御開祖物語
乾 光照
 [第二十二章]

昭和60年2月3日
粉雪がちらちらと舞っている夕暮れ近く、
御影の自宅庭では信者さん達が忙しそうに、
あと片付けをしています。

それは、今日の護摩供養で使用した
護摩堂の撤去作業でした。
今まで以上に護摩行に参加する人たちも
増え、これまでのように自宅の居間だけでは
参拝者が入りきらなくなっていたのです。

 そこで、信者さん達が協力しあって組み立て式の護摩堂を作ったのでした。
 基礎は鉄骨で、その周囲をビニールテントで囲い、使用した後は畳んで
 家の裏に片付けるのです。
 だんだんと薄暗くなり、作業が終わる頃には、かなり冷え込んできました。

 「皆さん、お寒い中大変だったでしょう。ご苦労さまでした。
 さあさあ、温かいうちにどうぞ召し上がって下さいね」
 光照は、信者さん達に飲み物や手作りのお菓子を出して労うのでした。
 誰もが「光照先生が一番お疲れのはずなのに…」
 と思いながら、光照の真心いっぱいのおもてなしに心はもちろん、
 冷えきった体も芯まですっかり温まるのでした。

 やがて陽も落ち、信者さん達が家路につくと、すぐに光照は護摩行が
 無事に終わったことを観音様にご報告しました。
 そして以前からずっと祈願していることがありました。
 今日の護摩行にも、ある人が来られていたのです。

 数年前に病気を患い、藁をもつかむ思いで光照のもとを訪ねて来ていました。
 祈願をしてもらったことで改善され、回復するとそれ以来一度も顔を見せず、
 すっかり疎遠になっていた人でした。
 ところが再び病に冒され、また光照の所に来て
 「先生、どうかもう一度病気を治して下さいませんか。お願い致します!」
 と必死に頼み込まれたのです。

 また、いろんな宗教を信仰しているにも拘わらず、人は多くの悩みを抱え
 相談に来られるなど、光照を訪ね、すがって来る人は後を絶たないのでした。
 「世の中には、こんなにも多くの宗教があるのに、何年経っても
 なぜ人は救われないのかしら」
 それは何年も前から光照自身が疑問に思い、実際に体験して「これは違う!」と、
 正しい信仰を求め続けてきました。

 ほとんどの宗教が、お金や権力を得るために教義を都合のいいように変えて、
 すがり寄る人たちを利用しているのです。
 また寺院を維持するためだけにお金集めをし、どんどん人の道から
 かけ離れてしまっている現状に、光照は疑問から確信に変わったのでした。
 「純粋な信仰とは、決して自分の名利や得手勝手な欲望を満たすものではないわ」
 「人は、悲しみ苦しみが起こった時、何かにすがりたい、と思うのは当然のこと。
 けれども『純粋に真剣に道理を学びたい』と思う人がどれだけいらっしゃるのかしら」
 そう呟きながら、全ての人が苦から逃れて、純粋にご神仏にすがり、
 自分の業を浄化して幸せになって頂きたい、と願わずにはいられなかったのです。

 ずっとその思いを抱きながら弟子たちを導いているのでした。
 そうして、観音様の御神力に一心にすがり「何卒弘通なさしめ給え」と
 祈り続けてきた光照の目の前に、少しずつ現わされてきたのです。
 それは、これまでお客さんのように振る舞っていた信者さん達の意識が
 徐々に変わっていき、大白身法を伝授された人たちが
 「私にも更に深い密教の伝法をして下さい」と、次々と光照に懇願するのでした。

 そして、高梨さん家族を初めとし、
弟子たちとの強い師弟関係も結ばれていきました。
 多くの弟子たちが密教を修得し、信解を養うようになってきたのです。

 いつしか御影の自宅は法会や瞑想会、護摩行など定期的に法の下に集まる
 場所となっていました。

 そんな時です。
 いつも光照を陰から導いて下さっている観音様より御言葉を頂いたのでした。
 『ついに時期、来たりし。今こそ固き決定を持って発起するべし』
 光照は、やっとこの時が来たことを
感謝せずにはいられませんでした。
 実は、その名前はもう5年も前から観音様より、お四国巡拝や高野山参拝の
 祈願によって授けて頂いていたのです。
 光照は、観音様の御言葉通り仏教団を設立し、名を公表することを決意しました。

 6月の第一日曜日。発足当日の朝です。
 深夜まで降っていた雨も止み、草木には光の粒が混じり合いながら一つの輪になり、
 穏やかにそして緩やかに広がっていきました。
 光照は、食事の支度をしながら台所の窓を開けて空を見上げて思うのでした。
 「今日は、良い日和になってよかったわ。木板はどこに掲げようかしら」
 数日前よりこの日のために、教団の名前を書いた木板を光照自身が
 用意していたのです。

 それは、木の材質や大きさなど光照が文字を書くのに、とてもこだわったものでした。
 一枚板を前にして、ゆっくり墨を摺り、一字一字に心を込めて教団の
 文字を書いていたのです。
 書き上げた木板に、文字が消えないように塗装も施しました。
 こうして立派な道場看板が出来上がったのです。

 朝10時からの特別集会には、多くの信者さんや弟子たちが集まっていました。
 信者さん達は、御宝前の横に置いている白い布に覆われた物が
 気になって仕方ありません。
 光照が皆の前に座ると、一瞬にして空気が変わり緊張感が漂うのでした。
 そして、無言で白い布を厳かに外すと、それまで梅雨空で薄暗かった
 雲の隙間から四方八方に光が放たれ、その一筋の光が道場看板の
 文字を映し出したのです。
 【照・真・正・道・会】と…。

 「皆さん、今日の良き日にお集まり頂きありがとうございます。
 これから大切なお話を致しますので、よく聞いて下さいね。
 本日より仏教団『照真正道会』を発足致します!

 これは、観音様より賜りましたお導きなのです」
 『照真正道会とは、その字の示すが如く、真を照らす一筋の正しき道なり。
 すなわち宇宙の真理なり』
 「今、皆さんが目にしている名前の意味は、観音様の御啓示です。
 『会』と名付けられたのは、建物や場所ではなく、皆が行じる集いであると
 いうことなのですよ。しっかり心に留めておいて下さいね」
 「それでは、早速これを掲げに玄関に移動しましょう」

 そしていよいよ皆が見守る中、玄関横のちょうど良い場所に
 『照真正道会』の道場看板を、弟子達と共に光照が掲げようとしたその瞬間です。
 光照の脳裏に、これまでの出来事が走馬灯のように思い返されました。
 幼少期の家族離散、愛する夫の戦死、子供を抱え戦禍を逃れ、女手一つでの子育て、
 宝海和尚との出会い、夫婦で新興宗教に入信、可愛い孫の病死、
 それに伴い嫁が亡くなり孫を育て、新興宗教から脱退、密教の大阿闍梨に弟子入り、
 夫婦で大阿闍梨となる、宝海和尚との死別など。
 そんな波乱万丈な人生を乗り越え、今に至るまでのことが次々と蘇ってきたのです。
 まさか自分が道場看板を掲げて、仏教道場を設立するなんて思ってもいなかった
 光照です。

 胸がいっぱいになると同時に、目には涙でなく、眩しいほどの輝きを放っていました。
 また、それを見ていた弟子たちも光照の思いを受け、師と共に行じる決意を
 新たにしたのです。
 玄関横に設置された道場看板を誇らしく見上げる光照の表情は、
 菩薩様のような愛に溢れた笑顔となっていました。

 光照は、正法弘通のために観音様のご意志のもと、
 真の仏法によりこの世の救済流布することを自問自答してきました。
 そして、会の名を基本理念とし、新たなる弟子たちの成長を願うと共に、
 この名に恥じぬよう行じることを決意する光照でした。
 「年老いてでも寿命がある限り、救いを求めている方々のために
 お役に立たせて頂きたい!」
 こうして一大決心と覚悟のもと、仏教一派を立ち上げたのです。


 
-次章へ続く-

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