよう!夫のために!」

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