平成12年度法話
  ここでは当道場で勉強させて頂いております
  法話をご紹介致します。

  (H12.6/15掲載)
密教

  密教とは、三位一体の行なり。
  即ち、口に真言を唱え、手に印を結び、心でそれを思えば、
  現実と成りて現るる事なり。

  されば、常に心を無となす事に専念なし、一切の悪を思わず、
  只ひたすらに仏を念じ、
  信の一字にて徹しきる事なり。

  現世物質界に在りて、物質に溺るるが故に心を忘れ、
  己の真我を悟り得ざる愚者と成り下がるものなり。
  凡夫は、肉体を我欲の道具と致すが故に、尊き宝を瓦礫と化すなり。

  肉体とは、仏より授かりたる無上の宝なり。
  この宝、未来永劫の己が魂の至宝と成してこそ、現世の生は尊く生かさるるなり。
  即ち、身口意の三密は、肉体在りてこそ成就致さるるものにして
  形無き霊の世界にては、成し得ざる行なり。

肉体とは、煩悩にて感得成し、知識と致して、
まず己を整え、心の準備成し得たれば
身に行いて魂に刻みつけ、
ようように真理を悟り得たる後、
その真理を現実に現し得るが密教なり。

されば、真理を悟り得るまでの行が、
即ち顕教にして、この顕教現実に現し得る秘法が、
即ち密教なり。

肉体在りてこそ、顕密両道一如と成し得て、
始めて成仏の世界に入るものにあり。

 

  人来たり、人去り、会うては別れ、別れては又相会う事、
  全てこれ現世の定めに在りて、この世の修行なり。

  即ち、相会うて睦み、憎しみ、嫉みゆく人の心に、己れの在り方を悟りゆく時、
  人は皆神なり。

  移りゆく相手の姿に、己が内なる姿を悟り得て、
  進歩向上の糧となす時、現世物質界に在りてこそ、得らるる修行にて、
  肉眼に影ずる事物は皆これ
  己が魂の悟りに他ならず。

  肉体とは、五感を通じて得らるる己が内奥の目覚めなり。
  肉体あればこそ、いと身近に成仏の糧を得て、仏道開けゆく処なるを、
  肉体を悪魔の餌食と成して、己に地獄を見する愚かなる人間凡夫の、
  浅ましくもいと勿体なき現世の在り方、
  嘆かわしき限りなり。

  合掌


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