平成12年度法話
  ここでは当道場で勉強させて頂いております
  法話をご紹介致します。

  今月は出版物の「乾坤の道」中より
  引用しております。

  (H12.3/1掲載)
安楽往生

  人はよく肉親が死ぬとすぐに「私を守って下さい」と祈ります。
  考えてみましょう、この事を。
  此の世で本当の悟りを得ずして霊界に逝った途端に、
  そんなに人を守り救う力が湧いて来るものでしょうか。

  病に苦しみ乍ら死んだ霊が、死んだ途端に病苦から抜け出て、
  人を守り救う事が出来るものでしょうか。
  此の世に思いや執着を残して死んだ霊が、
  死んだ
途端に一切の思いや執着を離して、
  人を守り救う力が出来るものでしょうか。

  一体、此の世の苦しみとは何でしょうか。

  肉体の病とは、心の病なのです。
  肉体に病み痛みがあれば、その人の心は重く、
  決して楽しいものではありません。

まして死とはどんな事かと云う事を知らない心に、
不安と恐れと悲しみと、愛着や妄執を一杯持って、
其のまま霊界に移った者はいつまでもいつまでも
この不安や恐怖や愛着や妄執の思いに悩まされ
続けているのです。
それは生きていた時以上の苦しみです。

その苦しみの中で、どうして残した家族を守り、
救う事が出来るのでしょうか。

それは生きて肉体のある時以上の苦しい状態
なのです。

  それで余りの苦しさに、自分と心の通い合う者、云いかえれば因縁の濃い、
  即ち念の波長の同じ者の処へすがり寄って来るのです。
  これを霊障と申します。

 

  霊障とは、恨みや呪いばかりでは無く、可愛い我子であっても、
  恋しい親や夫や妻であっても、
  この浮かばれない霊の苦しいすがり寄りを霊の障りと申します。

  それで、「こんなに一生懸命供養しているのに、まだ私にくっついて来る」
  などと怒ってみた処で、
  それは寄って来た霊と同じ波長の自分であるからなのであって、
  自分自身が霊格を高め、
  寄って来た霊を共に上げて行く様に努力するより外に
  救われる道はないのです。

  それ故に「守って下さい」と祈る前に、「共に精進して、極楽に行きましょう」と
  祈り励ます事が本当に救われる方法であります。

  それ故に、他人にいくら頼んでも自分の成仏は
  出来ないのです。
  自分の心を仏にするには、自分自身で精進、
  努力するより他に道はありません。

  「私に縁のある御先祖様、私の体を台として、
  どうぞ共に御成仏の道に進んで下さいませ」と、
  祈る事こそ真の供養であります。

  又、それが自分自身を生き乍に仏と成す事でも
  あるわけであります。

  その努力が即ち真心を養う事であり、その真心をすべての人に捧げて行く事が
  愛を行う事であり、それが又先祖に対する子孫の義であり、
  此の世に生かせて頂く限り、忘れてはならないすべての人々の義であります。

  それ故に此の
  一、真心を養う事。
  ニ、愛を行う事。
  三、子孫としての義を尽くす事。
  の三つを正しく常に心がけて行けば、必ず生き乍ら成仏する事が出来ます。

  そして、この世の務を終える時は、諸仏、諸菩薩に迎えられ、
  五色の雲に乗って安らかに歓び勇んで霊界に
  逝く事が出来るのです。
  これを安楽往生と申します。

  この安楽往生の出来た人は、生存中、人の為に尽くした真心を霊界に逝っても
  子孫の為、人々の為に、
  その救いとなり導きとなって守って行く
  菩薩となるものであります。

  合掌


     法話集


TOP