平成12年度法話
  ここでは当道場で勉強させて頂いております
  法話をご紹介致します。


  今回は去る平成3年11月23日の
  瞑想会におきまして、観音様より賜りました
  御霊示を全文掲載致します。
  長文ですが、是非ご賢覧下さい。

  (H12.7/1掲載)
生命の尊さとは

  皆さん、頭を下げる必要はありません。
  今夜は観音、一人間として、皆さんとゆっくり話し合いたいと思います。

  それぞれに日頃の疑問があれば、遠慮なく問うがよろしいが、
  私が今日ここで、あなた方にしっかりと教えておきたいのは、
  一人一人の命についてです。

  あなた方一人一人は、その命を自分のものと思っている故に粗末にするのです。
  今、社会問題となっている過労死にしても、会社のため、仕事のため、
  自分の命を擦り減らし、ついに消滅してしまうまで尽くし切ることが、
  社員として、また人間として至上のものであるなどと
  思い違いしてはいませんか。

  また自分一人楽をすることは、他に対して、うしろめたく、
  また上司にたいして、自分が何かうしろめたく、
  また、差別して見られないかと戦戦恐恐とした心もちが、心の一隅にあるから、
  仕方なしに仕事をする、生活のために働く、自分の家族のために働く、
  自分達の命の糧を得る為の方便であるということを、忘れていやしませんか。

  自分の命の尊さとは、自分のものではないから尊いのです。
  1日、1時間でも、否1分でも自分の力で生きていますか。
  自分の力で生きるということは、絶対あり得ないということを、
  まず心の底から悟らなければ、命の尊さは分からないのです。

  命が尊いとは、この命、この身体すべて仏から授かったものであるがゆえに尊いのです。
  仏のものであるから尊いのです。
  その根本の第一義を忘れるから、またそれを知らないから、
  うかつにも自分のものと思って、自分の意のままに使いこなそうとするから、
  そこに大きな落とし穴が待ち構えているのです。

  自分のもの、自分の自由になるもの、自分が勝手に使えるもの、
  そのような心が、すなわち悪魔の忍び寄る陥せいなのです。

 

  この世のもの何一つとして自分のものというものは無いと、しっかり悟って、
  まして自分の命を自分が保つことなど、到底出来ないと、しっかり悟っていれば、
  どんなに仕事が忙しくても、どんなに自分が欲しい物、したいこと、どんな欲望が
  あろうとも、まず仏の命
を生かすためには、いかに為すべきかを考えるのが
  第一義なのです。

  この義を忘れるから、みんな地獄の現実となって現われるのです。
  万物すべて自分の力で生きていくものは一つもないのです。
  山川草木動物すべて、生あるもの一つとして、
  自分の力で生きられることは絶対にないのです。
  これをしっかり自分の魂の奥底に刻みつけておかなければ、
  すべてのことが誤つのです。

  命尊しとは、御仏の命をこの身体に生かして頂けるからこそ尊いのであって、
  会社の為に生かすのでもない、人のために生かすのでもない、
  まして自分の欲望を満足させるために生かすなどとは、もってのほかの不埒です。

  そこにしっかり人間は、自分の命は仏のものであるからこそ
  尊いのだということを悟った時に、仏様の御身体を借りて、
  擦り減らし、へとへとにして、使いものにならないようになるまでこきつかうことは、
  まことに申し訳ないことではないでしょうか。

  御仏の命であれば、御仏からお借りした肉体であれば、
  擦り減らして、ついに摩滅するまでに使うということは、
  どんなに大きな罪であるかということを、しっかり悟ったうえで、
  この世の、この社会で、それぞれの立場立場、それぞれの役目役目に置かれた
  自分の存在をはっきり認識して、ここで自分が仏の使いとしての役目を果たす所であると、
  こう自分が悟った時、仏の命を大切にするということは、
  その役目をまっとうすることと両立させなければ、
  真に役目を果たすとは言えないのです。

  忙しかったり、人と人との摩滅で心身擦り減らされたり、
  自分の欲望が満足されない不平不満で落ち込んだり、
  この世の中の因縁はもろもろに渦巻いて、もう自分の周囲にひしめいている中で、
  必死に戦って、自分を超然とその戦いから解脱せしめて、
  役目まっとうし得ることが、仏の使いとしての真の使命なんです。

 

  それ故にこそ、この仏を信じる唯一の道、正法が最大、最重要大事であるということを、
  しっかり認識しなければ、人の因縁に負け、社会の因縁に負け、
  会社の因縁に負け、打ちのめされて、ついに地獄の底に堕ちねばならない結果と
  なるのです。

  人々から受けるもろもろの因縁に自分が間魔されて、
  それに打ち負かされない信念を創ることが、この正法をしっかり身得することなんです。

  会社の因縁に負けないこと、人々の誘惑に負けないこと、
  全ての悪因縁に負けない強い信念を創ることが、この正法の第一の功徳なんです。

  絶対に順法しなければならないことは、この世において、
  この悪因縁の渦巻く中に、自分が心身擦り減らすこともなく、
  ゆうゆうと長寿をまっとうし得る道が、この正法なのです。

  いろんな場所で、いろんな人々と交わって、その諸々の因縁にくたくたになる日々、
  しっかりそれを自分が、眼前に見降ろして、超然として何者にも犯されない
  心境を作ることが修行なのです。

  信仰とは、見えない仏に向かって、自分の心を正すことでありますが、
  その正した心とは、その信念の強さを社会に向け、諸々の人々に向け、
  この悪世の悪因縁の渦の中に巻き込まれない自分を作ってゆくことなのです。

  自分の命、自分の身体と思うから、その自分という自我が
  悪因縁の間魔する一番大きな隙間なのです。

  必ずこの命、永き天命まっとうして、仏に命ぜられたる今世の役目、
  絶対に果たし切らねば命終わらじと、固き決定をもって、
  社会に出て、家庭においても、また人との交わりにおいても、
  いつでも我、仏と共なりとの信念を失わない修行にこそ、この悪世の中に超然として、
  真に与えられた使命をまっとうし得て、天命を尽くすことの出来る、
  生きて甲斐ある人間と申すものです。

 

  この悪世で諸々の因縁に、くたくたに心身ともに擦り減らす日々の皆さん、
  どうぞいつでも観音がそばに居て、どんな悪因縁、悪環境の中にあっても、
  必ず強い信念を持ち続けることの出来るように励まし、助け、
  そしてまた悩める時にはいたわって、必ずそばから離れないことを信じて、
  どうしようにもないほどに苦しい時、心身ともに擦り減らされた時、
  一心に南無観世音と唱えなさい。
  十遍でも、二十編でも、百編でも、自分の心の悩みが消えるまで唱えなさい。

  観音はいつでもあなた方の味方です。
  いつでも励まし、いつでも助け、いつでも慰めて、
  倒れた者は引き起こす力を持って、そばにいつでも居ますよ。

  それを信ずることの出来る人こそ、どんな悪因縁の渦巻きの中にあっても、
  決然として、立ち上がる勇気を湧き起こすことの出来る人なのです。
  ただ信ずるのみ、信じて必ず必死にすがりなさい。
  必ず助けます。
  これがあなた方と観音との固き誓いです。

  人間界に降りて、あなた方と共にこうして膝を交えて話し合い、
  必ずいつでもそばに助ける神ありと信じきることの出来る心をどうぞ作って下さい。
  それが唯一の願いです。

  観音ここに厳然と鎮座して、いつでも呼ばれば直ちに飛んでいって助けます。
  引き起こします。
  この社会の悪因縁に負けて倒されるような、弱い心ではいけませんよ。
  強く強く、どんな悪魔にも負けない強い信念を培うことが、
  信仰の功徳です。

  さあ、新たな勇気を湧き起こして、観音と共に、この悪世と戦い、
  必ず現世を浄化する役目を果たして下さいね。

  以上上記のお言葉は、当道場にて観世音大菩薩様が降臨賜りまして、
  御直々に頂きましたる、お言葉です。

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