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汝等一同の者よ、今日ただ今現世の有り様、さながら麻の乱れしがごとくにて、
解きほぐすべき糸口も見つかり得ざる惨状なり。
さればこの惨状、何故なるかをよくよく考えみるべし。
人一人の運命をまず考えてみるべし。
現世に相会う縁、親子、兄弟、夫婦、隣人、友人、知人、
みなそれぞれにまつわりて、絡みからみし因あればこそ、
現世、眼の前に現れ出でしものなり。
さほどにも思わざる通り過ぎの人にても、いささかの縁あればこそ、
袖擦り合うも他生の縁、と申すなり。
まして今世に深き関わりを持つ者共、生まれ変わり生まれ変わり、
輪廻いたして、ここに終生を離し得ざる縁となること、
まことに不可思議なる、己が運命の糸とも申すべきものなり。
されば汝等が眼前に現れし物、現れし人、己れに関わりある全ての事物はみな、
過去世における己が因をもって、果と現れしものなりと、
しかと悟り得る時、いかなる運命の操り人にあらんとも、
みな我が身一身に背負いて解決いたさねば相ならざる手配なりと、
しかと悟りて、それぞれの因縁に、それぞれに対処なすべき智慧、
深き悟りのあるところにこそ、
悪縁を善縁と変え得る不可思議なる御手配頂き得るなり。
されば汝等、まさに正法とは己が作りし過去世の悪因、
現世にしかと頂きて、身をもって浄化なしゆく時、
いかなる仏智をもって善処なすべきやを説き、導き、
開き賜る大慈大悲の神通力ある法なり。
さればここに一人ひとりを見ても、
みな千差万別にして、絡みし糸のほどく術なき有り様なるを、
全世界人類をもって一丸となすこの娑婆世界において、この惨状を正して、
安穏の土となさんためにこそ、正法終極の大願ありと、しかと悟りゆきてこその、
今日頂き得たるこの縁ぞや。
会い奉り難き正法に、会い奉り得るわずかの数に加えられたる己が果報、
しみじみと悟り得ること、すなわちこの身をもって、実地に会得なし得る修行にこそ、
その秘訣ありとしかと悟りて、日々に頂き得る健康とは、この実地に修行いたし得て、
大神力をば身に受くること、しかと悟りて現しゆかんがためにこそありと、
悟り得るまで行じゆく時、現世に生まれし大功徳とは、
まさに未来永劫に開きゆく己が仏智見なりと悟り得るものにあり。
しかして一人ひとりがこの仏智見悟り得て、いかにもして現世の、
この悪極まりたる惨状、粛正いたさねば生まれし甲斐なしと、
固き決定をもってなしゆかんことこそ、ついに到達なし得る仏界なりと、
望みを高く、欲は大乗にして、大欲を持つべし。
現世にありて、ただ今生かされ得る身の功徳とは、仏の珠玉たるこの娑婆世界をば、
もとの珠玉となさんがためにこそ、我が身ありと悟りゆくところに、
億々万劫の悪因縁も、ついに消滅いたされゆくものにあり。
汝等よ、いつ何時、いかなる悪魔天魔に襲いかかられんとも計り難き不安の御世に、
安堵と、絶対に頼み得る大神通力おわしまするを信じ得て、
己が命の尊くこそ生かさんがために、ただ今の悪世に敢然と生き抜くものなりと、
雄々しく覚悟いたしゆく時、必ず悪世は正されて、
汝等未来永劫の大徳、身に備え得るものとなるなり。
この大欲をば忘れずんば、目先の小欲何のその、意に介すべきほどのこともなし。
正法行者と申す者、悪世を背負いて我れ一人にても、正しゆかんの固き決定をこそ、
しかと身得なしゆく修行にこそ、その甲斐ありと申すなり。
汝等、観音の弟子たれば、この決定なくんば、その価値なしと深く悟るべし。
合掌
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