御開祖物語
四国霊場巡拝
 [第十八章]

昭和62年4月。
新緑の季節
お四国八十八ヵ所霊場に向かう山道を、
朝の陽光が樹木を照らし、
野鳥のさえずりと共に、どこからともなく
『南無大師遍照金剛』と、微かに男性の声が
響いてきました。
その後に『南無大師遍照金剛』と高らかな
複数の女性たちの声も聞こえてきます。

 まるで、こだまするかのように、風に乗って段々と声が大きく響き渡ってきました。
 声のする方向から30名くらいの行列が二列に並んで、ゆっくり一歩一歩、
 足並み揃えて近づいてきます。

 光照を先頭に、弟子たちが後に続いてお四国霊場巡拝をしています。
 既に70才を過ぎた光照にとって、霊場に向かう山道はかなり厳しいものでした。
 しかし、疲れた様子は微塵も見せず、しっかりとした足取りで、
 宝号を唱えながら進んで行くのでした。

 一行は、ようやく山門をくぐり、ご本堂に着くと、まず一人一人が
 心を込めて書いた写経を、一つにまとめて奉納しました。
 その後、線香と蝋燭をお供えし、火を灯すのです。
 そして、周囲の参拝者の邪魔にならないよう地面に敷物を広げ正座をし、
 ひれ伏し三拝します。

 光照の先導に息を合わせ、弟子たちも合掌し、ご本堂で『般若心経』をあげ、
 大師堂では『南無大師遍照金剛』と宝号を唱えました。
 すると、般若心経を三巻あげるうちに、最初は微妙に震えていた光照の手が
 段々と波動に乗って、その揺れが大きくなっていきました。体中が震えだし、
 読経している声が光照の声とは思えないほどの高くて透き通った声に
 変わっていったのです。
 「これは、いったい…光照先生のお声?観音様のお声?」
 弟子たちは、読経をしながら不思議な体験をするのでした。

 時をさかのぼること3年。

 光照は、以前からずっと、お四国八十八ヵ所巡拝を望んでいたのでした。

 その話を瞑想会の日に、高梨和夫さんにしました。

 「和夫さん、私ね、ずっと前からお大師様に常日頃の感謝とお礼を申し上げたくてね。
 お忙しいと思いますけど、お四国八十八カ所の巡拝の計画を立ててもらえないかしら」

 「わかりました。私でお役に立てることでしたら喜んでさせて頂きます」

 和夫さんは早速、次の日に旅行会社へ出向き、いろんなコースを探しました。
 参加する人の中には、高齢者の方も多く、歩き遍路で全てを回り切れないことを考慮し、
 一泊二日で無理のない予定で計画を練っていったのです。

 「先生、このコースはいかがでしょう。神戸港から水中翼船に乗って徳島まで行きます。
 そして、できるだけ参道付近までタクシー2台で移動しようと思うのですが、
 どうでしょうか?」

 「和夫さん、ありがとうございます。それなら高齢者の方でも巡拝させて頂けそうですね。
 それでは、この予定で参りましょう」

 こうして昭和59年10月、第一回目のお四国巡拝は、8名の弟子たちと一泊二日の予定で
 実現したのでした。

 その後も、みんなの希望もあり、定例行事として春と秋の年二回、
 お四国巡拝することになりました。

 初回から、みんな御朱印帳を持ち、一ヶ寺ごとに御朱印を頂くのを楽しみにしていました。
 また、納経した際に掛け軸を頂いた人もありました。

 御朱印帳は、功徳の証として自分が極楽浄土に行けるようにとお願いするもの、
 と言われていたのです。
 それだけにみんな大切にしていました。

 ところが何回目かの巡拝時、弟子の一人が血相を変えて駆け寄って来ました。

 「先生、御朱印帳がないんです!何度も辺りを捜したのですが、見つからないんです」

 みんなで手分けして捜し回りましたが、どうしても出てきませんでした。

 「あぁ、どうしましょう。私の不注意で失くしてしまって。
 せっかく今まで参拝した証に頂いてきた御朱印なのに…」

 光照は、すっかり肩を落とした弟子を見て思うのでした。

 「これには、きっと何か理由があるに違いない」

 それは巡拝を終え、神戸に戻ってから直ぐの瞑想会で観音様から諭されたのでした。

 「お四国巡拝は、決して観光気分で参るでないぞ。心経を供えたり、
 朱印をもらうことは方便である。しかと信解を深めて参れよ」

 お四国巡拝の前後には、必ず観音様や弘法大師様からのご霊示を頂いていたのです。

 「誠に申し訳ございません。次からは必ず心を引き締め、弟子一同共に一ヶ寺一ヶ寺、
 弘法大師様の御足跡を懺悔の旅として参らせて頂きます」

 恥ずかしいやら、情けないやら、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、
 光照はしばらく礼拝した顔を上げることができませんでした。

 この御朱印帳を失くしたことは、決して偶然ではなく、観音様からの戒めだったのです。

 それ以降、参拝の仕方が大きく変わりました。
 全員が白装束に身を包み、宝号を皆で唱えながら巡拝するようになりました。
 これは『古式参拝法』で、遍路の本来の姿なのです。

 夜は民宿や宿坊に泊まり、朝早く身支度を整え、各寺での勤行に参加しました。
 夕食後もまた一つの部屋に集まり、今日一日の御礼と感謝を表す為に、
 お経を読誦しました。

 参拝中は、私語を慎んでいるため、弟子たちにとって唯一、夜寝る前のひと時は、
 楽しいものとなります。
 各部屋に分かれ、光照と一緒の部屋になった弟子たちは、夜遅くまで話をしていました。

 電気を消し、布団に入って枕を並べては天井を見ながら光照がいろんな話を
 してくれるのです。
 弟子たちは、寝るのがもったいないと思うほど、光照の話に聞き入ってしまうのでした。
 それは、光照が自分の人生経験を通して、一人の人にも仏様のご存在をわかって
 頂きたい、という想いがあったからです。

 その後のお四国巡拝でも、不思議な出来事が数多く起こるのでした。

 10月にしては、とても暑い日のことです。
 巡拝予定の高知県の気温は高く、みんな心配していました。
 いざ、参拝が始まるとそれまで燦々と照っていた太陽がスーッと薄い雲に覆われ
 日陰となりました。
 後のご霊示に、弘法大師様が雲の傘をかけて下さった、ということがわかったのです。

 またある時は、どんよりした空からキラキラと輝く雨が降ってきたこともありました。
 それは、観音様の慈悲の現れで、甘露の法雨だったのです。

 そして、ある札所の霊場に参拝した時のこと。
 ご本堂に向かって歩いている時、後方からまるで宝号に合わせるかのように
 「シャンシャン…シャンシャン…」と、とてもきれいな錫杖の音が
 鳴り響いてくるのでした。
 それは、弟子一人一人にもはっきりと聞こえていました。

 「えっ?」

 みんな不思議に思い、何度も振り返りましたが、誰も錫杖を持っていません。
 しばらく進んで行くと、また同じように聞こえてくるのでした。

 それは、弘法大師様が自ら弟子たちを引き連れ、共に参られていたのです。
 そして、常に『同行二人』で道中ずっと導き守って下さっていました。

 その後もお四国巡拝の度に、この錫杖の音は鳴り続けました。

 こうしていろんな不思議なことがたくさん起こり、観音様や弘法大師様のご存在を
 はっきりと確信できたのです。

 これは、光照が兼ねてより望んでいたことでした。

 「弟子たちに目に見えないご存在を体感してもらいたい」と。

 光照の想いが通じたからこそ、観音様より本当のお四国巡拝の意義を諭して
 下さったのです。

 「ほとんどの者は、現世利益を求めて参るが、汝等の参拝は稀なること。
 『一歩一歩は過去世の懺悔。一歩一歩は今世の懺悔。』真を捧げる、
 その為の四国巡拝であるぞ」

 この真を捧げたお四国巡拝は、後々大きな功徳を授けて下さる要因の一つとなるのです。


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