御開祖物語
御宝天井
 [第二十六章]

平成元年4月
春のうららかな日差しに照らされ、
聖堂の屋根の上に設置された
観音像が神々しく輝いています。
聖堂の外装が完成した頃、
落慶法要の式典が6月4日に決まりました。
それに間に合うように内装工事も
着々と進んでいるのでした。

 床や壁が張られ、建物を支える大きな4本の柱は、一階から二階の天井にかけて
 どっしりと存在感を現しています。

 光照と工務店の担当者は、毎日変わっていく工程を見守っていました。

 天井に取りかかろうとした時、その担当者から思いがけない提案があったのです。
 「ここの天井ですが、格天井にされては如何でしょうか?」
 格天井とは、碁盤の目に組んだ角材の上に板を張った、格式高い伝統技術を残す
 天井なのです。

 また、この担当者は屋根を作る際にも、四国八十八ヵ所の寺院の屋根を
 提案してくれていました。
 「えっ!そんなことができるのですか?このお寺でも?」
 光照は、思ってもみなかった提案に心弾ませ、後日詳細を調べるため、
 自ら四国のお寺まで出向いて行くのでした。

 そして帰宅するとすぐに、弟子の美術教師である友崎さんに相談したのです。
 話を聞いた友崎さんも大変共感しました。
 「格天井は、なかなかいいですね。先生、是非これを私に担当させて頂けませんか?」

 光照は快諾し、早速お願いすることにしました。
 何度も打ち合わせを重ね、数日後、友崎さんは数枚の手のひらサイズの仏教画を
 光照に見せたのです。

 「先生、一枚一枚にこういった絵を描いて、はめ込んでいったらと思うのですが、
 どうでしょう?」
 「まぁ、何て素敵な絵なんでしょう!」
 そこには天印や天女、そして数々の蓮華などの花や鳳凰が描かれていました。
 その中から格天井に使用する48枚を選び、友崎さんが全ての板に
 その原画を下書きし、色の配色まで考えてくれたのです。

 実際に板を用意されると、
一枚が約1m四方の正方形で、
 絵を描くにはとても大変そうでした。
 落慶法要まであと2ヶ月。

 光照も本当に完成できるのか心配になってきました。
 しかし、弟子たちはとても前向きに捉え
 「是非、私たちにも描かせて下さい」と、口々に申し出るのです。
 それはそれは簡単な作業ではありませんでしたが、
 弟子一人一人の聖堂建立に力を注ぎたい、お役に立たせて頂きたい、

 という意欲が高まるのでした。

 そして、光照の自宅横に作られた作業場で、できる限りの時間を費やしたのです。
 休日には、夜遅くまで作業する日もありました。
 描くことが得意な人、また苦手な人も、下絵からはみ出さないよう細心の注意を払い、
 一筆一筆丁寧に色づけをしていきました。
 皆、無我夢中に筆を進めていったのです。
 それは光照の弟子として、
この聖堂を支える柱とならせていただきたい!
 という自覚の表れでもありました。
 光照も寝る時間を惜しんで、弟子と共にひたすら描き続けていました。

 1ヵ月以上かけて完成した48枚の絵は、どれも彩り鮮やかで、
 気持ちのこもった素晴らしい仕上がりになりました。
 それらをしばらく乾かした後、一枚一枚天井に、はめ込んでいったのです。
 作業が終了すると、一気に部屋が明るくなり、温かい空気が集い寄る人たちを
 包み込むのでした。
 そして光照と弟子一同は、
その天井を見上げながら、
 みんなの力が集結すれば、
大きなものが完成することを体現したのです。

 この後の瞑想会で、観音様より御霊示がありました。
 『真心に輝く天井の、一枚一枚微笑みて、御仏の御心喜びに満ち給うぞや』

 同じ頃、ある素敵な作品も
完成されようとしていました。
 それは、この聖堂建立に至るまでの光照の『履歴』を友崎さんの手によって
 立体的な和紙人形で表現されていたのです。
 昭和24年の秋、暁近く枕元に観世音大菩薩様が現れ
 『汝等、両名世にも稀なる大役あり』
 と御霊示を給わった時から、平成元年の聖堂建立までの情景を再現した、
 臨場感溢れる全14作品でした。

 それを見た光照は、ただただ胸がいっぱいになり
 「あぁ…友崎さん、本当にありがとうございます。
 こんなに素敵なものを作って下さって、何とお礼を言ったらいいか…」
 友崎さんの手を取って何度も何度もお礼を言いました。
 出来上がった作品はもちろん、その真心に感謝する光照でした。

 内装の全てが完成した後、
この作品を飾るために設置した
 専用ガラスケース棚に、時代を追って順に並べていったのです。

 それは、見る人すべてに光照のこれまでの『履歴』が一度でわかるものとなりました。

 5月の半ばには、いよいよ
ご本尊様であられる観音様が内陣中央に祀られました。
 この観音像は、昭和45年に、わずか5歳という短い生涯を終えた、
 大切な孫の成仏を願い供養のため、寝食忘れ一心不乱に、命がけで
 彫り上げた慈母観音像だったのです。
 今まさに、照真正道会のご本尊様として、この聖堂に祀られることは、
 孫のためだけにあらず、信徒の方々の心の拠りどころとなり、
 一切衆生救済のためのご存在となられたのです。
 右手に赤子を抱くその様相は、この世の全ての方々の苦しみ悲しみを抱き、
 共に行じて成仏の道を照らし導く御姿として具現化されました。

 そして、観音様の横には御釈迦様を、向かって左側には大日如来様、
 右側には護摩壇が設置され、その前に御大師様が祀られたのでした。
 壁には曼陀羅図が飾られ、
其々の仏様の両脇には、大きな花瓶に、
 何種類もの季節の花が供えられたのです。
 須弥壇には、行法に必要な金色に光る多くの法具が並べられました。
 お御簾で囲った内陣は、とても厳粛な場所となり、
凛とした空気が漂っているのでした。

 お寺として建てられた聖堂は、高台に建ち、南には明石海峡、北には山々を一望でき、
 大きな窓からは、溢れんばかりの陽の光が射し込んでいます。
 窓を開けるとウグイスのさえずりと、枝葉を吹く風が心地よく
中に入ってくるのでした。
 まさしく、水鳥樹林皆法音を演ぶ聖地。
 ひだまりのような光照の慈愛と観音様の慈悲に満ちた場となりました。

 この聖堂は、因縁浄化のための場所で、信者一人一人が自覚を持って行じる
 道場として出現したのです。
 『光照はじめ、一同の意思とも見ゆれど、さにあらず。悪世を正し、

 いかにもして娑婆の現実清めんがため、既に天には成るところなり。
 しかして今ようように地上に映し出ださるるところなり』
 こうして、観音様の御導きにより、この聖地に身命かけて因縁浄化する拠点として
 『正法根本道場』が建立されたのでした。

 さぁ、待ちに待った落慶法要式典の日です。


 目次    第二十七章へ   著書の紹介

TOP