御開祖物語
乾 久子
 
[第五章]
 昭和45年、最愛の孫である義継を失くし、
 月日が経っても、久子の心が癒えることは
 ありませんでした。

 いくつもの苦しみ、悲しみを経験し、
 救いの道を求めて、これまで一生懸命信仰してきた
 久子でしたが、その信仰に大きな疑問を持つように
 なりました。

 「こんなに一生懸命信仰しているのにどうして不幸が
 絶えないのかしら!?・・・ずっと信仰してきた
 この教えは、本当に正しいのでしょうか!?」
 
 よくよく考えてみた時、「法外なお金を躍起になって集める教団に仏様はいない!
 絶対仏の教えにそっていない!!」と思う久子でした。
 
"きっと真の信仰、真の教えがある!!"と仏様にすがり幾日も幾日も寝食忘れて
 行じ、真理を求め始めました。

 探し求めているうち、ある日久子はまた不思議な夢を見たのです。
 
田園の中に建っているお寺で、夫と二人修行している夢を・・・。
 
「いったいこのお寺はどこなのかしら?」と思いましたが、
 すぐにはわかりませんでした。


 それから数日経ったある日、長年親交を深めていた知り合いから、
 姫路に本覚寺というお寺があることを聞かされました。
 
久子は"ハッ!!"として「もしかしたら夢で見たお寺かも知れない」と思い、
 早速夫と二人、電車とバスを乗り継ぎ何時間もかけて本覚寺を訪ねました。


 途中、夫は「本当にこんな遠い所に凄いお寺があるのか?」と半信半疑でしたが、
 久子は「早く行きたい!!」と期待と希望で胸を膨らませていました。

 
長い道のりをかけてようやくお寺に着いた時、中から一人のお坊さんが出て来られ、
 「やっといらっしゃいましたね!あなた方をずっと待っていましたよ」と言われました。
 そして何と、二人の僧名まで用意されていたのです。

 「いったいこのお寺は?私たち夫婦が来るのを待って下さっていたなんて・・・」
 夢で見たお寺が、ここであったのだと確信しました。
 そのお坊さんとは、密教の大阿闍梨である北野恵宝大僧正でした。

 数日後、二人はこの大僧正に弟子入りし、密教の教義を学ぶ決心をしました。
 この密教こそが、探し求めていた真理への道しるべだと悟り、
 同時に、これまで信仰してきた宗教団体からの脱退も決断しました。

 しかし、長年在籍していた宗教団体を辞めることは、容易なことではありませんでした。
 「辞めると地獄に落ちるぞ!不幸が続くぞ!」
 夫は教団の幹部だったため、脱退の話を聞きつけた多くの信者が
 毎日のように訪れ、必死に引き留めようとしたのです。

 しかし、二人の決心は固かったのでした!!
 そして、不浄なもの全てを振りはらうために、教団隣接の家を売却し、
 生活の拠点を御影へと移したのでした。

 住居を姫路ではなく、神戸の御影を選んだのには、理由がありました。
 が、それは後々わかることになります。

 御影に引越した二人は、夫婦揃って毎日毎日、姫路までの道のりを
 (徒歩で20分、阪急御影からJRに乗り換え姫路まで。更にバスに乗って20分)
 約2時間半かけて通い続けました。

 師匠は、親しみやすい優しいお人柄でしたが、教義になると一変し、
 時には大変厳しいご指導をされました。

 理論ばかりでなく、炎天下で読経し、長時間に渡る護摩行や火渡り行をしたり、
 また静かに瞑想をし、印言行を重ねるなど、五体五感で感じる体感行をしていきました。
 こうして実際に、自分の身で体感していくうちに『因縁因果の理法』
 というものがわかってくるのでした。

 これまで信仰していても、不幸が続いていたのは"自分自身に問題があった!!"
 と初めて気づいた久子なのです。

 仏様にすがるだけではダメなのだということを諭され、
 自分自身を省みてどんな心であったのかを反省し、
 己自身が変わっていかなければ不幸から逃れることはできない!
 とはっきりと解ったのです。

 それらを実生活で実践するために、在家僧の得度灌頂を受け、
 自ら僧籍に身を置き、在家といえども、尼僧として生きる決心をしたのでした。

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