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汝等一同の者よ、悪世ますます極むる中に、
因縁因果の理法厳然と現わさるる今日、各々が知るも知らざるも、
ただ我が意のままに暮らしゆく人生行路においては、
必ず困果応報のあるべきは必然なれども、
逃るる術ただ一つここにあり。身を正し、心正して、
正法に則りゆくとき、頼みはただひたすらなるみ仏の御加護と、
必死にすがる己が真心のみにて、
ここにいかなる悪業ありとても、現わるるべき時期、
時を必ず逃れさせ頂き得ること、これまた絶対なる真埋なり。
今日の悪世に、いかになさば己が身を正し、
心正しゆかんやも分別なし得ざるが故に、
ひたすらに、ひたすらに信仰いたしゆく身にありながら、
思いもかけざる災難、また病魔に冒さるる瞬間、
逃るる術なきを何事なりやとしかと受け止め、
己が心のあり方に過ちあればこそ、
かく現実に現わさるる因果の法則なりと、しかと悟らねば、
いかに合掌いたし、み仏なりと拝みゆかんも、
道、正すべきを知らざるがゆえに、知らず知らずに踏み誤りて、
邪道、魔道に引き入れらるるをいかにせん。
信仰の功徳とは、己が現世に受くべき因果、
如何なる天魔悪魔の待ち潜まんとも、
絶対なる神力によりて逃れさせ賜わり、
又、身に受け得ざるまでの清浄となりゆく術、
しかと身得いたすが故にこそ、真実の我とは、
即ち仏そのものなるを悟りゆくなり。
汝等よ、過去世における諸々の悪業、今に消えざるは、
懴悔消滅の術知らざりしが故なり。
ただ今ここに、ようようにして、
その真実の己れと成らんがための懺悔清浄となるべき道、
明らかに示されて、
必ず浄化いたさばやと志しゆくそれぞれの信解に応じ、
真心のあり方だけの受け取られて、
己が身に返さるる功徳とは、まさに現実に現われて、
しかとここなりと悟り得る智慧、
またいかなる危難も逃れゆく絶対なる神力、
まざまざと目の当たり見て、悟り得る智慧頂きてこその、
無上の感謝と、至高の信解培い得るところなり。
今日、世界一の栄誉を得る無上の喜びに浸る者あり。
明日はまた思いもかけざる災難に、
不意に命を落としゆく悲嘆の者もあり。
それぞれの因縁により、それぞれの心のあり方によりて、
現わさるる現実とはまさにこれなり。
人間凡夫ひとりとして悪因縁の無き者は無し。
さればこそ、この悪世の娑婆に放り出されて、苦難と、至難と、
悲痛の試練に耐え抜きてこそ、
神仏厳然として我が内にあるを悟りゆくなり。
されば、いかなる悪世にありとても、絶対なる無上の神力と、
無量の大慈大悲に包まれて、日々をただひたすらに感謝なし、
懺悔なしゆく生涯にこそ、守らるる身の功徳、
また昇りゆく無上道への至上の功徳、
今世によりて作りゆく未来永劫の幸なりと、しかと悟りて、
昨今のひとしお厳しき現象にこそ、身を正し、
懈怠の心奮い起こして、修行なすべきはこの時期なりと、
我が身、我が心に申し聞かせて、ゆめゆめ油断いたすでないぞや。
天魔悪魔の充満いたすこの世において、
いつ何時、我が身を襲わんと狙い寄る天魔悪魔の無数にありと、
しかと覚悟いたして、守らるる身の幸、
守り頂かるる己れを作りゆく修行にこそ、ひとしお励みて、
切り抜けゆくべし。
観音しかと一人ひとりの修行見定めあるなり。
その心ごころに応じたる加護、
絶対にそれぞれの功徳といたして、授けやるものにあり。
信じて疑う事なく、ただひたすらに己れ自身を叱咤勉励いたして、
ただただひたすら行じゆくべし。
合掌 |


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