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御経を読誦すると申す事は、御経の中にこめられた仏様の御心を悟り取る事でありまして、
例え頭では理解出来なくとも、毎日々々真心を尽くして一生懸命読誦している内に、
次第々々に仏様の御心が自分の心に生かされる様になって来るものであります。
仏様の御心とは大慈悲心そのものであります故に、
自分の心も知らず知らずに慈悲心を育ててゆくのでありまして、
今までは我が子だけ、我が家族だけ愛しいと思っていた心がいつの間にか、
他人の子供でも可愛いくなり、他人に対しても思いやりの心が起り、
邪険であった自分の心にほのぼのとした温かいものを感ずる様になり、
一つの事でも人の為にしようと心掛け、少しでも人に喜んで頂こうと思う様になり、
人を喜ばす事が自分の唯一の楽しみとなって年を取って行きますと、
人から大切に思われ、なくてはならない人となって老いてゆく身の寂しさなど
少しも考えない楽しい嬉しい人生が開かれてゆくのであります。
これこそ御経を上げた甲斐と申すものであります。

人は皆御経の意味が分からなければ読んでも甲斐がない等と申しますが、
それはへ理屈と申すもので、八万四千巻の御経の意味を解釈しようと思えば、
学者が一生かかっても容易な事ではないのでありますのに、
まして素人の在家の者が、頭で分かろう等と思っても仲々に出来る訳ではないので
ありますが、それを分り易い様にいろいろの方便を使い、例を上げて分り易く
御諭し下さる為にそれぞれの御役目の菩薩様がいらっしゃいまして、
人間界に人に混じっていろいろな御立場に立たれ、いろいろの御姿に御身を変えて
私共浅知恵の人間に分る様に解釈して下さっているのでありまして、
この照真正道会には観世音大菩薩様が御尊師として御鎮座下さり、
日々に信者一同の行うべき道、心掛けゆくべき心得を一つ一つ
御経の中から選び出されて分り易く御教え下さっているのであります。

如来の御位に在します御釈迦様が御直々に人間界に御降り下さっても、
私共人間とはとてもとても次元が違いますので、仰ぎ見る事も御聞きする事も
出来ませんので、その御使として観世音大菩薩様が御降り下さいまして、
人間に分り易い様に御教え下さり、御導き下さっているのであります故に、
照真正道会は御仏御直々の御教え御導きを頂きましてあくまでも
仏様の御心を自分の心とする様に精進努力する所でありまして、
自分が夜叉の様な心であり乍ら、「仏様どうぞ御功徳をさずけて下さい」などと、
いくら一心に祈ってみた処で到底人に大切に思って頂ける様な
成仏の姿にはなれない訳であります。
人間が人間としての本当の幸をつかむ為には、仏様に喜んで頂き、
人に大切に思われる様な自分とならなければなりませんので、
その為の努力こそ真の信仰なのであります。
これが御経を真に読誦する事となるのであります。
合掌
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