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汝等一同の者よ、この八月の盆の月、施餓鬼供養のいかに大切にして、
また身近なる大功徳なるかを申し聞かすべし。
汝等それぞれ一人ひとりの悪因縁とは、天を呪い、地を恨み、
人を呪いて悪鬼夜叉ともなり、また求めて止まざる妄執の念、
ただただひたすらに追い求むる執着をもって、
求めて得られざるその不満、爆発いたして人に寄り、家に住み着き、
ただただ滅亡をのみ、呪い呪いて、
隙あらばいかにもして滅ぼさんとなす念、
十重二十重に各々が身の周りを包み、家に充満いたしあるを知らずして、
いとも無知蒙昧なる振る舞いに、神仏を知らず、人を虞れず、
ただ我が意のままに振る舞いて、あえて恥じらう心なき者、
皆すべてこの悪念に操らるる姿なりと、しかと悟べし。
さればこそ身を清めんが為に、釈迦牟尼世尊、
大慈大悲の御功徳といたして、尊き真言、
大神呪の大功徳賜わり得る身の幸せは、施餓鬼供養によりて、
各々が身にまつわる悪念、先祖一同、またそれぞれの家に付き、
離れ得ざる悪念すべて呼び寄せて、
この聖堂に充満なすところを
一挙にして浄化なさしめ賜わらんとの大施餓鬼いとも尊きがゆえに、
知らず知らずにほどけゆくその身の因縁により、身の回り、家の内、
ただただ徐々に徐々に明らけく不安薄らぎ、焦燥の念に遭わざる、
感謝自ずからに湧き出でて、
心の平安取り戻すことなり得たるを悟りゆくとき、
わずか一七日(いちひちにち)なれども、供養させ頂きたる大功徳、
身に頂きたる証拠なりと悟るべきなり。
意味も分からず、言葉にもなかなか舌の回り難き神呪にはあれども、
幼子の一筋に、ただすがるがごとき心にて、無心に祈るその御言葉の、
真実届きたる者、必ずや、 一年毎に浄化なしゆく身の現実を悟りゆく時、
密教のいかに得難く、正法のいかに有り難く、
またこの縁のいかに頂き難きやを悟りゆくなり。
汝等よ、ただ一瞬の人の世にありて、未来永劫の平安を願わんと致して、
ここに真実をささげゆく行者の在り方こそ、現悪世におきて、
悪鬼夜叉充満の中に、ただ一筋の光とも仰ぎ見る救いなりと、
しかと悟り得ざれば、己が身の幸せなる方向、
人生の軌道正しゆくべき悟りはなり得ず。
よくよく悟りて、今年もまた例え一七日にても先祖一同の成仏を願いて、
施餓鬼供養に真実をささげたる身の、
その功徳しだいしだいに現わるることこそ、
なしたる甲斐ありと申すものなり。
汝らよ、先祖とはすなわち己が身なりと常々に諭すが如く、
我が身の諸法実相に、先祖の在り方悟り得て、ただただひたすらに、
真実つくして仏に捧げ、人に捧げて仕えゆく事こそ、
先祖一同と共に、今世に生きゆく最大の価値なりと悟りゆくべし。
合掌 |


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