御開祖物語
乾勲 久子
 [第三章]
 再婚した久子は、姓を「中西」から「乾」に変え、
 新たに、乾久子として再出発しました。 
 再婚後、洋裁店を閉め、本格的に信仰への道を
 歩み始めたのです。

 生活も心も安定していた久子でしたが、いつも心の
 奥深くに「真理を知りたい!」という思いがあり、
 ある宗教団体に入信しました。
 入信後も渇いた喉を潤おすように、ぐんぐん教えを
 呑み込んで、一心にその意味を教えて頂きたいと
 思うのでした。
 
 ただ、そこは夫婦で信仰しなければならなかった為、あまり熱心ではなかった
 ご主人を必死で導こうとしました。 
 そんな折、ご主人のお父様が亡くなり、「何とか父を御供養したい」という気持ちから、
 ご主人も熱心に信仰するようになっていきました。

 毎日、熱心にお経を唱えているうち、明け方によく夢を見るようになる久子でした。
 ある日のこと、枕辺に仏様が現われ 『汝等、両名、世にも稀なる役目あり。
 夢忘るべからず』 と告げられたのでした。
 その時はまだ、それがどういう意味なのか、知るよしもありません。

 それから2年後、人望が厚く、誰からも信頼される乾夫婦の元には、
 たくさんの人が集まり、ご主人が教団の支部長となりました。
 同時に、教団本部の近隣に家を新築して、移住したのです。

 更に熱心に信仰していくはずの二人でしたが、月日が経つにつれて
 家には毎日、教団の人が来ては、その日の出来事をこと細かく話し、
 何事もすばやく久子の耳に入りました。

 その中でも、新興宗教の「金集め」がはっきりと見え、法のからくりが
 わかるにつれて、疑問を持つようになりました。
 でも、純粋でまっすぐなご主人には、知られてはいけないと、
 ずっと隠していたのでした。
 不信感をつのらせながらも教団に集まる人々の為に、お役目を果たす日々を
 送っていました。

 41歳になったある日、ご主人との間に待望の男の子が誕生しました。
 待ちに待った子供の誕生に、久子はもちろん、ご主人も二人の息子たちも
 大喜びでした。
 家族が増え、希望に満ちた日々が始まろうとしていた時、
 突然の不幸が・・・・・!!

 未熟児で産まれた男の子は、わずか8日で亡くなってしまったのです。
 待ちに待った二人のかけがえのない我が子の死は、再び久子を
 悲しみのどん底へと突き落としました。

 「やっとやっと授かった命なのに・・・どうして!!」
 ご主人は小さな冷たくなった亡き骸を抱え、人目もはばからず、のたうち回り、
 「息子を返して下さい!」と泣き叫ぶのでした。
 食事も喉を通らず、魂が抜けたように、端目から見てもたまらない状態で、
 二人はなかなか立ち直ることが出来ませんでした。

 泣いて泣いて、涙も涸れてしまった頃、二人に仏様より
 『この子は、すぐに帰って来る』 と告げられたのです。
 ただ、既に40歳を越えていた久子には、もう出産する体力が
 残されていませんでした。

 それから5年後、成人し結婚した、ご長男(姓 中西)のところに、
 男の子が誕生しました。
 久子にとっては、初孫です。
 その時、また仏様より 『この子は乾の子である。前に亡くした乾の子供が今、
 中西の子として産まれて来たのだから、乾の子として育てよ。
 また中西家としては、幼い二人の子供を養育して頂いた乾への恩返しに、
 初孫を捧げて感謝を現わせよ』 と告げられました。

 そのお言葉通りに、中西家に第二子が誕生したのを機に、初孫の男の子は
 乾と養子縁組して、久子の息子として、育てられることになったのです。

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