今月の法話
 ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。

 (2026年3月1日掲載)

汝等一同の者よ、ただ今現世は悪真っ盛りなり。
人心戦々恐々として、
休まらざるをいかんともなし得ざる人類の悲劇なり。
汝等は今日、食に満ち、家に安住なし、家族一同つつがなく、
平和に包まれて、他国の悲劇、容易に覚り得ざるがごとき幸せの中に、
日々を守られてある身の、いかばかり過去世の功徳なりやと、
しかと悟りゆかねば、未来において、今世の因縁、
果となりて現わるること必定なり。
娑婆世界、諸所方々にあまりにも悲惨なる人類の有り様、
同胞といたして見るに忍びず、聞くに耐え得ざる心境となり、
ようように、いささかなりとも、それらの同胞のため、神仏にすがりて、
真にいかなる因縁においてかようなる境遇に落ちたるものかを、
悟らしめ給えと祈る心の、一日一日、徐々に徐々に、
己れ知らざる菩提心、他国の者に及ぼしゆくこと、
まことに得難き功徳とも申すべきなり。

何故なれば、人を思わざるが故に、己れも顧みられざるなり。
人に施し、人を潤さんがために、
己れの分を分かち与えたることなきが故に、
他人より分かち頂くる慈悲受け得ざるなり。
病に呻吟いたす者、神も仏も知らずして、ただただ己が力にて、
生くるものなりなどと思う増上慢が、
悪魔をいざないて病魔の巣窟となるを知らざれば、
医学においても癒し得ざる身となり果つるなり。

汝等よ、今日、人の身を思い、己が分をば分かつこと、
未来において己が身に、慈悲満々と頂きて、分かち与えらるる人の慈悲、
仏の慈悲を、しみじみと受くる幸せを悟り得るなり。
今日の現実は、過去世に因のありと知る時、
未来における己が身の幸不幸、
全て今日にあるところなりと悟りてみれば、
日々の在り方とは、いかに重大なるものなりやと悟らるるべし。

汝等は、己が食のために働きて、己が分に相応なるを頂きて、
足るを知る心の満足、豊かにありてこそ、
この世はいとも平安にして、日々を過ごさんに、
身も心も安らかなりと悟りおるかや。
朝にタベに仕事に追われ追われて、
己が身はさながら仕事の機械ともなり、瞬時の休みも暇もなく、
ましてや我が魂のいずくにあるやも悟り得ず、
その重大なる己が本体をば疎かになし、恵みの悟り頂き得ざれば、
痩せ衰えて餓鬼道にありとも知らず、目先の欲に追い回されて、
因縁の悪魔にこき使わるる哀れさを、なんと恵まれざる者ぞと思うなり。

汝等よ、職業とは何程のものぞや。己が身の養いて、
なおその上に、余りあるべき物必要にはなし。
されど己が天職を忠実に行うことこそまた義なれば、
なすべきはまこと尽くしてなし得る心、
これまた人といたしての義にあれども、根本は己が生くべき基礎、
ただ魂の在り方にのみ有りとしかと悟りてみれば、
その魂をないがしろになし、目先のことにあくせくいたして、
たとえば植木に水を与うる暇さえなき日々、
庭の植木の枯れ果てて、なんの潤いの安らぎ得る家ぞや。
己が魂の枯れ果てて、すぼみゆく様知らざる者こそ、
いかに偉大なる業績を今世に積みたりとも、そは砂上の楼閣なるぞや。

魂の在り方とは、己が肉体いかにあるべきかをしかと悟らんがためにこそ、
悟りの慈雨十分に注ぎ得てこそ、人といたしての真価現しゆくなり。
手植て植えし植木、水涸れて枯るるを知らざるがごとく、
己が本体たる魂の飢ゆるも知らず、萎びて枯れ果て、身も心も細りて、
餓鬼道に呻吟なすをなお知らず、目先の欲に追い回さるる己が姿とは、
まさに因縁の悪魔にこき使われて、
擦り減らさるる己れなりとしかと悟りて、
人といたしての天職なすべきはまた、心尽くしていたしゆくこと、
されどその基本とは、
尽さん心の潤いをこそ、十二分に養いゆくことにありと悟らざれば、
外国の試し、他人事ならず、己が身に降りかからんは、容易なるぞや。

飢えに泣く者、餓鬼道とはその心貧しきが故なり。
病に倒れて医術の到底及ばざること、我が内の魂、
到底救われ難きまでに、痩せ細りて、萎びゆく状態なるぞや。
今日健康にありて、明日死する者あまたなり。
その命の元、その泉はいずくより湧き出ずるぞや。
みなそれ神仏の御手にのみ委ねらるるものなり。
神や仏に生かさるる己れなりと、しかと悟り得ざるが故の不幸なりと、
片時も離すべからず。

現世の物事、何事なりともまず第一に、
この身生かさるる大慈大悲の大元を悟り得て、
その大御前に恥ずかしからざる、
己がなすべき義とは何たるかを悟り得れば、
道いかに分れたりとも、迷うことなし。

ただ今の悪世にありて、己が力にていかに必死に働かんとも、
裏よりの助けなくして成功なすべきこと絶対になし。
助けらるる身の幸とは、まず第一の義といたして、
御仏の御前に申し訳けなきことなきよう、身の慎みと、
第一になすべきは何たるかを、しかと悟り得ざれば、
今日の健康、仕事のためなりと喜べば、
明日は仕事のために倒るるなるその因縁因果、
みな大元を忘れ離したるが故なり。
しかと悟りて、己が今日生かされてあるは、
何をなすべきかを悟り得ることこそ、正法の根本なるをしかと心得べし。

合掌



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