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久子は大切な夫の安否が心配でたまらず、ただひたすらに祈る日々でありました。 しかし、半年後、その祈りも虚しく訃報が届きました。 たまたま夫が搭乗していた民間機が撃墜されてしまったのです。 それは、久子30歳の時でした。 突然の知らせに声も出ず呆然と立ち尽くす久子でしたが、二人の息子の顔を見るなり、 一気に涙が溢れ、我を忘れて泣き続けました。 それは、初めて見せた母の涙でした。 愛する夫が亡くなり、これからどう生きて行けば良いのか?しかし、まだ戦争の真っ只中。 空襲を受ける中、二人の息子たちを必死に守りました。 子供たちを連れて防空壕に逃げ込む日々が続きました。 季節は冬となり、深々と雪が降り積もった、ある寒い日のことでした。 この日も息子たちを連れて、防空壕に入っていました。 当時、寒さの厳しいときは、暖をとるために七輪が置かれていましたが、 深い雪のせいで換気口がふさがっていることに気付かず、 一酸化炭素を含んだ七輪の煙が防空壕にこもってしまっていました。 遊びに夢中になっていた息子たちは、そのこもった煙を吸ってしまい、 突然意識を失って倒れてしまいました。 久子はどうして良いかわからなくなり、何度も息子たちの名前を呼び続けました。 「どうしたの!?どうしたの!?」 身体中を叩いて、呼び掛けてもいっこうに意識は戻りません。 その時、叫び声を聞いた自治会長さんが駆けつけました。 しかし、久子は只々泣き叫ぶばかりでした。 その様子を見た自治会長さんは、突然降り積もる雪の中へ子供たちを抱きかかえ、 頭をわしづかみにして、雪の中へ顔を突っ込みました。 機転を利かせた行動でした。 しかし、それでもまだ意識が戻りません!! 必死に名前を呼び続けた声が涸れようとした、その時でした。 「つ、つめたい・・・」 子供たちは次々と意識を取り戻したのです。 ほっとしたと共に、夫だけではなく息子たちまでも失いかけた瞬間でした。 その時、心の中で「夫が生きていてくれたら・・・」と、久子は痛切に感じたのです。 その後間もなくして、終戦を迎えました。 戦後の混乱は、未亡人が二人の子供を抱えて生きていくのには、 とても過酷であったことは言うまでもありません。 その時、久子はふとつぶやきました。 「どうしてこんなに悲しくて辛いことばかりが、起こるのでしょう・・・」 久子は救いを求めて、狂ったように水行をしたり、お百度参りをしたり、 あらゆる行を行いはじめたのです。 目次 第二章へ 著書の紹介 |