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ここでは当道場で勉強させて頂いております 法話をご紹介致します。 (H12.8/1掲載) |
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人に注意されて怒る心は−(マイナス)であり、感謝する心は+(プラス)であります。 故に例え他人に自分の事を悪く云われ様とも、それをむしろ自分に欠点あればこそ 云われるのだと反省して、治してゆく事は大きな+となって、 自分の肉体の細胞の一つ一つが活気を帯びて、 生き生きとよみがえるのであります。 これを+と考えた時、反対にその悪口を聞いて腹を立て、又、相手をののしる事は −の感情となって、自分の肉体の一つ一つの細胞がしぼんでしまい 生きる力を減じてゆくのであります。 それ故に+の感情は自分の肉体に生きる力の生命力を加え、 −の感情は自分の肉体に生きる力、即ち生命力を減じてゆくのであります。 この様に自分の感情つまり心の持ち方、あり方によって 人は健康を左右されるのであります。 それはつまり−の感情は地獄であり、+の感情は極楽を作る訳でありまして、 肉体を持つ現世に生きる者の幸は健康が第一であります故に、 人は健康である為には常に+の感情を持つ様に 心がけねばならない訳であります。 その+の感情、つまり感謝の心とか歓びの心とか、尊敬の心とかは いつもどんな人に対しても拝む心を忘れず、常に自分を反省して 進歩向上を計ってゆく事であります。 これが即ち信仰の心であって、相手を仏と思えば例えどの様な事を云われたり、 されたりしても「自分にそれだけの罪業があればこそ・・・・」と、 懺悔の境地になった時、懺悔させて頂いた相手に感謝する時、 この+の感情は自分自信を活気付け、身も心も健康となってゆくのであります。 ![]() 只今は病気と医薬と競走の様な有様で、医薬が進歩すれば又その上をゆく 病気が発生して、医薬の手の届かない難病が、起こっている時代です。 つまり悪魔の跳梁が余りに激しくて、善の力の及ばない現状であります事は、 つまりこの−の感情が余りに旺盛で、+の感情の到底打ち勝つ事の 出来ない程、弱い訳であります。 この現状をよくよく考えて見ます時、今日の悪い世を作っているのは、 つまり私達人間の悪い心が悪い念波を起こして、清浄な世間の空間を 乱している訳であります。 即ち、この悪の根源は皆私達人間の、我欲、我見の我まま、 身勝手な他人を思いやる心のなさ、つまり神仏を恐れぬごう慢な心が、 この地獄を作っているのであります。 自分の事だけを考えている−の感情は、自分の利害に反する者は全て排除する 身勝手さとなって、互いに相手を傷付け合い、いためつけ合う結果となって 共倒れの状態となってゆくのであります。 それ故にこそ、共に栄え、共に歓び合う、分ち合う心となった時、 人は相手を思い、自分を謙虚に見つめて、いらざるさし手口等、はさまない控え目の心を 心がけてゆく時、互いに尊敬と信頼の温かい心が流れ合うのであります。 この+の感情が冷たい−の世間を温め、地獄を極楽と変えてゆくのであります。 そこにはケンカも争いもなく、憎しみや恨みや怒りの心の消えた 歓びと感謝の世界が開かれるのであります。 この世界こそ浄土であり、天国であるのであります。 ![]() 他人をけなして、自分も共に滅びてゆく様な、愚かな−の心を+の心と変えてゆく事が、 本当に自分の身も心も健康となる事であります。 つまり、自分の力ではどうにもならない自分の−の心を仏様にすがり、 仏様の御力添えによって、+の心に変えて頂く様、努力する事が 信仰なのであります。 一心に仏様を拝んでみても、自分の心が+にならない限り、 極楽の状態とはならないのでありますから、+の心となる様に一生懸命努力する事が 即ち修行と申す事であります。 その方法として、読経とか写経とか瞑想とかの様に、自分の肉体を使って いろいろ努力してゆく処に、目に見えない大きな仏様の御力が現わされて、 知らず知らずに生れ乍ら持っていた処の悪い根性が正され善根となって、 +の心を呼び起こす様になるのであります。 これが、成仏の道と申す事であります。 それ故に人は肉体を持って現世に在る間に、いろいろと修行して自分の心を +に変えて置かなければ、肉体が亡くなって魂だけの世界に逝ってから修行する事は、 容易な事ではありませんので、現世に居る間、一日も長く健康で 少しでも進歩向上出来得る様、修行しなければ 不滅の魂に永遠の幸を得る事は出来ないのであります。 合掌 ![]() |
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