平成12年度法話
  ここでは当道場で勉強させて頂いております
  法話をご紹介致します。

  (H12.2/1掲載)
信仰への手引き

  問 宗教とは何ですか?
  答 見えない神や仏を知る事です。

  問 見えないものをどうして知りますか?
  答 それは心を澄ます事です。

  問 心を澄ますとはどうする事ですか?
  答 自分をまず知る事です。その為に目を閉じて、何も考えない訓練をする事です。
  これを瞑想といいます。

  問 何も考えないようにする事は、とても難しい事ですね。
  答 そうです。何故なれば、私達は今迄色んな事をしたり、言ったり、
  数限りない物事を嫌と云う程溜めています。
  それは、心と云う体の中に一杯詰まっているのですから、
  神様や仏様の入られる余地がなくなっているのです。

  問 つまり、その色々の物事を捨ててゆく事ですね。
  答 そうです。貴方は見事に早く実質をつかみましたね。

  問 では、その色々の思った事やしてきた事を捨て去ると云う事は、
  どうすれば良いのですか?
  答 それは、黙って目を閉じていると、無限に次から次へと数え切れない程に
  雑念が湧いてきます。
  それを次々に追わない事です。つまり、忘れてゆく事です。

   そうしていればどうなりますか?
  答 うまずたゆまず毎日毎日その行を続けて行く
  中に、ポッと光が見えます。
  それは小さな小さな光ですが、続けてゆく内に
  だんだん大きくなって、目の前がボーっと
  明るくなります。
  その光が求める神のお姿なのです。

  問 では人間の様に姿形はないのですか?
  答 あります。ありますが、私達が雑念を去って
  ゆく内にそのお光りが尊いお姿となって、
  拝める様になります。

  問 ではそのお姿はどんな形ですか?
  答 それはそのお光りの神霊が、貴方に分る様なお姿を見せて下さったり、
  又お声を聞かせて呼びかけて下さったりします。
  この聖堂では、毎日観音様のお声が聞こえますが、
  心が雑念で一杯になっている人々は聞こえません。
  仏様の入る場所がないからです。

 

   信仰とは、そのお声を聞いたり、お姿を見たりする事ですか?
  答 それは違います。お声が聞かれなくても、お姿が見えなくても、
  確かにここにいらして、自分を幸せの方へ導いて下さると信じて、
  一心に自分の心を善に善にと変えてゆく事なのです。

  問 悪い人に怒ったり、恨んだり、憎んだりする事は当たり前でしょう?
  答 その当たり前が、私達の不幸の源だと悟して下さいます。

  問 何故ですか?
  答 この世に悪人はいない筈ですのに、悪を言ったり、悪をしたりする人は
  悪魔という恐ろしい霊に操られているのです。

  問 悪魔とは何ですか?
  答 それは、私共を悪に誘い込んで仲間にしようと、色々の企みをして、
  不幸へ不幸へと連れてゆくものです。

 では不幸な人は皆、悪魔に操られている人
   ですね。
 そうとばかりは言えません。
いっぺん悪魔に
   引き摺り込まれて、不幸になってハッと気づき、
   逃れ様と必死に努力している途中の
人も沢山
   いますから。

 悪魔とはどんな姿ですか?
 悪魔は、始めは私共を喜ばせ楽しませて
   誘惑するのです。
   うかうかと乗ってゆく内に、知らず知らずに
   自分自身が悪魔となって人を見下し、
  人の迷惑は考えず、奪ってでも自分の手下としようと色々に企んで、
  仲間としてしまい、最後にドカンと地獄に落とし込むのです。

  問 では、どうすればその悪魔から逃れる事が出来るのでしょう。
  答 そこに、神様仏様の大きな愛とお力を信じる事です。
  そしてその愛に
ってお力を借りて、悪から守って頂くのです。
  これを信仰と申して、最後の幸せを得る方法なのです。

  私達はいつも、神や仏に守って頂いていなければ、
  悪魔はいつでも私達の隙間を狙って寄って来るのです。
  人間の力ではとても防ぐ事が出来ないので、
  絶対の力である神仏に守って頂かなければ、
  安全にこの世を過ごす事は出来ないのです。

  信仰とは、人間にとって唯一無上の絶対に必要な事です。

  合掌


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