平成12年度法話
  ここでは当道場で勉強させて頂いております
  法話をご紹介致します。

  (H12.11/15掲載)
この世は修行道場

此の世にて出逢う人は皆我が師なりと思って、良きにつけ悪しきにつけて
自分自心と思い比べ、良き点は見習って必死に我がものとする努力を惜しまず、
悪しき点は見習わない様に自分の心を振り返ってみて、
人を咎めず自分にその悪しき点のない事を感謝して密かに喜び、
悪しきを捨てて良きを取入れ我がものとする日々の行が即ち
因縁浄化となるものであります。

外に向かって人を批判する事は因縁の種を蒔く事となり、
内に向かって反省し自制してゆく事は因縁浄化となり、知らず知らずの内に
清浄となって行く事であります。

それ故に忍辱とは人生第一の修行でありまして、はやる己をじっと抑え
どんな相手であろうともただ陰忍自重し、一心に南無観世音と唱えて
心の動揺を静めてゆく時、自分に向かって送って来た悪念は皆相手に返され、
それは丁度投げたボールが壁に当たって返って来る様に、
悪念が強ければ強い程また跳ね返りも強くなる訳であります。



この様に心の思いとは口に出して相手を傷つける言葉となって現わす時、
すでに自分自身の傷口を作っている訳でありまして、その傷口は必ず
身にしみる痛みとなって表に現れるものであります。

自分がどの様に傷つけられ様ともじっと忍耐で我慢する時は、
天地の理法は必ず自分に向けられた痛みの何倍かの痛みを相手が受けねば
許されない道理となって現実に現わされるものでありますから、
私達はどんなに辛い目に遭わされ様とも少しも自分が敵討ちしようなどとは
思ってはならないのであります。

討てば必ず討ち返されるこの理をしっかと悟れば忍辱とは自分を守る
最大の武器となるのであります。

討てば討たれる、討たれれば又討ち返す、この繰返しを何度も何度も繰返し、
生まれ変わり生まれ変わる度にその悪念は益々つのるばかりで、
もうどうにも救い様の無い果ては子孫断絶となって、遂に住む家も無く
哀れ放浪の亡者となってさまよい未来永劫救われる事のない境涯となってゆくのであります。

ここで一家の中で誰か一人でも仏縁に恵まれて一心に先祖の供養し、
家の因縁、自分の因縁を浄化する者が出てきた時初めて救われる光が
見え始めるのでありまして、子孫が一心に因縁浄化をはかる時、その一人にしがみついて
先祖も共に救われてゆくのでありますから、一家に一人真剣に因縁浄化の修行を
する者が出る事は一家一族の救いであり、光ともなって闇の先祖を救う
大功徳を積む事となるわけであります。



先祖の成仏を知る方法は静かに仏前に座って心を静め、
現在の自分の心中深く見つめてみる事であります。

何事にも囚われず、怒らず、恐れず、羨む事なく、執着する事なく
常に平常で心動かず、安心して仏様にまかせ切る事の出来る自分となった時
初めて先祖は成仏しているのであります。

自分の心が少しでも人にうとまれ、いやがられ、恐れられ、蔑まれる様では
まだまだ先祖は成仏の境地にはなっていないのであります。

即ち、先祖と自分とは一つでありますように自分の心は先祖の状態だと
悟る事が一番の近道であります。

 合掌

法話集


TOP